まるまる魚でアクアパッツァ
「お掃除終わり、っと。思っていたよりも時間かかっちゃった」
共用で使っているこたつ周辺、それからキッチンは神様と二人で掃除をするけれど、自室はもちろんあたしだけしか使っていないので掃除も自分でやらないといけない。さすがに、神様にこの部屋まで手伝ってもらう気にはならないし。
定期的に掃除はしているけれど、気になりだすとどんどんと掃除したいところが増えていくのはなぜだろうか。テストとかやらないといけない事がある前に、部屋とか机の上の掃除を始まる気持ちと一緒なのかもしれないな。
「神様お待たせーって担当さん来てたんだ?」
「ああ、お疲れ春那」
「お邪魔しています」
ひらひらと手を振って来る神様に、ぺこりと頭を下げてくれる担当さん。テーブルで向き合って話している様子だけれど、二人の間には、何もない。
「なんだ、言ってくれたらお茶淹れるのに」
「いえいえ、もう用件は済みましたから。それ、使ってくれているんですね」
「あはは……まあ、髪飾りよりは手に取りやすかったので」
あの髪飾りは、まだベッドの上で飾りになっている。例えるなら、バレンタインとかでばら撒きように大量に作ったお菓子のお礼として高級ホテルのお菓子が返って来た、みたいな感覚。恐れ多くて普段では使えないと思っていたあたしが気兼ねなく使えるように、と担当さんが用意してくれたのはちょっとだけパールのような飾りがついたヘアピンを何本か。
これなら普段でも使いやすいので、今日は前髪を留めている。
「ああ、そうだ。春那、次に連れて来る転生者なんだけど」
「なんだけど?」
「ええっと、何かずっと呟いている言葉がありまして。何の呪文なのかと相談していたところなんです」
「春那だったら分かるんじゃないかな、って」
担当さんが困ったように笑っているけれど、あたしが分かるかどうかも分からない。もちろん二人ともそれは分かっているから、あたしに思い当たるものがあればいいな、くらいの感覚なんだろう。
「ちなみに、どんな?」
「さかなさかなさかなーっと呟きながら、メロディに乗せているんですけど、お分かりになりますか?」
「……もしかして、それって後に頭が良くなるーって続いてます?」
何かを思い出すように担当さんが目を閉じてから、小さく頷いた。まあ、さかな~と歌うような曲はあたしの記憶でもそれしか思い当たるものはない。となると、次に来る予定の転生者は同年代の可能性が高くなった。今のところ年代だけなら、同年代の人が一番多いんだよね。説明が少なくて済むのと、そのくらいの年代を求めている世界が多いから、という理由だそうだけど。
「ああ、やっぱり分かるのか」
「刷り込みのように一時期、スーパーでずっと流れてましたから。それはいいけれど、リクエストも魚になりそうな感じですかね」
ずっと口ずさんでいるくらいなのだから、その人は魚が好きなのかもしれない。だったら魚料理のレシピを思い出しておかないといけないから、と担当さんに聞いたのに、どうやらそうでもないらしい。
今の質問は、単純に担当さんがどんなものなのかが気になっていたから神様に確認していた、という意味合いの方が強いそうだ。
「ですが、下手に覚えて転生されるよりも、食べてもらってスッキリさせた方がいいのでは、と言われていまして」
「本人にはその話をしてないから、春那がうまく誘導してくれる?」
「ええ……責任重大じゃないのそれ」
「任せたよ」
予想外のところからやって来たミッションに、思わずため息が漏れてしまう。幸せが逃げるよ、なんて言われたけれどそれを持って来たのは面白そうに笑っている神様なんだよね。
魚、と言わせるような話し方かあ。考えてみたけれどなかなか難しそうだ。やってみるしかないか。
「うわ、こんなところもあるんだ。え、めっちゃおしゃれじゃない」
あたしの頭のなかまで魚がぐるぐると泳ぎ始めたけれど、その人は割とすぐにやって来た。あんまりいい案は浮かばなかったから、とりあえずほんのりと出汁の香りがするようにはしておいた。まあこのくらいで誘導されるくらいなら、苦労はないはずだ。
「ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです」
「わ、え、ちょっと待って、人がいるなんて」
「……説明はしてあるはずだけど」
すっとキッチンから顔を出して、やって来た人にご挨拶。とたんに慌てたように首をあちこちに彷徨わせ始めたのは、茶髪を頭の上でお団子に結った女性。年代も一緒だからその様子に親近感を覚えてしまう。あたしも慌てたらきっとあんな行動をしているんだろうし。
「ねえ、ちょっと聞いてる? 説明ちゃんとしたんだよね?」
そうして、遅れて顔を出した神様をじっと見つめた後に、女性は固まったように動かなくなった。ぼふんと音が鳴るようなくらいに勢いよく赤くなった顔は、今どんな気持ちなのかを言葉よりも分かりやすく伝えて来る。
女性の前でゆるゆると手を振った神様が、ちょっとだけ眉をひそめて担当さんに振り返る。
「ええ、ですがあなたの顔についてまでは」
「ああ、分かる。担当さんもだけど、神様はねー」
「春那は何も言わないだろう?」
「そりゃこれだけずっと見続けてれば。ふとした時にはびっくりするよ、整いすぎてて造り物みたいだもん」
今までの人は、実際のところ神様の顔をほとんど見ていない。基本的に連れてきた人が転生者の世話をするから、同じテーブルに着くことはないし。担当さんが固定になったけれど、神様から転生者に話しかけたりすることも必要以上にはない。
だからこそ、こうやって神様の顔を直視してしまうと固まるのだ。その顔の整い具合は、モデルとか芸能人だったら間違いなくトップレベルなのだから。
「あ、復活した。それじゃあ食べたい物を教えてください」
ひらひらと振った手の動きを目で追い始めた女性に、にっこりと笑いかける。内心、何を言われるのか、どうやって魚料理に誘導しようかとドキドキしているけれど、どうにかそれは顔に出さないように力を込める。
「えー……あの人たちの前でご飯食べるのー?」
「ああ、大丈夫ですよ。向こうで待機してもらいますから」
気持ちはすごくよく分かる。隣に神様がいるからどうしても霞んでしまうが、担当さんだって眼鏡で隠れているけれど顔立ちはすごく整っている。
そんな人達の前で食事をするのは、あたしだってちょっと遠慮したい。そう言えば安心したように表情を緩めた女性が、今度は真剣に何を食べたいかを考え始めた。時々聞こえるのは、オムライスとか唐揚げ、チヂミ。どうやっても魚関係の料理名は出てこない。
「魚と呟いていた、と聞いてますけれど」
「ああ、あれね。何か頭の中で回って離れなくなっちゃって」
そういえば、と今思い出したかのように言えただろうか。女性がそうそう、なんて笑いながら歌い始めたからつい一緒に歌ってしまう。だってあれ、一度思い出したらしばらくの間、頭の中から離れてくれなくなったんだよ。どのくらいかといえば、ここ最近どうやって魚料理に誘導しようかと考えていたのもあるだろうけれど、夢で魚と一緒に運動会をするくらいには残っていた。
「でも、せっかくだから魚料理! なんか華やかなのが良いなー」
「了解しました! お待ちくださいねー」
担当さんがテーブルに着いたのを確認してから、女性はカウンターに案内する。作業している姿は見えるだろうけれど、どうやら神様の姿はあまり認識されないようになっているらしいから、女性が神様の顔に見惚れる、ということはないはずだ。
でも一応、神様にはあまり表に出ないような作業をお願いしようかな、と思いながら二人でキチンに向かう。
「華やか、華やかねえ……」
「魚、なんだよね?」
「魚だけど、華やかなのってあんまり思いつかなくて」
うまく魚には誘導できたけれど、これはこれで悩ましいリクエストが来た。あたしが腕を組んで唸っているからか、神様が少しだけ不安そうな顔をして問いかけてきた。
「春那が良いと思った料理にしなよ。感覚も近いだろうし」
「よし、それじゃあ手伝ってね、神様」
料理の名前とか、レシピとかはたぶんあたしよりも神様の方が知識はある。だけど、それを実際に作れるかどうか、と聞けばおそらく答えはノーだ。だって神様、最初に手伝ってもらった時の包丁の持ち方が本当にただ持つ、だったのだ。今では皮むきを任せているから、包丁の扱いなんてお手の物って顔しているけれどね。
「丸っと一匹使いたいから、今回は真鯛にしようか。見た目もいいからね」
おじさんから釣果のお裾分けをもらったことがあってよかった。生の魚を処理するような機会がないと、こうやって丸々一匹を使って作る料理の始めから躓いてしまう。
内臓と鱗を取って、よく水で洗う。こうしておかないと魚の臭みが残ってしまうから、と言われたし、あたしが覚えるまで何匹も魚を持って来てくれたおじさんに感謝だ。
「ねえ、神様。スキレットってあったっけ?」
「んー? ないんじゃないかな。用意する?」
「そうだね。このくらいの大きさでお願いします」
これくらい、と両手で円を作って大きさを示せば、神様がそっとスキレットを用意してくれた。使い初めには油ならしをしないと長持ちしないと聞くけれど、神様が用意してくれたものならたぶん大丈夫だろう。
スキレットを温めて、オリーブオイルとにんにくを入れる。そのままにんにくを入れっぱなしで最後に美味しく食べてもいいけれど、匂いが気になるのなら油に香りが移った段階でにんにくは取り出してしまえばいい。
「神様、野菜切ってくれる?」
色合いを華やかにしたいからパプリカ、油を吸って美味しいマッシュルームに、旨味を出すために貝類。この中で切らないといけないのはパプリカとマッシュルームだ。まあ、これも適当な大きさでいいのがアクアパッツァのいいところ。正直、材料を用意して煮込むだけだから、見た目の割に手はかからない簡単な料理だ。
「切ってもらっている間に、あたしは真鯛を焼いてるから」
「分かった。終わったら持って行くよ」
にんにくの香りが移ったオリーブオイルで、真鯛を片面ずつ焼き目をしっかりつけていく。柔らかい身だから、あんまりいじると崩れてしまう。なので、丁寧にトングでひっくり返すけれど、それだけだ。
「おお、これはいいね」
「でしょ? 野菜、ありがとう」
焼き目をつけた真鯛は、それだけで美味しそうだ。ここに白ワインを入れて煮込み、アルコールが飛んだくらいで切ってもらったパプリカ、マッシュルーム、ハマグリを加えて弱火にしてからじっくり蒸していく。
ミニトマトをそのまま入れても美味しいし、きのこをもっとたくさん入れたっていい。貝はムール貝が準備できれば見た目が豪勢になる。もちろん、味だって美味しくなるけれど。
「これくらいでいいと思うんだけど、神様どう?」
「ん? 味見?」
「そう。物足りなければちょっと調整するから」
じっくり蒸したので、いろいろな具材から旨味たっぷりの出汁が出ている。これでもいい味になっていると思うんだけど、どうだろうか。そっと小皿を神様に差し出して、味見をしてもらう。
一口味わってから、顔をほころばせた神様に感想を聞かなくても分かる。美味しかったんだろう。これならそのまま出しても問題ないだろうから、熱々のままで持って行けるように鍋敷きとミトンの用意をする。
「スキレットで作ったから、熱々のままですよー!」
「わあ! 魚まるっと食べる事なんてないよ。すごーい、写真撮りたいなー」
はい、と出したスキレットは熱いから気をつけてください、と注意はしたけれどアクアパッツァにテンション上がっている様子だから、女性の耳に届いていないかもしれない。
「魚って言っただけなのに、こんな素敵な料理が出て来るなんて思わなかったわ」
「いえいえ、満足してもらえてよかったです」
幸せそうな笑顔を見せてくれた女性を見送って、これで魚が頭の中を泳ぎまくることもなくなるだろうと思っていたのにその日の夜に見た夢は、魚と野菜が仲良くダンスしているところだった。
切り身でも美味しいけれど、見た目華やかなのは一匹使ったもの。
残った出汁をパスタに絡めても美味しいですよね。
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