3.
「実羽さん? 本当にこれでいいんですよね」
黒髪のあたしからしたら、ちょっと憧れな明るい茶髪。綺麗な編み込みが入ったハーフアップは緩く巻いてあるし、髪留めには細かい装飾が入っている。
ストンとした形のカーディガンを羽織って、ふわっとしたスカートは歩くたびに裾が揺れる。初めましての衝撃がすごかったから思い至らなかったけれど、見た目はふんわりした雰囲気でかわいい感じのお姉さんだ。
念押しするように確認するが、にっこりと笑顔で頷かれた。
「食べても太らない、というのは魅力なんだけどね。お腹の容量は変わらないみたいだし」
「あたしは作ったものを無駄にしなくて済むのが嬉しいですけど」
カロリーは美味しい、だけどその怖さはとてもよく分かっている。高校の健康診断前なんてどうやったら美味しいままでカロリーを落とせるか、と食材片手に栄養成分表とにらめっこしたものだ。
食べた分だけ動けばいいのだ、と自転車で遠回りをしたら何故だか畑帰りのおば様から野菜をお裾分けされたこともあった。おひたしにしてお返しするのに家に届けに行ったりしてたから、目標だった運動は達成できていたし、何ならそれ以上のいい運動になったけど。
「まあ、春那が食べきれなくても僕がいるからね」
「なにそれ羨ましい」
「実羽さん?」
こちらの様子を面白そうに見ていた神様の声には、どうしてだろうかちょっと自慢するような感情が込められているような気がする。反応した実羽さんも、不満を隠すことはない。
「だってこんなかわいい春那ちゃんの手作りご飯を毎日食べているんでしょ?」
「わわ、実羽さんちょっと待ってー!」
背後からぎゅっと抱き着いてきた実羽さん。あれから、ちょこちょこと話をしているうちに、いつの間にか名前呼びに変わっていて。態度もかなり柔らかくなった。これが本当の実羽さんなんだろうな、と思ったらあたしも名前を呼んでみたんだけど。
一瞬だけきょとんとしていたけれど、嬉しそうに笑った顔はとても可愛らしかった。うん、癒し。
「ねえ、邪魔しないから近くで見ててもいい?」
「いいですけど、そんな特別なことしないですよ」
「それでいいの。わたし、料理得意じゃなくて……」
恥ずかしそうに目線を下にずらした実羽さんは、やっぱりかわいい。
働いているなら、自分で作るよりもスーパーとかコンビニで買ってしまった方が手軽だし、食材を持て余すこともないだろう。たぶんあたしも、きっかけがなかったらきっとそっち側だったはずだ。
「見ているだけで作れるようになるのかい?」
「ならないけど、勉強にはなるでしょ!」
「もう、神様ってば。それじゃあ、実羽さん。はいこれ」
最初のような険悪な空気ではないけれど、神様から実羽さんに対しては、まだ少し言葉に棘が残っている。実羽さんもそれに応酬するものだから、またか、とも思うけどこれからやることはたくさんあるんだから、あんまりそっちで時間を取って欲しくないんだよね。
もう何度目かも分からない、子供のじゃれ合いのような言い合いを止めるべく、さっき思いついたものをさっと実羽さんの目の前に差し出した。
「エプロン?」
「せっかくなら、一緒に作りましょ?」
「春那ちゃん! 好き!」
今度こそぎゅっと力いっぱいに抱き着いてくるものだから、少し息が苦しくなったので軽く腕を叩いて放してもらう。
いそいそとエプロンを装着する姿は、どこからどう見たって微笑ましい。
ここでのことを忘れてしまうとしても、経験したことはなくならないはずだから。一緒に料理を作った楽しい記憶として、持って帰って欲しい。
「それじゃあ、材料出してきますね」
冷蔵庫含めて、食材を入れておくような物は、実は空っぽに近い。というのも、あたしが料理を作るときにその都度思い浮かべるようにしているからだ。神様の力は、この空間をここまで快適にしたことから疑っていないし、本人が言うにはアイスとかあたしが作った料理でも、多少力の回復は出来るそうだ。
どれだけここにいるかも聞いていないし、力の節約になっているかどうかも分からないけど、何となくそうやって材料を出してもらうやり方が当たり前になっていった。
実羽さんから聞いた、食べたい物。それは見た目から想像していたものではなかった。
いやね、嫌いじゃないしガッツリ食べたいときには作っていたから良かったけど。下手にレストランで出てくるようなお洒落な名前の料理をリクエストされても、期待に添えるか分からないもの。
「豚肉と玉ねぎ、卵。あとは油とパン粉でしょー。薄力粉はまだ残ってたよね」
必要なものを思い浮かべながら冷蔵庫を開ける。思っていた通りのものがそこにあることに、にんまりと笑みがこぼれる。
冷蔵で保存しなくても大丈夫な食材の保管用に棚を作ってもらったので、お米はそっちから引っ張り出す。テーブルにあれこれ並べているのを見ている実羽さんも、さっきよりわくわくした表情をしている。そうだよね、自分が食べたいと思っていたものをこれから作れるんだから、楽しくなるよね。もしかして、小学校のときのあたしって、今の実羽さんみたいだったんだろうか。
「実羽さんは三つ葉大丈夫な人ー?」
「ええ、あまり多くなければ」
「あはは。香り付けなんでそこまで盛らないですよ」
山盛りにして食べる人もいたけど、あたしは流石に多すぎた。何事にも適量って大事だよね。大丈夫だと分かったので三つ葉も追加する。これだけでも希望はかなえられるけど、せっかく一緒に作るんだから、しっかり満足できる食事にしたい。
「お味噌汁もいるよね、デザートは……」
「必要だと思うよ」
「わ、神様どうしたの?」
さっきまで、向こうのこたつで寛いでいたはずなのに、いつの間に後ろにいたんだろうか。流れるようにお味噌を片手に持って、あたしの両手は自由になる。男の人が少ない中で育って来てるから、そこそこ力はあると自負はしているけど、当たり前のように気遣いをしてくれるのが、すごく嬉しい。
「デザート、考えてるんでしょ」
「そっか、神様には考えていた材料が分かるんだよね。……食べたいの?」
「春那は、俺の事を何だと思ってるの?」
「甘いもの大好きお兄さん」
本当はそんなこと思ってないけど、この空気なら冗談を言っても大丈夫だろう。一緒に過ごすようになってから、敬語が崩れるようになっても何も言われていないし。
あたしの考えていることが分かるんだから、この気持ちだってやろうと思えば読み取れるはず。なのに何も言ってこないって事はやっていないか、分かっていても黙っているかのどちらかなんだけど、それはあたしには分からない。
人当たりの良さそうな態度をしておいて、あたしと神様の間には、まだ踏み込めない一線がある。それを飛び越えようとも思わないし、向こうだって飛び越えて来いとも思ってないだろう。
「まあいいけど……」
がっくりと肩を落として、少し拗ねたような声になっているのが、肯定しているように感じるんだけど、当の本人は言葉の通り、そう思われていてもいいと思っているようだった。だって、態度と違って顔は笑っていたから。
「理由はあるんだよ。覚えてないとしても、異世界に旅立つ前に後悔は残さない方がいい」
「それ、って」
「ずっと引きずられちゃうからね」
それ、ここの事を忘れていても、どこかには残っているっていうんじゃないだろうか。神様がいう事に嘘はない。あたしに言ってない事があるだけで。その神様が言うのだから、実羽さんはもちろん、これからここに来る人達全員に後悔を残すようなことはするな、と。
なかなかにハードル上げてきてくれるじゃないか。ただ料理を作ればいいと思っていたのに、とんだ難題を突き付けてくれる。
「とりあえず、春那はこれで美味しいご飯作ってくれる?」
「ええ、まあそれしか出来ませんから」
作ってみて、食べれなかったらそれでいい。さっきも言ってたけど、残ったって神様が食べてくれるだろうし。
追加でデザートの材料も用意してもらって、神様と二人でキッチンに戻る。
あたしたちの手の中にある食材を見て、それを使うの? とばかりに目を丸くして首を傾げた実羽さんは、年上のお姉さんなのに、どうしてだか小動物のように見えた。
「さ、これで材料は揃いました。始めましょうか」
「よろしくお願いします!」
グッとこぶしを握った実羽さんに、そこまで気合い入れるようなものだったかと思いながらも、お望みの料理を作るべく、用意した食材に手を伸ばした。
お読みいただきありがとうございます!
ほんとうは、料理を作る所まで行く予定だったんだ……