えびせんとエビチリ
「春那ー、ただいまー」
「え、あ、お帰りなさい!」
ちりん、と風鈴の音は鳴るけれど、あたしが自室にこもっていたりキッチンで何か作業をしていると聞こえないこともある。今回は、食糧庫の整理にもぐっていたから、神様が帰って来たことにも全く気付かなかった。
神様が用意してくれる食材は、だいたいその場で使いきれるだろう分にしているけれど、お米とか粉物はちょっとだけ、というのが想像しづらいので割と大きな袋になってしまう。だから、こうやってしまっておくためのスペースがあるわけなんだけど。
最近あんまり片付けてなかったし、どのくらい残っているかも確かめるついでに掃除をしていたから、結構大きな音は出していたはず。だからこそ、神様もあたしのいる場所が分かったんだろう。
「片付け終わった? 休憩しない?」
「……神様、打ち合わせ疲れたの?」
はい、とあたしの分のアイス片手にこたつに潜り込む神様は、全く疲れた様子を見せていないけれど。
あたしも一区切りがついたし、帰って来たのなら次の話があるはずだから、休憩に反対はない。アイスも、溶けてしまうし。
「春那の用意が良いのなら、次はすぐに準備できるってさ」
「あ、そうなんだ。それならお願いしようかな。向こうも片付いたし」
「ん、了解。それじゃあ伝えておくよ」
幸せそうにアイスを頬張った神様は、それ以上仕事に関する話をすることはなく。食糧庫の片づけをしていたあたしが怪我をしていないかどうか、はしっかり確認された。
それから話したことといえば、アイスにどれを組み合わせるのが一番おいしく食べられるか、とか好きなトッピングとかそんな事ばかり。好き嫌いが分からない、と言っていた時から比べたら随分な変わりようだとは思うんだけど、神様の好みは甘い物に偏っているんだよなあ。
そんな事を思っていたからだろうか、担当さんに連れられてやって来た人のリクエストに、思わず笑顔が浮かんでしまったのは。
「エビチリですね。辛くても大丈夫ですか?」
「ああ、限度はあるけれど」
「食べられないものは作りませんって」
眼鏡をかけて、髪の毛をきっちり整えている男性。皺ひとつないスーツに身を包んでいるし、ピシッと背筋を伸ばした姿は、どう見ても仕事の出来る人だ。
エビチリ、とリクエストをした様子は少しだけ恥ずかしそうだったけれど、それも一瞬ですぐにスッと表情を戻していた。
「さて、それじゃあ作りますか」
神様と一緒にキッチンに入る。もう何も言わなくても神様はエプロンを着けてくれるし、手も洗ってまな板、包丁を用意してくれる。それがここであたしと共に過ごした時間の表れなのかと思うと、自然と笑顔が浮かんできた。
「春那、これは?」
「ふふふ、これはね油で揚げると面白いの」
「え、これ食べ物?」
エビチリだったらご飯も一緒だと美味しいけれど、あたしはこっちも同じくらい好きだ。半透明で色のついた円形の、見た目だけはプラスチック。だけど、これは揚げるだけでとても美味しいものに変わる。どれくらいかというと、手が止まらずにあっという間にお皿一枚を空にしてしまうくらいに。
「揚げたても美味しいけれど、ちょっと油切るのが必要だから先に少し味見用に揚げようか」
「そうだね。ぜひ」
神様の目がキラキラしている。新しいものを知るときの神様の表情は、子供のように楽しそうだ。それから少しだけえびせんを揚げて、神様とこっそり味見をした。パリッといい音を立てて割れるえびせんは、ほんのちょっとの塩しか振っていないのに美味しい、と神様が喜んでいた。
少しだけ口に吸いつく様な感触が残るこのえびせんは、中華街とか中華料理を出してくれるところのお土産としてもらって知った。家で作れると知ってからは酢豚やエビチリを作るとなったら必ず一緒に揚げていたくらい、馴染みのあるもの。
「味も分かったところで、エビチリ作るよ」
「エビと、あとは何が必要なんだい?」
「長ネギかな。それ以外は調味料だから」
長ネギ、と聞いたとたんに神様がスッと包丁に手を伸ばした。うん、いつもありがとうございます。長ネギ含めてねぎのみじん切りは神様の担当です。
その間にあたしはエビの下準備を進めておく。背ワタを取ったエビを洗ってから、お酒と生姜、塩胡椒で下味をつけておく。塩で少しだけ水が出るから、丁寧に拭いてから片栗粉を振りかける。
「春那、ネギ終わったよ」
「ありがとう。それじゃあ、こっち任せていい?」
エビを炒めている手を神様と変わって、あたしは調味料を混ぜていく。ケチャップに、お酒、砂糖、鶏ガラスープの素、お醤油にニンニクと生姜のすりおろしを水で溶いておく。
こう上げていくと数が多いけれど、エビチリを作るためだけに買わないといけない、のは豆板醤だけだろう。それだって辛いものが苦手ならなくてもいい物だし。
「先に豆板醤をちょっとだけ入れて、炒めて香りを出して……っと」
「これ、辛いやつだよね」
「そうそう。少しずつ入れていけば好みの辛さが見つけられると思うよ」
今回は小さじで、しかもすりきりにしたからそこまで辛い出来にはならないと思う。エビの色が変わったタイミングでネギも入れて、それから調味料を加えて炒める。
エビに振りかけた片栗粉のおかげでとろみが出るので、その辺りを目安にして火から下ろす。
「はい、味見」
先に揚げてあったえびせんで、エビチリをひとすくい。えびせんの美味しさは知ってもらっていたけれど、エビチリの辛さはまだ分からない。だから、食べられるけれどあんまり辛い物が得意ではない神様にどの程度の辛さで仕上がったかを試してほしかったんだけど。
「うん、このくらいなら美味しいと思えるよ」
「良かった。じゃああの人もきっと大丈夫だね」
もう一口、と伸ばしている手をぱしんと叩いて、これ以上のつまみ食いを止める。気に入ってくれたのは嬉しいけれど、あんまり食べられてしまうと男性の分が無くなってしまう。
まあ、神様は分かっているだろうからこれもただのおふざけだろうけれど。
「これは、見たことはあるが食べるのは初めてだ」
「そのまま食べるのもありですけど、エビチリのタレ、すくって食べると美味しいですよ」
ご飯に、卵スープをつけて定食のように盛ったエビチリと、その隣にあるえびせんを見た男性が、ちょっとだけ眉を寄せる。見たことがなかったから、何だかわからなくてそんな表情になったのだろう。
食べ方を説明してから、まずはエビチリを食べて辛さを確かめた男性は、そっとえびせんを手に取った。
エビを乗せることは出来なかったから、タレをすくって口に運ぶ。ぱりっといい音を立てるえびせんに驚いたように目を丸くしていたけれど、味は気に入ったのか男性は黙々と食事を進めていく。
「これはいい。まさか、このような場で新しいことを知るとは思ってもいなかった」
最後にひとつ残したえびせんを、大切そうに摘まみながら、ポツリと男性が零した言葉。その通りだとは思うけれど。次があるとはいえ、まさか一度終わったところで新たな事を知ってそれを体感できるなんて思いもしないだろう。
「どんな時でも、知らなかったことに出会うのは楽しいことだよ」
今までのきりっとした表情を崩した男性の一言は、忘れない。
初めて揚がっていないえびせんを見た時の衝撃。こんな小さいのにここまで大きくなるのかと。
わざと唇にくっつけて少し湿気たものを食べるのも好きです。
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