きっかけのちらし寿司
「そういえば、神様ってどんな事まで知っているの?」
あたしが起きたことを確認してから出ていった神様が、戻ってきてこたつでアイスを楽しんでいた時に、ふと思い浮かんだ疑問を問いかけてみた。
本に書いてあることは何となく分かっている、らしいんだけどその本の種類がどんなものなのかまでは聞いたことがなかったな、と思ったのがきっかけ。あたしがここに来てからほぼずっとこの場所で同じ時間を過ごしているけど、本を読んでいるような素振りをほとんど見ていないのも理由ではある。まあ、あたしも自分の部屋として区切った空間にこもってノートをかいていたり、ベッドでゴロゴロと過ごす時間だってあるから絶対に読んでないとは言い切れないけれど。
「どんな事、っていうのは?」
「いやあ、料理はしたことないのに調理器具には詳しいし、食材の説明だってほとんどしないのに正確なものを用意してくれるじゃない?」
「あのね、春那が具体的に思い描けないものはいくら俺だって準備は難しいんだって」
頬張っていたアイスを飲み込んでから、呆れるような表情を向けてきたけれど。神様の言葉は、嘘がない。こっちをからかうような態度と口調で隠れていてすごく分かりづらいから、最近ようやく分かって来たところではある。
「ほら、難しいだけで用意できないとは言わないじゃない」
「……そういうところ、よく拾うようになったよね」
「ふふふー、あたしだって成長するんですー」
返事の代わりに食べていたアイスをひとつ、あたしの口に放り込んできた。あ、これリンゴ味。そのまま食べても美味しいけれど、これをサイダーに入れて食べるのが好きだったなあ。そう思ったら神様がにっこり笑ってサイダーを手渡してきた。
「分かりましたよ、グラスは二つ?」
「ありがとう、春那」
しゅわしゅわのサイダーに浮かぶ、いろんな色の丸いアイス。口の中でころころと転がしながら少しずつ溶かしてくのがまた美味しいんだ。半分くらいになったところで砕いて、サイダーと一緒に流し込む。別に季節関係なく食べられるけど、あたしにとっては爽やかで、お手軽な夏の味。
じりじりと肌を焦がすような太陽の光、青い空に浮かぶわたあめみたいに大きな雲、風が吹けば涼しげな風鈴の音が響く。そっと目を閉じれば、ここにはない夏の景色が見えたような気がした。
「いらっしゃい。お待ちしてました」
「え、ええと……よろしくお願いします、でいいのかな?」
整えられた茶髪が、首を傾げる動きに合わせてサラリと揺れる。こちらを興味深そうに見ている瞳も、黒よりもこげ茶に近い。人懐こそうな笑顔を浮かべているのはあたしよりもちょっと年下で、男の子って言った方がしっくりくるような見た目をしていた。
動きやすそうなパーカーにスウェット、どうやら深夜にコンビニで買い物をした帰りに召喚されたそうだ。なるほど、実羽さんと一緒のパターンで帰れる可能性のある人だ。それを、本人にいうつもりはないけれど。
「食べたい物、決まってますか?」
「あ、そっか、ご飯かー」
「いろいろ思い浮かんで、決めきれなかったのですよね」
うんうんと唸りながら頭を抱え始めた男の子に、担当さんが補足をしてくれたけれど苦笑いだった。どうやら、説明してからここに来るまでの時間、かなり悩んでいたのに決めきれていない、という事だろう。
まあこの先に何があるか分からないし、転生する世界の食事情がどうなっているのかだって知る手段はない。それなら、あれもこれも、と思い浮かぶのだって無理はないだろう。今までの人達だって、悩んでいた人の方が多いんだから。
「……好きな食べ物、何ですか?」
「一番は、お寿司かな。あ、でも他にも好きな物あって」
「選びきれないんですよね。とりあえず、お寿司の方向で作り始めていいですか?」
「え、っと。はい、お願いします!」
頬をかきながら悩んでいる男の子に、他にも何かこれ、っていう料理あったら教えてくださいね、とは伝えてからキッチンに来た。けれど、あの様子だったらたぶんやっぱり違う物、とは言ってこないと思う。
料理が決まりそうになったら明らかにほっとした様子をしていたから。選択肢が多すぎるっていうのも、選ぶ側にとっては大変な時ってあるよね、とそれについてはよく分かる。
「お寿司、かあ」
「そんなに頭を抱えるものかい?」
「いや、まあ……一言でお寿司って言っても種類がね、多いから」
「どれを求められているか分からない、と」
選択肢が多いのは、こちらも同じ。とりあえず、と言ってキッチンにやって来たし、あたしも正直あのタイミングではそこまで考えが巡っていなかった。だけど、今になって思えばその呼び方をする料理はそこそこあった。
「だいたいお寿司って言えば握り寿司だと思うけど、難しいんだよ」
そう、お寿司イコール握り寿司。だいたいイメージするのはそれだと思う。問題は、自分一人だったらお手軽に製氷皿でシャリをまとめて魚の切り身どーんっと乗っけても許されるだろうけど、ここで、癒しが必要だという人にそれを出してもいいのだろうか、というところ。魚だって切り身を用意してもらえばはっきりいって、調理の手間なんてほとんどかからずに作れてしまう。それで癒しになるのかと。
「……だったら、握らなければいいんじゃない?」
「え? 神様なんて言った?」
どうしようか、と悩んでいたところに何の気負いもなくかけられた言葉。考えることに夢中になっていたから、自分でも思っていた以上に低い声が出てしまう。それをどう取ったのか、神様が慌てて言葉を続けていく。
「だから、握るのが難しいんだったら、握らなくてもいいんじゃないのって。完璧なものを求めるのも分かるけど、春那は勉強中なんだし」
「あ、違う違う! 怒ったわけじゃないのよ。ごめんなさい」
あたしの態度は、気を悪くしたと思われていたようだ。まあ、いきなり低い声で反応すればそうなるよね。これは間違いなくあたしが悪いので、頭を下げる。
実際に思ったことはそうではない。むしろ、どうしてその考えが出てこなかったんだろうと思うものだったのに。
「握らないお寿司があったのに、思いつかなったから。神様さすがだよー!」
「お役に立てたなら良かったよ」
「それじゃあ、材料用意しなきゃね」
どちらにせよ、あまり火を使わずに出来るものに変わりはない。だけど、見た目の華やかさも大事だから色合いには注意して用意しないと。
「レンコン、剥いてくれる? 滑りやすいから気をつけてね」
「これはどうするの?」
「甘酢漬けにするの。シャキシャキしてて美味しいよ」
皮を剥いたレンコンは、薄切りにしてシャキシャキとした食感が残る程度まで茹でる。お水とお酢、お砂糖に輪切りにした鷹の爪を少しだけ。あとはレンコンを漬けておけば、ご飯やお魚の用意をしている間に良い感じになるだろう。
「お魚何にしようかな」
卵の薄焼きは細く切ってあるし、レンコンは準備中。あとはメインのお魚を何にするか、何だけど。これは本当に好みだから白身魚でまとめてみたり、マグロの中落ち中心にしてみたり、と自分で作るときは自由に選んでいた。
「予算を気にしなくていいっていうのは、本当にありがたいことだよね。今更だけど」
「まあ、ここじゃお金あっても使えないけどね」
「そういうことだから、贅沢にお魚乗せても大丈夫なんだよね」
そう、予算。ここでは神様の力が及ぶ限り好きなものを用意できる。限度はあると言っているけれど、この真っ白だった空間をお洒落なカフェ風の内装にしたり、区切った空間をあたしの部屋としてみたり、となかなかな改装をしても神様が限界を訴えることはなかった。
なので、食材に関してはあたしの想像が及ぶ範囲でほぼ制限なく用意してもらえると思っているし、それは間違っていないと思う。
「これ、全部乗せるの?」
「ちょっと欲張り過ぎちゃった」
「まったく……溢さないように気をつけなよ」
だからこそ、こうやって神様から苦笑いされるくらいに用意しても大丈夫だと思えたんだけど。
ご飯と一緒に口に入れられるように、お刺身からさらに小さく切ったお魚を、どこを取っても均等になりそうな感じでご飯の上に散りばめていく。
大葉は好みがあるので別添えにして、ゴマは風味付けとしてぱらぱら振りかけた。
昆布とはまぐりを弱火で火にかけて作ったすまし汁もあるから、これで出してみよう。他にも食べたいと言われたらちらし寿司を食べてもらっている間に作ればいいだけだ。
「お待たせしましたー、ちらし寿司です」
「え、めちゃくちゃきれいなんだけど!」
「ありがとうございます。さあどうぞ、めしあがれ」
「うん、いただきます!」
寿司桶、用意すればよかったかな。四角くて黒いお皿があったからちょうどいいなんて思ったんだけど。次の機会があったら、用意してもらおう。
「魚もたくさんあるし、これ、レンコン? ちょうどいい酸っぱさで美味しい!」
「それは良かった。たくさん食べてくださいね」
「うん!」
嬉しそうに笑っている男の子は、満足してくれただろうか。料理だってたくさん食べたい物があるなかから、あたしが決めてしまったようなものだったし。
「ご馳走様でした! とっても美味しかった!」
「お粗末さまでした」
「俺さ、何かから選べって言われると頭真っ白になっちゃうんだ」
だから、料理もずっと悩んでいたけれど決めきれなかったのだと苦笑いを浮かべている。困ったように頬をかく仕草は、きっと癖なのだろう。
「だけど、こうやっていいところを選んでもいいんだって分かったから。たぶん、これから先も悩むだろうけど、自分なりに頑張ってみるよ」
「……そんな理由は、込めてませんが」
「あはは! いーんだよ、俺がそう思ったんだから」
お寿司、だけだったら難しいと思っていたあたしだって神様の一言でちらし寿司を作れたんだし、なにがどんなきっかけになるのか分からないものだ。
まさか、そのきっかけがあたしの料理で、しかもそれを出した意図を思ってもいない方向に解釈されるとも思っていなかったけれど。
何にせよ、料理だけじゃなくても役に立てたのなら、なによりだ。ここを出ていく時の男の子の表情は、来た時よりも少しだけ、前を向いていたのだから。
レンコンの甘酢漬けだけでご飯食べられるタイプです。
お魚は、サーモンにとびっこがあれば満足。いくらは幸せ。
お読みいただき、ありがとうございます。