山盛りの唐揚げ・味変えはご自由に
サクサク、ザクリ、とひたすらに食べる音だけが響いている。誰も、なにも言葉を発することなく、ただ黙々と目の前にある茶色の山を崩していく。
あれだけたくさん揚げたと思ったのに、もしかしてこれは追加が必要になるかもしれない。
そう思いながらも、あたしも箸を動かす手が止まらない。
「春那、これは止まらなくなるね」
「……でしょう?」
もぐもぐと口を動かしながらも、神様だって箸を動かす手を止めようとしない。担当さんと隣に座る男性は、もう山を見てからずっと目線はそこで固定されている。担当さんは控えめだけど、男性は大口を開けてがぶりと食べ進めている。
「いやあ、こんなにたくさん作ってくれるだけでも嬉しいのに、味も違うなんて天国だな」
「ある意味、間違いではないですね」
「……ああ、そうだったな」
今思い出したような声で呟いてから、男性はまた一つ茶色の山に手を伸ばす。それに、卵と甘酢ダレをかけて、かぶりつく。
「うん、うまい」
「ありがとうございます」
にかり、と嬉しそうに笑う男性に、あたしも笑って自分のお皿に取り分けた分に甘酢ダレをかける。
「うん、やっぱり唐揚げは美味しいよね」
*
「春那、次の人のリクエスト聞いてきたよ」
「え? 今までと違うけど?」
「今回はお試し、かな。それで、聞きたい?」
「そりゃあ前に準備できるなら、ありがたいよ」
担当さんと打ち合わせをしてくるから、とふらりと出ていった神様が帰ってきてすぐに言われたことに、首を傾げてしまう。
今までどれだけ事前に打ち合わせをしてきても、転生者の情報を教えてくれることはほとんどなかったのに。
「リクエストは唐揚げ、だって。それも多めに用意して欲しいってさ」
「多めに、っていうのがあるから教えてくれたのか」
「まあ、それもあるかな」
唐揚げは肉の大きさをどうとでも調節できるけど、大きくしたら火が通るのにも時間がかかってしまうし、その分お肉がパサパサになってしまったりする。
味付けだってたくさんあるし、揚げる油によって風味も変わったりする。多めにってリクエストをもらっているなら、いろんな味付けとか食べて比べてもらうのも面白いかもしれない。
「分かった。これから準備するから、担当さんに連絡お願いね」
「ん。いつ呼んでもいいのかい?」
「んー、まあ構わないけど、余裕ある方が助かるかな」
「分かった。作業の進みを見て連絡するよ」
ここで、あたしだけに任せるのではなくて、自分もキッチンに入って手伝いをしてくれるのが、神様。もう本当にずいぶんと手慣れてきて、唐揚げ、から連想できる使うであろう調味料とか、器具をすすっと用意してくれている。
「油とお鍋の出番はもう少し先ね。まずは、これです」
「お肉」
「そう。鶏肉を、食べやすい大きさに切ります」
はい、と包丁とまな板を渡せば、用意していたお鍋と油を横によけてから手に取った。食べやすい大きさは、あたしと神様では違うんだけどそれはそれ。ばらつきがある方が、いろいろとアレンジには使いやすいはずだ。
「切り終わったら、こっちの袋に入れてね」
「これは?」
「下味をつけるんだよ」
鶏ガラスープの素、お醤油、お酒にごま油、それからしょうがとにんにくを混ぜたものを袋に入れておく。別の袋には、ポン酢とにんにく、それから焼き肉のたれを使ってもいい。少しだけ絡みを足したいなら豆板醤。和風が良ければだしの素だっていい。
あれもこれもと試したくなって、何枚か袋を用意して神様にどんどんと切った鶏肉を入れていってもらう。すると、用意してもらった鶏もも肉は、あっという間になくなった。
ここからは粉を振って揚げるだけだし、出来れば温かいうちに食べて欲しいので、鶏肉を丁寧に切っている神様に声をかけて、担当さんに連絡を取ってもらう事にした。
「呼んだらまた手伝うから」
「うん、ありがとう。待ってる」
油で揚げることは、美味しくなる調理法だと思っている。だけど、それを全部一人でこなそうと思うと、なかなかに重労働だ。なにせ、揚げている最中の誘惑に打ち勝たないといけないのだから。
あたしと神様がセットだとお互いに相手を止める、という事はほとんどしないから自分で誘惑を振り払わないといけないんだけど。
「粉は、小麦粉と片栗粉を混ぜて―っと」
お鍋に油を入れて、温まっているのかどうかを箸で確認する。箸の先だけから細かい泡が上がって来たので、まだ温度はそこまで高くない。
ここで最初に漬けた、たぶん王道な味付けの鶏肉を油が跳ねないようにそろっと入れる。低温でじっくり揚げて、それから高温で二度揚げするとカラリと仕上がり、先っぽのカリカリッとした食感も楽しめるはずだ。
「春那、お待たせ」
「お、良い匂い! よろしくな、お嬢ちゃん」
「よろしくお願いします! 早速ですがどうぞ!」
神様も分かっているようで、男性と担当さんをカウンターに案内してくれた。うん、ここなら揚げたてのものをそのまま食べてもらえる。
「神様、ご飯とお味噌汁お願いできる?」
「いつの間に作っていたんだい?」
「ふふふ。油の温度が上がるのを待っている間にね」
本当は他にもいろいろ準備していて、ついさっき思い出したんだけど。まあ、油の温度だって上がっていなかったから嘘ではない。二度揚げ用に、温度を高くしたときだってだけだ。
「たっぷり揚げていくので、どんどん食べてくださいね!」
「ありがとな! それじゃいただきます!」
油の音が途切れないから、あたしの声は自然と大きくなっているんだけど、男性も負けじと声を張り上げてくれるから、聞き取りやすい。
短く刈り上げた髪、がっつり、ではないけれどそれなりに鍛えているのが分かる体つき。ここで見る男の人って、体を動かすような仕事をしていただろう人が多い。今回のリクエストを見るに、きっと目の前で嬉しそうに唐揚げを食べている男性もそうだろう。
「担当さんも、食べてくださいねー!」
「ありがとう、ご馳走になります」
いっそ暴力だと思えるくらいに、油とにんにくの香りが漂っている中で、ただ見ているだけなんてそんなこと、出来るはずがない。
それは、揚げているあたしといつの間にキッチンに戻ってきてくれていた神様だって同じ。
「こっち、ちょっと前に揚げて冷めているやつ。味見、するでしょ?」
「……春那にそう言われちゃあね」
「いらないならあたしがもらうよー」
ゆっくりと手を伸ばしたら、思っていた以上に素早く動いた神様が、唐揚げに手を伸ばした。揚げたてだって美味しいけれど、少し冷えてもこの美味しさはなくなっていないはずだ。
「これは、おいしいね……」
「でしょー? もっと美味しくするから、ネギをみじん切りにしてくれる?」
「任せて」
唐揚げの味を知った神様の動きは早かった。比べたことはないけれど、今までで最速なんじゃないかと思うくらいのスピードでネギのみじん切りを済ませ、あたしに報告をしてくれた。
「お醤油とみりん、お酒とお砂糖にお酢、それからネギをフライパンで強火に」
「了解!」
「唐揚げ入れるよー」
油を担当しているのはあたしなので、その他の作業は必然的に神様にお願いすることになる。あたしの指示に嫌な顔一つしないで調味料を混ぜている神様は、どことなく楽しそうだ。いつもうっすらと浮かべている笑みと違って、目がキラキラしている。
フライパンに唐揚げを入れるとじゅわっとまたお醤油とお酢の匂いが食欲を刺激する。
それも、カウンターで唐揚げとご飯を楽しんでいる男性には、とても魅力的だったようだ。こちらを見る目が期待で溢れている。
「これはですね、ご飯にかけるのが正義です」
「お嬢ちゃん」
「もちろん、白米のお代わりはたくさんあります!」
「分かってるな! お代わりくれ!」
たくさん食べて欲しいから気持ち大き目のお茶碗を用意したんだけど、それでも男性が持っていると小さく見える。そして、もちろん中は綺麗になくなっていた。
ご飯をよそって、その上にたった今作った唐揚げのねぎダレを乗せて丼にして男性に渡す。
お皿にもよそって担当さんも、あたし達も食べられるように用意した。
「あとは、ゆで卵潰して作ったタルタルソースと、甘酢ダレ、マヨネーズに七味も用意してあります。
さっぱりしたいときは大根おろしと柚子胡椒をどうぞ」
「……こんな幸せがあっていいのか」
大袈裟な言葉が聞こえてきたけれど、男性の目の前には何種類か別の下味をつけた唐揚げの山。うん、あたしだけでは間に合わなくて神様にも手伝ってもらったけれど、これは圧巻だ。
それから、いくら好きなものだといったって同じものばかりでは飽きてしまうから、味を変えられるようにタレと調味料をいくつか。これを全部カウンターにどんどんっと並べてから、あたし達も唐揚げに手を伸ばした。
「よく食べたなあ、全部うまかった!」
「気持ちのいい食べっぷりでしたね」
途中で休憩のようにこの唐揚げはどうだったとか、前に食べたことのある顔ほどの大きさがある唐揚げの話を聞いたりとかしていたけれど、用意した分は四人で全部食べきった。
美味しかったけれど、あたしは割と早めに離脱し、その後に担当さん。それから神様がのんびりと食べ終わりを告げ、残った分を男性が食べきってくれたんだけど。
「こんな美味い唐揚げをご馳走してもらったんだ。お嬢ちゃん、あんたの分まで俺は転生先ってところで頑張って来るよ」
「力になれたなら、なによりです。いってらっしゃい」
「おう! 行ってくる!」
やる気に満ち溢れた表情に、ちょっとだけ油で艶の増した唇が大きく弧を描いていた。
わざと多めに作った唐揚げで親子丼を作ったり、酢豚ならぬ酢鳥を作ったりします。
最近はサラダチキンにしてしまう事が多いですが……油の前って暑いんですよね……
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