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仲直りの卵焼き

ここから、話はちょっとの間続きます。

 それは、突然の問いかけだった。


春那(はるな)はさ、羨ましいとは思わないの?」

「え?」


 いつものように、料理を振る舞って、担当さんと並んで歩いて行く転生者の背中を見送って。

 さて洗い物をしようと思ってキッチンに戻ってきたら、ぞっとするくらいに無表情な神様が立っていた。そうして投げかけられた問いかけには、とっさに言葉が出なくて。


「いつも見送るだけで、自分はあの先に向かえないのに」

「……っ!」

「どうして、って思ったことは?

 ……自分だって、あの先の世界で生きてみたいと――」

「出来ないって分かってるじゃない!」


 ああ、これはただの八つ当たりだ。そう頭では分かっているのに、感情は止まってくれなくて、溢れる気持ちがそのまま言葉となっていく。


「あたしだって先があるなら見てみたい! どんな世界なのかって気にならない訳ないでしょ!

 羨ましい? そうだよ先のあるあの人たちが、羨ましくないはずがない!」

「そう」

「だけど、あたしは進めないし、戻る場所もないって、そう説明したのは神様だよね……!」


 もうそれ以上は言葉にならなくて、代わりのようにボロボロと涙があふれていく。ただ真正面で表情も変えずにあたしの言葉を聞いている神様に、こんな顔は見せたくない。

 着けようと思っていたエプロンをとっさに自分の顔に押し付ける。堪えきれなかった涙と、整わずにはくはくと大きな音を立てている自分の息の音を、吸い込んでくれないだろうか。


 あたしの鼻をすする音と、エプロンが吸い込み切れなかった吐息。そんな音しか聞こえてこない中で、ひときわ大きく聞こえたのは、長く息を吐く音。あたしじゃないなら、目の前にいたはずの神様しかいない。

 いつまで経っても理解できない、自分の置かれた環境は恵まれているのだと分からない子供だと呆れられてしまっただろうか。

 いっそのこと、それならこんな思いと一緒に消し去ってくれないだろうか、なんて考えがよぎる。


「ごめんね、春那」


 だけど、降って来た声はとても優しくて、思わず顔を上げてしまう。そこには、さっきまでの無表情がまるで嘘のように、困ったように眉を下げている神様がいた。


「ごめん、ってなに」

「いや、その……さっきの質問、です」


 あたしの返事が予想外だったのか、慌てたように手を忙しなく動かした後、結局はお腹の前で指を組んで視線は斜めに逸らす。だけど、ちらちらっとあたしの顔を確認するように目が泳いでいる。

 いきなりあんな質問をされたことに驚いたし、そこに続いた言葉には怒りはもちろん、一番近くにいたはずの人から突き放されたような気持ちで悲しくもなった。

 だけど、泣いたあたしよりも涙を我慢しているような顔をしている神様を前にして、さっきまでの怒りとか、悲しみとかはふっと軽くなったような気がした。

 甘いと言われればそうなのかもしれないけれど、あたしはこんな、迷子の子供が縋ってくるような表情をした人に更に気持ちをぶつけるようなことは、出来ない。


「まあ、正直、言ったことを考えたことは何度もある」

「うん。……時々、春那が悩んでいるのは分かってたし、それを俺たちに見せないようにしていたのも分かってる」

「やっぱり分かってたか。でもね、さっきの言葉で悲しくなったのも本当だから」


 う、と痛いところを突かれたように神様の表情が渋いものに変わる。そんな様子を見て少しだけ面白くなってしまったけれど、それは表情に出さないように顔に力を込める。次に思っていることを言葉にするときには、もうにんまりと笑ってしまってそんな力を込めることは出来なかったんだけど。


「お詫びとして、卵焼きを所望します」

「……へ?」

「卵焼き。何回か作ったの見てるよね?」


 パチパチと目を瞬かせる神様の表情は、いつもよりも幼く見える。最初の頃からは想像も出来ないくらいくるくる変わるようになった表情だけれど、こんな顔は見たことがないなあ。


「所望、ってことはもしかして……俺が作るの!?」

「そうじゃなかったらお詫びにはならないでしょ?」


 驚きすぎて少し裏返った神様の声、これも初めて聞くなあ。なんだか今日は初めての事ばかりで、沈んだ気持ちが少しだけ軽くなる。そして、これからあたしが神様にお詫びとしてやってもらおうと思っていることも、初めてだ。


「見てただけで、一回も作った事ないんだけど」

「うん。頑張ってね?」

「春那、ごめんって。本当に申し訳なかったって思ってる」


 あたしが手伝うそぶりも見せず、キッチンから出てカウンターに向かって行ったからか、神様の声がどんどんと焦りを帯びる。お詫び、というならばあたしも八つ当たりした分を謝らないといけないんだけど、どうやら神様にはそこまで考えが回るほどの余裕もないようだ。


「しょうがないから、ここで口だけは出してあげる」

「はーるーなー」

「はい、エプロン着けてー」


 ジトッとした目でこちらを見ていたけれど、あたしがカウンターから動く気がないのは分かったようで、しぶしぶと言われるままにエプロンを着け始めた。


「まずは神様だけでやってみてね」

「春那が俺に冷たい……」


 それ以外にもなにか文句のような事を呟いてはいたけれど、あたしには届かなかったし神様も届かせるつもりもないみたいだ。そうじゃなかったら、ちゃんとに聞き取れる言葉として発しているはずだし。


 冷蔵庫を開けて卵を持って来た神様は、何かを考えるように一度目を閉じてから、シンクの下にあるボウルを取り出した。

 卵を割るのは手慣れた様子だったのに、その直後から何をしていいのか分からなくなったように固まってしまっている。

 何度もこちらを見ているのには気付いているけれど、最初は神様だけでやってみせて、と言ったあたしが、口を出さないのを冗談でもなんでもなく、本気だと悟ったようだ。

 ばつが悪そうにぐっと喉を逸らせてからは、あたしの顔を見ることも、様子を伺うような事もなくただ淡々と目の前の卵と向き合うようになった。


 ボウルに割った卵を菜箸でよく混ぜて、味付けに悩んでからお醤油を入れる。それからみりんに手を伸ばしてから、最終的に砂糖を入れていた。

 卵焼き用のフライパンがあるのは分かっているはずなので、がさごそと探しながらも目当てのフライパンを見つけ出して、嬉しそうに笑った。


「これで焼けばいいはずなんだけど……」


 不安そうな声は聞こえたけれど、視線はあたしの方にちらりとも向かなかった。フライパンを見つめている神様には、いつもの微笑みは浮かんでいなくて、ただただ真剣な表情だけしかない。

 じゅわっと卵の焼ける音から遅れて、ふんわりとした香りが漂って来る。それから、フライ返しがフライパンをこする音。何回か繰り返しているから、音だけで想像するしかないけれど、きちんと焼けていると思う。手元は見えないから、神様があたしに出してくれないとはっきりとしたことは言えないけれど。


「え、っと……うん。春那、味見してくれるかい……」


 ところどころ黒く焦げた焼き目、巻いている途中に破けてしまったんだろう、ぴらぴらっと千切れた切れ端が残されている。ふっくらというよりもぺちゃっと潰れたように見えるのは、気になるあまりに焼きながらいじっていたのだろうか。

 お世辞にも綺麗に焼けたね、とは言えない出来の卵焼き。神様も分かっているようで、今からでも引っ込めようかどうしようかと悩んでいるようにお皿から離した手がうろうろと彷徨っている。


「いただきます」

「め、めしあがれ……」


 ここで料理を出すときに神様がキッチンにいる事ってほとんどないから、あたしがいつも感じている気持ち、分かったのかもしれない。そうなんだよね、この瞬間っていつも緊張するものだ。神様は、今回自分があんまり上手に作れなかったと思っているからそこまででもないのだろうけど。自分では自信があっても相手がどう思っているかは食べてもらうまで分からないのだから。


「そんな緊張しなくても、頑張って作ってくれたものをまずいとは言わないから」

「春那、その優しさがトドメを刺すときだってあるんだよ?」

「えっと、正直に感想言った方がいい?」


 もぐもぐ、と一切れを食べてから首を傾げてみたけれど、神様はゆるく頷いた。そういうことであれば、あたしが思ったことを素直に伝えさせてもらうことにする。


「まずは焼き目だよね。卵はすぐに火が通るから。あとはちょっと塩辛いから、お水欲しくなっちゃう」

「……はい」

「でも、初めて作ったし、何もアドバイスなくてこれなら上手だと思うよ」


 はい、と神様が作った卵焼きを一口に切り分けてから、まだぼんやりとしている神様の口元に持って行く。

 自分が初めて作った料理、味わっておかないと。


「あー、うん。春那の言う通りだ」

「じゃあ、もっと美味しく出来るように練習しよっか」


 それから、二人並んでキッチンで卵焼きを作っていく。予想通りに神様はしょっぱめよりも甘い味付けの方が好みだったみたいで、これを自分でも作れるようになるんだと意気込んでいた。


「それで、あんな質問をしてきた本音は?」


 あおさを入れたり、だし巻きにしたり、ちょっと派生して伊達巻にまで手が伸びてさすがに作りすぎたな、と反省しながらそれぞれの感想を言い合いながら食べていた時。

 今の雰囲気だったらきっと答えてくれるだろうと、蒸し返すようで申し訳ないなとは思いながらも神様に質問をした。

 途端、ごほっと咳込んだ神様はわずかに涙目になりながらも、ふう、と口の中を空っぽにして長く息を吐きだした。


「……ここに来る予定の転生者に、春那の知り合いがいるみたいなんだ」



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