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4.

「勇者、って」

「そう、すごくない? 俺ただの大学生なのに」


 大学生、そう言ってへらりと笑う彼は気付いているだろうか。頬杖をついた側でない、カウンターの上で遊ばせている手が少し、震えていることに。

 ゲームや漫画、小説などをあまり手に取ってこなかったあたしだって、『勇者』がどんなことをするのか、その単語を聞いただけでぼんやりと理解できるのだ。小学生の時に見ていた男の子たちは、木の棒を県に見立てて剣道みたいにチャンバラをしていたり、虫を集めたり、木に登って果物を取ったりしていた。自然が豊かなところだから、外遊びの機会の方が多かったせいもあるだろう。

 そんなところで育っているけれど、勇者についてはあたしよりも詳しいはずだ。きっと、もう説明だって受けているだろう。

 彼の手が震えているのは、カウンター越しだから見えなかったということにして、もう少し話を聞いてもいいだろうか。


「大学……そうか、あたしは専門学校に行ったから」

「専門、か。そうだよな、あれだけ料理が好きだったんだから調理学校?」

「そうだよ。そこまで覚えてくれてるのに、あたしはどうして思い出せないかなあ……」


 あれから、同じ歳だし知らない仲じゃないんだから敬語は止めて欲しい、と頼まれたので普通に話すことにしたんだけれど。

 あたしは思い出せないから、まだちょっとだけ違和感が残っている。何度か言葉を交わすうちに薄れていってはいるけれど、会話の最中に少しだけぎこちなくなるのは、自分でも分かっている。彼も、そこについては突っ込んで来ないからありがたい限りだ。


「名前は分かっているんだから、あとはきっかけがあれば思い出すんじゃないかな」

「神様、そうは言ってもこれ以上ないくらいのきっかけ、というかあれこれをさっき暴露されたばかりなんだけど?」


 キッチンにやって来た神様が、ぽんぽんといつもの調子で頭を撫でてくれた。それは、優しさのようにも見えるけれど、これ以上の情報は与えないよ、という意思のようだとも感じた。

 思わずじっと見つめてみたけれど、薄く微笑んだ表情は崩れない。さっきの失言はあたしの思っているよりもはるかに強く、神様の気持ちを固くしてしまったようだ。きっとどんな切り口から攻めたとしても、神様が口を割ることはないだろう。そもそも、あたしじゃ神様の口の上手さには勝てっこないんだけど。


「なあ、さっきも気になったんだけど、その人……神様?」

「あれその説明は聞いてない?」

「いや、聞いたよ。聞いたけど……本当に?」


 もう少し話をしたいから、冷やしてあった麦茶を差し出せば、小さくありがとうとお礼を告げながら嬉しそうに口をつけた。美味しそうにごくごくと喉を鳴らして飲む仕草、やっぱり見た覚えはあるんだけど、顔と名前にかかった靄は、まだ消えてくれなくて。

 うーん、と首を傾げていたら、彼の視線がついっとあたしから隣にいる神様に移る。

 着ている服や装飾品の違いはあるけれど、担当さんのようなピシッとした雰囲気は今の神様にはなく。どちらかといえば歳の離れた妹を優しく見守るお兄ちゃんのような接し方をしてくれていたからだろうか、まとっている空気は緩やかなもの。

 そこに関しては、神様があたしに気を遣ってくれているからなんだけど、少しだけ疑わせてしまって申し訳ない気持ちがわいてくる。


「疑っているのかい?」

「うわ、そんな綺麗な顔で凄まれると怖いんですけど」


 彼は軽口を叩いているような口調だったけれど、顔はサッと青褪めたからきっと神様、本当に何の感情も乗せずに無表情で見ているんだろうな。

 残念ながらあたしからはその表情を確認することが出来ないので、これが助け舟になるとは限らないけれど。


「その気持ちわかるなあ。あたしも最初は顔合わせるだけでドキドキしたもん」

「え」


 本当の事だったけれど今まで言ってなかったからなのか、彼よりも早く反応したのは神様だった。ぶおん、と音がしそうなくらい早く、真正面を向いていた顔があたしの方に向けられる。

 いつもの微笑みとも違う、無表情でもない、焦ったような顔を見せるなんて、彼がここに来るとなってからの神様は今までよりも表情がくるくる変わって、新しい一面ばかりを見せられている気がする。


「え、ってなに、神様。慣れた方がいいでしょ。一緒にいて毎日顔見てるんだから」

「毎日、ってこの顔を毎日!?」


 神様は彼の驚いた声にちょっとだけムッとしたように頬を膨らませていたけれど、すぐにその頬を指で突いてしぼませる。そんな気安いあたしの行動にも、彼はまたビックリしていたみたい。あたしも初めの頃は恐れ多いと思っていたんだけど、慣れってすごいよね。

 割と早い段階でこたつに馴染んだ神様の姿を見ていたから、というのもあるとは思うけど。


「そう。さすがに今はドキドキしないけど。美人は三日で飽きるなんて嘘なんじゃない?

 アイドルとかさ、芸能人好きだった子の気持ちが分かったんだよね」

「あー、そういう意味なら分かる……ってそうじゃなくて!」


 あたし全然飽きないし、今日も綺麗だなって思いながら向き合ってアイス食べたりご飯食べたりしてるんだけど。神様も担当さんも、何をしていても、どんな瞬間を切り取ってみても絵になるんだから。

 例えとして芸能人、なんて出してみたけれどこの人がテレビとか雑誌に出たらもう確実に売れるだろうな、って思う。それを毎日、ただのすまし顔だけじゃなくていろんな表情を見るようになったなら、それはもう慣れないとこちらの心臓がいくつあってもドキドキし続けて大変なことになってしまう。

 おかげで美人には耐性のようなものが出来てしまったんじゃないだろうか。これから先、どんな綺麗な人を見ても、きっとあたしは神様と見比べてしまう。


「神様だろうと異性じゃん! ずっと一緒、にいるのか?」

「まあ、あたしはここから出てないし。……って何か気に障ることだった?」

「そりゃあ異性と一緒にいるって知って面白くないやつなんていない……」

「ごめん、よく聞こえなかった」


 顔を赤く染めながらも、焦ったような声で質問してきた彼に、今までの会話の中でそんなに気になるような事があったのだろうか、と思い返す。けれど、これといって何か引っかかるようなものがあるとは思えなくて。

 最後、声のトーンも下げられてもにょもにょと言われたのを、あたしは上手く聞き取れなかった。だから聞き返そうとしたのに、なんでもない、と会話を打ち切られてしまった。


「とにかく! はるちゃんに変な事してないよな!?」

「……誰に誓えばいいかな。一応俺も誓われる側なんだけど。

 ここで一緒に料理作ってこたつでアイスを食べてるくらいだから、そんな心配は不要だよ」

「うん? はるちゃん……?」


 彼と神様の温度差に気を取られていたら、ふいに聞こえてきた呼び名が記憶を刺激する。それは、本当に細くて、針の先のような刺激だったけれど、今のふわふわとしたあたしにはそれだけでも十分だった。

 もうちょっと、あと少し、で手が届きそうなところまで来た、記憶。それにあたしが手をかけるよりも早く、担当さんの声が耳に響く。


「あの、そろそろ本題を進めていただきたいのですが」

「あ、担当さんごめんなさい! そうですね、料理、作りましょうか」


 パチン、と意識が切り替わる。あとちょっとで思い出せそうだったことがまた遠くに行ってしまったように感じたけれど、今あたしがしなければいけない事は昔を思い出すことではなかった。

 異世界で、勇者という役割を果たすために旅立つ彼に、傷ついた魂を癒す料理を提供すること。それが、あたしがここにいる理由なのだから。

 ちょっとだけ、さっきの針の先よりも太いくらいは担当さんの間が悪いなあ、なんて思う気持ちもあるけれど。


「それって、俺の希望を叶えてくれる、んだよな?」

「無茶な希望じゃなかったら、だけど。まあ、あたしが出来る範囲にはなるけどね」

「それだったら、お願いがあるんだ」


 前に外国の料理の名前をバンバン言われて、何だかわからなくて困ったこともあったなあ、なんて思い出す。あれは、気持ちがささくれ立っていた男の子の意地悪だったのだから、あたしの勉強不足ではなかったと思いたい。あの後、ちゃんとにどんな料理かは教えてもらえたわけだし、結果としては良かったけれど。

 さて、目の前で緊張した様子を見せる、小学生の時の友人であるだろう彼は、いったいどんなお願いをしてくるのだろうか。

 一度ぎゅっと手を握って、気合いを入れたあたしに届いた願いは、思っていた以上にささやかなものだった。


「小学校の時の調理実習で作った野菜炒め、一緒に作ってくれないかな?」



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