ご飯とお味噌汁
「なに一人でいい物食べてるのかな?」
「お、おかえりなさい……」
担当さんが、正式に『担当』になってから、神様は打ち合わせを半分くらいこの空間で済ませるようになっていた。とはいっても、全部が全部ここで終わらせられるようなものでもないらしく、あたしが打ち合わせだと聞いて外出していくのはだいたい半々。他にもやることはあるだろうに、出来るだけここにいてあたしを一人にしないようにしている事には、何となく気付いている。
聞いてもはぐらかさられるだけだし、前に試験があったときのように、あたしが知っておいた方がいいような事があるのならちゃんとに教えてくれるから、困ってはいないけれど。
「うん、ただいま」
むしろ、困っているのは今だ。
打ち合わせをしてくるから片付けておいてね、なんて言って空間を出ていった神様を見送ってから、あたしは言われたとおりに片付けをしていた。
そう、作っていたパウンドケーキを。神様と一緒に作って、焼きたてを味わっていた時にふいに神様の表情が無になったと思ったら、打ち合わせをしてくる、なんて言いだしたんだけど。
パウンドケーキは一切れ食べ終わっていたし、取っておいてとは言い残していかなかった。だけど、ちょっと休ませて冷めるとまた違った味わいになるから少しは残しておこうとは思っていたんだ。
「それで、何を食べているのかな?」
「パウンド、ケーキです……」
「俺には?」
春那? とわざとらしく笑顔を浮かべた神様の前で、あたしは味わっていたパウンドケーキをごくりと飲み込んだ。
「ごめん、あとこれだけしか残りがない」
「……そう」
これ、と言ってもいいのかどうか。型に敷いていたクッキングペーパーに僅かに残っていたパウンドケーキ、ぺらりとめくり取った神様がジト目であたしを見ている。
分かっている。残しておこうとは思った。
何を言っても言い訳にしか聞こえない、というか言い逃れは出来ない。さっきひときわ厚く切った一切れを食べている姿を見られているのだから。
「また焼いてくれるでしょ?」
「もちろん! トッピングもお付けします!」
「なら、いいよ」
大きく開いた口にパウンドケーキのかけらを放り込み、神様が型を片付け始めたので、あたしも急いで自分の使っていたお皿やフォークを洗っていく。
仕事だよ、と告げてきた表情は、どことなくふてくされているように見えたので、次のパウンドケーキは早めに焼こうと思う。
*
「あの人にも言ったけど、あたし米と味噌汁があれば良いんだけど」
困ったように笑う担当さんに連れられた、女の子がさっきの神様なんて比べられないくらいにふてくされて告げた。
背中の半分ほどまで伸びている髪は茶色に染められて、全体的に緩く巻いている。目元を強調するようにきっちり引かれたライン、自前だとしたらとても羨ましいくらいにクルリときれいなカールを描いているまつ毛。あたしよりも下だと聞いているけれど、化粧をばっちりしている姿は、ほぼすっぴんのあたしの方が年下に見えるほど決まっている。
ここに来るのは、その直前の姿だと聞いているから、これがいつもの姿、なんだろう。
「おかずは、いらないんですか?」
「いらない」
「卵焼きとか、きんぴらごぼうとか、あ、じゃこのふりかけとかご飯に合うと思うんですけど」
「いらないって」
「……分かりました」
明らかにムッとした様子で表情を変えた女の子に、しまった、と思ったけれど、頭だけ下げてキッチンに向かう。毛先をくるくるといじりだしたから、あんまりこちらに興味はないようだ。
「ご飯とお味噌汁があれば良い、ねえ」
「他の料理には、あんまり興味がなさそうだったよね」
ふう、と小さく息を吐いた神様に頷きながら、あたしもこっそり息を吐きだした。食べようと思ってここに来てくれるのは嬉しいけれど、リクエストはあれ以上聞き出せそうにない。
「春那がいくつか名前を出したのに、反応しなかったし」
「ご飯とお味噌汁、簡単だからこそ美味しくするのって難しんだよ」
きょとんとした顔をした神様に苦笑い。彼女は、ご飯とお味噌汁だけでいいと言ったけれど、それだけでも専門店が出せるくらい、こだわってやろうと思ったら出来ることがたくさんある。
「ご飯もお味噌汁もレトルトがあるでしょ? 手間は省こうと思えばいくらでも出来るんだよ」
その中でも美味しい、と思ってもらえるようなご飯とお味噌汁にするにはどうするか。
シンプルだし、食べ慣れているだろう味だからこそ難しいんだよなあ。なによりあたしに、その辺りの知識があまりない。だけど、調べることは出来ないから、覚えていることからどうにか引っ張ってきてやってみるしかない。
「ご飯は、土鍋で炊いてみようか。久しぶり過ぎて失敗しそうなんだけど」
「春那でも失敗するんだ?」
「ははは、神様の信頼はありがたいけどね。料理してて失敗しない人なんていないって」
お砂糖とお塩を間違える、なんてベタともいえるような失敗の定番だけど、あたしもやったことがある。やけに塩辛くなった煮物は、おばあちゃんと二人でしょっぱいなんて笑いながら食べたものだ。それから、お砂糖は三温糖に変わり、色がついたことで同じ失敗をすることはなくなったけれど。
生焼けのドーナツ、固まらなかったゼリー、とろみをつけるはずだったスープは煮こごりのようにプルンプルンになったことだってある。
まあ、そうやって加減を覚えていったから初めて作るものでもそれなりに出来上がるようになっていった、はずだ。
「そういうものか」
「そういうものですー。それで、次はこうしてみようって改善するから上手になるんだよ」
あとは好みの味付けを探っていくとかね。レシピ通りでも美味しいけれど、もう少し甘みが欲しいなと思ったら、じゃあどこでどれを加えようとか考えるのも楽しかったけれど。
「ただ、今回は本当に失敗前提でやってみるしかないんだよね」
「……事前に聞ければ良かったね」
「それは仕方ないし、担当さんが聞いても、伝わらないかもしれないんでしょ?」
「それは、そうなんだけど」
神様だって、知識はあるけれど実物を見たことがないから、分からないと言っていた。それなら担当さんだって同じだろう。最近は、あたしの差し入れとかここで一緒にご飯食べたりしているからか、名前と知識と見た目が一致する料理は少しずつ増えているみたい。
「それじゃあ、分かっている方から作ろうかな……」
「お米かい?」
「そうだね。お水吸ってもらわないといけないから、まずはそっちか」
出汁を取って具材を合わせるお味噌汁だったら、何回も作っているから覚えている。お正月とかに出汁を取る機会はあったから、家で作っていた時は顆粒出汁を使っていたけれどこっちは大丈夫だろう。安心できる方から、なんて考えていたからお米に水を吸う時間を計算することをすっかり忘れてしまった。神様が言ってくれて助かったよ。
「それじゃあ、お米洗ってっと」
「何か手伝える?」
「うーんとね、今はないかな?」
手伝ってもらうようなことがあるかどうか、すら今のあたしには思い当たらない。何か、ここまで気持ちに余裕がないのは、ここに初めて立った時くらいかもしれない。
ふ、とあの時の事が頭に浮かぶ。それから、今まで料理を出した時のそれぞれの反応を思い出す。うん、大丈夫。久しぶりに作る料理だって、やる事は何も変わらないんだから。
「出汁を取る準備をするから、昆布と鰹節を用意しておいてくれる?」
「了解。うん、その方が春那らしい」
「ありがとう、神様」
パシンと自分のほっぺを叩いて気合いを入れる。さて、始めましょうか。
まだ少し白く濁るくらいで洗うのを止めたお米は、ボウルに入れてお水に浸す。土鍋でそのまま水を吸わせると、急に温度が上がったことで割れてしまうかも、と聞いたのでちょっと手間だけどその時に移すことにする。
それから、神様が用意した昆布をお鍋に入れて、お水を入れて沸騰する直前で昆布を取り出す。昆布はこの後細く切って佃煮のようにすれば最後まで美味しく食べられる。切り干し大根と一緒に炊いても美味しい。
「春那、これこんなに入れるの?」
「そうそう。昆布と同じ分量なんだけど軽いからね」
鰹節を濾すためのざるにキッチンペーパーを引いたものを用意してから、昆布を出したお鍋を沸騰させる。ぐつぐつ煮立ったら火を止めて、鰹節を入れる。そのまま二分くらい待ってから、用意しておいたざるで鰹節を濾せば出汁は出来上がり。
「あんなにあったのに、こんなに少なくなるんだね」
「ふわふわしたのがぎゅっとされただけだって」
キッチンペーパーに残る鰹節を見て、しみじみと呟いた神様に、少し笑ってしまった。これも後から何に使うかを考えるとして、もうそろそろお米に取り掛からないと。
「始めちょろちょろ中ぱっぱ……」
「何その呪文」
「お米を土鍋で炊くときの火加減、なんだけど」
おばあちゃんとこれを楽しく歌っていた記憶はあるんだけど、その時に火加減がどうだったのかまでは覚えていない。だってこれ歌っていたのあたし小学生だか幼稚園だったはずだ。
「やってみるしかないかあ……」
「お米、洗っておこうか」
「そうだね。一応多めに用意はしてあるけど、よろしくお願いします」
「残ったらおにぎり作って具材当てでもしない?」
ざーっとお米を計量しながら笑う神様に、きゅっと力の入っていた肩がすっと軽くなった。それから、おにぎりの具材当てを想像してみる。
混ぜご飯みたいにしたらともかく、中に握ってしまえば何もわからないんじゃないだろうか。まあ、おにぎりをたくさん作って残った昆布と鰹節も使ってお味噌汁を作ったら、それはそれで美味しいだろうしあれこれ言いながら具材を握っていくのも楽しいかもしれない。
炊き方が上手くいかなくても、どうにかできる方法がある。それなら、失敗しても無駄にはしないし、次をもっと良く出来るはずだ。
「それじゃあ、神様そっちは任せた!」
「うん、任せなさい」
お米を洗ったり、お水に浸すのは全部神様に任せて、あたしは土鍋と向き合う。
始めちょろちょろっていうのは、たぶんそこまで強火ではないんだろう。ちょろちょろに見えるのは弱火、かな。
でも、炊飯器の広告は火力を推すものが多かったような気がする。そうだ、小さい時に土鍋で炊いたのは、その時炊飯器が壊れたからだ。
どれにしようか、と悩んでいる間にご飯を炊いていたけれど、そういえばその後炊飯器を新しくした覚えはないな。あれ、そんなに長く使えるっけ炊飯器。
「あ、火加減変えないと!」
土鍋のふちからぷくぷくと小さい泡が見え始めたので、火を強くする。赤子泣いても蓋取るな、って言うくらいなんだからここで中の様子を見たいけれど、きっとそのままの方がいいのだろう。
「これくらい、でいいのかな。うん、開けます!」
ぶわっと蒸気が立ち上る。お米が炊ける時の匂いもしたけれど、土鍋の中のお米は気持ちぺちゃっとしている。試しにしゃもじで全体を解すように混ぜてみたけれど、ぺっちゃりしたままだった。
「火は通ってるっぽいけど、ちょっと柔らかい? 最後の火加減かなあ……」
「どうだった?」
「食べられるけど、もうちょっと、かな。もう一回やってもいい?」
「あっちは気にしなくていいよ。もう一回、やってごらん」
女の子と担当さんを待たせているから、申し訳ないんだけど、これはあんまり満足できる炊きあがりではなかった。これはおにぎり用、と割り切ってもう一度、土鍋と向き合う。最初の弱火を気持ちだけ強くして、最後の強火をためらわずにしっかりやってみよう。
「これ、本当にご飯炊いただけ? お味噌汁も、特別豪華な具材はないし……」
「ええ、ただ単に手間をかけただけですよ」
結果として、おにぎりの大量生産は防げた。神様に研いでもらった分もあるけれど、それはまだ炊いていないから炊き込みご飯とか、アレンジは出来る。そして炊飯器の偉大さを知った。
だけど、味見をしたら土鍋で炊いたご飯は、味付け何もなくても美味しかったんだよね。また機会があれば土鍋でご飯を炊いてみよう、と思えるくらいには。
「どうして、そんなにまでしてくれたの?」
「だって、美味しいって思ってもらいたいじゃないですか」
米と味噌汁だけ、そのリクエスト通りにお盆に乗せたのは炊き立てのご飯とお味噌汁。あれから、豆腐とわかめを入れて、お味噌はちゃんとに火を止めてから溶いた。
「あたしと関わるのは、これが最初で最後の機会なんですから。せっかく出会えて料理を振る舞えるんだったら、美味しいものを食べてもらわないと!」
「考えたこともなかった、そんなの」
ここに来た時の取っつきにくく固かった態度は、ご飯とお味噌汁を食べた後に少し柔らかくなった。どっちも一口食べてから手を止めることはなかったから、気に入ってくれたんだろう。
その食べっぷりを見て頑張って良かったと思えたので、素直にそれを伝えておく。
「これはあたしの考え方で、あなたにはあなたなりの思いがある。それでいいんじゃないでしょうか」
かなり待たせてしまったし、一度失敗をしたのだから、と言う人だっているだろう。それは事実なので、追求されればもちろんそれはごめんなさい、と頭を下げるしかない。
だけど、あたしは失敗してもいいのだと神様に気づかされたし、それを次に繋げられる方法を考えればいいのだと教えてもらった。
この子がずっとお米とお味噌汁だけでいい、と言っていたのだって、もしかしたらそんな手間をかけさせるわけにはいかない、という遠慮の気持ちの表れだったのかもしれないし。
もしそうだったら、伝えるのが得意じゃないんだなとは思うけど。
「何か思い当たることがあるのなら、行動してみればいい」
女の子が、ハッとした表情で顔を上げた。その視線は、声の主を探すようにふらふらとしたあとに、いつの間にかカウンターに座って頬杖をついていた神様で固定された。
「ここを出てから次まで、覚えていられるかどうかは分からないけどね」
「……絶対、覚えててやる」
「ふうん。楽しみにしてるよ」
悔しそうな言葉だったのに、にやり、と口角を上げた女の子は、お米の一粒も残さずに完食していた。
土鍋のご飯、難しかったけど美味しかった。こだわろうとおもえば浸水の時間とか、水の量とか温度とかたくさんあって奥が深いですね……!
お読みいただきありがとうございます。
遅ればせながら、評価・ブックマークありがとうございます。たくさんのやる気をいただいています!




