こってり、鯖の味噌煮
神様から声を掛けられない時間、なんとなくあたしは自室、と区切った場所にいる事が多い。もちろん、キッチンとか使ったところの掃除をして残った時間だけど。神様とお茶をしたり、何でもない事をだらだらと話す時間と、一人で過ごす時間。たぶん、神様が上手く配分してくれているような気がしている。
朝も夜も夏も冬もないこの空間では、時間を刻む時計がなければ感覚があっという間に狂ってしまう。
出来るだけ今までと同じような過ごし方をしたいと思ってはいるけれど、曖昧になってきている感覚も、あると思う。全てを覚えている事なんてどう頑張っても無理だから、こうやってノートにその時の気持ちとかも思い出せるよう、細かく書いていたりするんだけど。
「春那、いいかい?」
コンコンコン、と控えめにドアがノックされた。担当さんがやってきて、次の打ち合わせを始めたからお茶菓子を多めに置いて、あたしはここにいたわけなんだけど。
神様から声がかかるという事は、打ち合わせは終わったんだろう。呼ばれたなら、断る理由も特にないので、ノートを元の場所に戻して部屋を出る。
「あれ、担当さん帰ったんだ?」
「次の転生者に話をして、連れて来るからって戻ったよ」
「そうなんだ。お菓子はしっかり食べてくれたみたいだね」
テーブルの上は綺麗になっていて、お菓子を入れたバスケットは空っぽになっていた。カフェオレを入れていたはずのグラスは、水切りかごの上にあったので、神様が洗ってくれたんだろう。小さくありがとうと告げれば、大したことじゃない、とでも言うように緩く首を振って返してくれた。
「さ、準備をしておこう。春那のお菓子のおかげで機嫌よかったから、すぐに来るはずだ」
「ええー、なにそれ?」
とは言ったものの、あの担当さんは甘い物に弱いのは分かっているので、くすくすと我慢できなかった笑いが漏れてしまう。それを見た神様も面白そうに目を細めていて、なんだかその様子も楽しくなってきてしまって、結局こらえることは出来ず、二人で顔を見合わせて笑い合った。
*
それから、いつもよりも笑みを深めた担当さんが連れてきたのは、少しだけ居心地悪そうにしながらも、こちらの様子を伺うような視線を送って来る男の子。
目が合ったと思ったら、サッと逸らされてしまったけれど。まずは挨拶、それからリクエストを聞ければいいかな。
「こんにちは、ようこそ」
「あ、あの……お邪魔します。えっと、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ペコリ、と頭を下げたら向こうも慌てて同じようにお辞儀をしてくれたので、それに応えるように今度はさっきよりも浅く頭を下げたのに、それを見た男の子がまた頭を下げる。
「……二人で何やってるの」
呆れたような面白がっているような声のおかげで、お辞儀の応酬は止まった。いいタイミングで声をかけてくれてありがとう、神様。
改めて、男の子の顔をしっかり見る。まだ視線はちゃんとに合わないけれど、ちらりちらりとこちらを見ようとしてくれているのは分かる。
「何か食べたい物ありますか?」
「僕、肉よりも魚が好きで」
「うんうん」
まだどことなく落ち着かない様子ではあるけれど、こちらの質問には答えてくれているから、まずはそちらに集中するべきだろう。それにしてもお魚のリクエストはここ最近あんまりなかったから、少しだけテンションが上がってしまう。お肉も好きだけど馴染みがあるのはお魚の方。
「おばあちゃんの作ってくれる煮魚が、好きだったんです」
「分かります。その人にしか出せない味ってありますよね」
「そうなんです! それで、難しいとは思うんですけど鯖の味噌煮を、ぜひお願いしたくて」
「分かりました」
自分でもびっくりするくらいに即答したからか、男の子も驚いたように目を丸くしていた。きょとんとした顔はあたしの答えを理解した直後、嬉しそうに少しだけ表情を綻ばせた。
「おばあちゃんの作る、煮魚かあ……」
「春那?」
エプロンを着けてからぼんやりしていたら、神様から声がかかった。ちょっとだけ、心配したような声に聞こえたのは気のせいではないだろう。本人はあんまり読み取らないようにしている、なんて言っていたけれど、いつだってタイミング良く声をかけてくれるのは、嬉しくもある。
「あ、ううん大丈夫。おばあちゃんの料理、美味しかったなあって思い出しただけ」
「だけ、じゃないだろう。無理はしなくていいんだよ」
「いや、今は待ってる人いるし! 大丈夫だから」
神様の言葉に、間違いなくあたしの気持ちは伝わっていると分かってしまった。おばあちゃんと一緒に作った煮魚、それは懐かしい思い出だけどもうあの頃には二度と戻れない。それを考えるとこう、胸のあたりがキュッと痛むけれど今は料理を待っている人がいる。だから、この痛みは一回横に置いておかないといけないのに。
「春那」
ハッとして顔を上げたら、とても優しい顔をした神様がすぐ傍にいた。いつもの作り物のようでもない、面白そうでもない、とても“神様”らしい微笑みで。
「その切り替えが出来るところは、春那の良いところでもある。だけど、たまには甘えてもいいんだよ」
一度着けたはずのエプロンを外し、ふわりとした白い服が揺れる。神様が動いたのは分かったけれど、あたしは今動くとこの溜まったいろいろがこぼれてしまいそうで、動けない。
「ほら、どーんと構えてるから、飛び込んできなさい」
「ふっ、あはは! 神様、そんなドヤ顔で言われても」
優しい微笑みのままでほら、と両手を広げてあたしが飛び込めるスペースを作るものだから、行動とのギャップに思わず笑ってしまった。目元をこすったあたしには何も言わず、今度はいつものようににやりと笑う。
「ふうん、俺はどんな顔をしているのかな?」
「うん、今は大丈夫。あとで話聞いてね」
溜め込んでもいいことはないと分かったから、この後にちゃんと話を聞いてもらう約束を取り付ければ、神様だって安心したように頷いてくれた。
さて、それじゃあ鯖の味噌煮、作らないとね。
「鯖を用意して、あとはある調味料で出来るかな」
「あれ、意外と簡単?」
「煮る系の料理は、調味料の配合さえ間違えなければわりと簡単だと思うよ」
筑前煮とか、お煮しめとか食材をたくさん用意しないといけないようなものもあるけれど、単品を煮るのなら、あんまり失敗した覚えはない。おばあちゃんという、教え方が上手な人が一緒に作ってくれたからかもしれないけれど。
「神様は、生姜を薄切りにしてくれる? スライサーでもいいし」
「あー、手を切りそうになるやつか……」
「気をつけてね?」
生姜はすぐに小さくなるから自分の手を切りそうになるのは、とてもよく分かる。食材を摘まんで自分の手を守るようなものもあるらしいけれど、あたしが使ったことがないので、ここに用意することが出来ない。
「鯖の両面にお湯をかけて、っと」
「それ、大丈夫なの?」
「そんなすぐに火は通らないから大丈夫だよ。これやると臭みが取れるんだって」
「へえ、面白いね」
ひょこっとあたしの後ろから手元を覗き込んできた神様から、薄くスライスしてくれた生姜を受け取る。
鯖は全部で四切れ、じゃ足りなくなるかもしれないから五切れ。全部が入るような大き目のフライパンを用意して、お水を入れる。
それを温めて沸騰するまでの間に、お酒、みりん、お砂糖、お醤油にお味噌と必要な調味料を用意していく。
「それじゃあ、鯖を入れるよ」
「このバツは?」
「あー、なんでだろ。鯖の味噌煮を作るときにはいつもこうやってたんだけど、理由までは聞かなかったや」
味が染みやすいとか、そんな理由がたぶんあるんだろうけれど。あとは見た目なのかな。今更だけど、ちゃんとに調べておけばよかったなあ。
「あとは、焦げないようにフライパンをちょっとゆすったり、煮汁をかけたりしながら煮るだけ。
簡単でしょ?」
落し蓋をして放置してもいいけれど、目を離さなくてもいいときは手をかけるようにしている。とはいっても、あたしがずっと見ていたのはお味噌の匂いが食欲を刺激するので、どうにも我慢が出来ずにあわよくばつまみ食いが出来ないかと思っていたからなんだけど。
おばあちゃんはそれが分かっていたみたいだったから、わざと小さく崩した鯖の身を用意していてくれた。なので、今回はあたしがそれを用意する。
「このさ、味噌の匂いってすごいよね」
「だよね。だからさ、神様、これどう?」
小さい分、もう鯖にはちゃんとに火が通っている。味はまだ染みているわけではないけれど、周りの味噌を掬うようにして持ち上げた身は、茶色く染まっている。
担当さんと男の子はテーブルにいるし、あたし達がキッチンの中にいる時には基本的にあんまり行動を認識されていない。鯖の身を口に運んだ神様の動きは、誰かが見ているはずもないのに、こっそりとしていた。
「うわ、美味しい」
「味が濃いとか、ない?」
「俺はちょうどいいけど」
お米が欲しくなるなんて言っているし、あたしもちょっと食べたけれど覚えている味に近い。これだったらきっと男の子の言う、おばあちゃんの作った煮魚に似ているだろう。
もう少し煮汁がとろりとするまで火を入れていけば完成。何だか神様が楽しそうに煮汁をかけてくれているから、あたしはその間にご飯とか準備しておこう。
「お待たせしました。鯖の味噌煮です」
「美味しそう……!」
「温かいうちにめしあがれ」
いただきます、と手を合わせた男の子は鯖を一口食べるなり、目を輝かせた。それから、見ているこっちが気持ちよくなるくらいにがつがつと食べ始める。
「これ、この味おばあちゃんのに似てる! ちょっと甘めの味付けがそっくりだ!」
「良かった。うちも煮物系は少し甘めの味付けなんですよ」
「まさかまた食べられるなんて……!」
嬉しい、だけど泣きそうな顔に見えるのに、箸を動かす手は止まらない。これだけ食べてくれるとも思っていなかったけど、多めに作っておいてよかった。
「本当にありがとう! とても美味しかった!」
「ど、どういたしまして……」
最初の合わない視線はどこにいったのか。にこにこ笑顔を浮かべて頬を赤らめた男の子がぎゅっとあたしの手を握ってお礼を伝えてくれた。ここを出ていく時には、ぶんぶんと音がするくらいに手を振って行くというおまけ付きで。
あまりの変わりように、あたしの方が戸惑って視線をあちこちに彷徨わせてしまった。
「年代的に近い人が多いのは、話題に事欠かないからいいんだけど」
「けど?」
「そういう人ばかり求めているっていう異世界もどうなんだろう、と思う事だってあるわけで」
「まあ、そうだろうねえ」
こればかりは、神様に言ったところでしょうがないことだとは思うんだけど、いつかの機会にはあたしが思っていることは伝えておきたかったからちょうどいい。
神様も、あたしが言って何かが変わるとも思っていないから、ただ頷いているだけ。
「だから、せめてここを出る時には前向きな気持ちになってもらいたいとは思っている」
「うん、春那の気持ちは伝わっているはずだ」
「けどね?」
うん? と神様が首を傾げる。そうなんだよね。あたしも、自惚れじゃないならここを出る時にかけてもらえる言葉で、気持ちはきっと伝わったと思っている。だから、自分の料理の反応をその場で直接もらえるのは素直に嬉しいんだよね。だけど。
「あんなに前向きになるなんて思ってもいなかった……」
「……ああ」
納得したような神様の声に、やっぱり同じようなこと思っていたんだな、と笑ってしまった。
ちょっと甘めにして、一緒に煮た生姜をかじりながら食べるのが好きです。
ネギと共に煮ても美味しい。
夏フェス、自宅最前列で楽しんでいたら遅くなりました。
お読みいただきありがとうございます!