1.
初仕事、その前に。
それは、あたしがこの空間に最初に感じた白い箱、以外の感想をようやく持てるようになった時だった。
「ああ、春那。そろそろ呼ぼうと思うんだけど」
いつもここにいると自分で言っていたけれど、本当に誰かが呼びに来るとき以外はこの場所にいた。そんな神様はこの白い空間に何も思っていなかったようで、あたしが次々と自分の居心地のいい空間に改造していくのを面白そうに見ていた。
「……垂らさないで下さいよ?」
「いやあ、このコタツってやつはなんて素晴らしいんだろうね……」
そう、面白そうに見ていたのだ。神様は。それが、どうしてこんな事になっているんだろうか。
真っ白かった空間、それが今はあたしの城であるキッチンが整えられ、更には生活するスペースも出来た。寝ることも、食事だってなくても大丈夫だと言われたから最初は動き回っていたけど、結局今までと同じように過ごすことにした。
そんななかで神様のひときわお気に入りになったのが、こたつ。緑茶を知っていたのに、こたつを知らなかったのは不思議だったんだけど、あたしがキッチンの動線をあれこれ考えるために呼び出してもらったその日に、堕ちた。
アイスをかじり、僅かに赤くなった頬で幸せそうに微睡んでいる。もはや、こたつの住人と呼んでもいいくらいその場から動かなくなった神様を表すのに、これ以上相応しい言葉はないだろう。
「こたつむり……」
「何か言ったかい?」
「いいえ?」
にっこりと笑って、物足りなそうにアイスの棒をかじっている神様に、追加でアイスを渡しながらあたしもこたつに入る。神様のお気に入りは、バニラアイスをもちもち大福で包んだやつだ。どっちが長く伸ばせるか、なんて競争していたけれど、あたしの倍以上は消費している神様はすぐに長く伸ばせるようになった。その時のドヤ顔がちょっとだけ腹立たしかったから、あたしはお高いカップアイスを食べるようにしている。
初めは自分だけしか使わないだろうと思っていたから小さかったこたつは、この場で寝転んで昼寝をすることの幸せを覚えた神様の手によって、そこそこ大きいサイズへと変更された。なのであたしが入ったくらいじゃ場所を取るなんてことにはならないんだけど、神様はもぞもぞと動いて体勢を変えた。
「で、さっきの話だけど」
一瞬で空気を切り替えた神様の顔はハッとするくらいに真面目なのに、口の端にアイスが残ってしまっているのだけが残念だ。そっとティッシュを差し出して口元に持っていけば、気づいた神様は少しだけ困ったように笑っていたけれどすぐに表情を戻す。
「春那もこの空間にだいぶ慣れたでしょ? 落ち着くまでは他の管轄に任せていたけど」
「もしかして、仕事しろってせっつかれた?」
この空間が、もはや白一色だったなんて思われないだろう。それくらい劇的に変わるくらいの時間が経っているのに、初めに言っていた料理を出すべき人、はまだ来ていない。そのためにあたしがいて、この場を整えてもらったんだから口を出されても仕方のないことだろう。
この場を好き勝手いじっている間、神様がそんな事を言われていたんだとしたら、その責任はあたしにもあるのに。
「そんな事は言わせないよ。
……だけど、この機を逃すとめんどくさいのが来そうなんだよね」
高らかに主張してくれたのに、その後にボソッと呟いたのは聞こえなかった。聞き返したところで答えてくれない、というのはこの短い時間でも学んだからそれ以上何も言わないけど。
「だからさ、ここらで一回やっておかない?」
「あたしが来る人を選べるわけじゃないんだろうから、そこは任せます」
「それじゃあ、初めてのお客さんだ。よろしくね?」
いくらこたつから抜け出せずに周りにいろいろ物を置いてのんびりしていようとも、神様は神様だ。それにあたしにとっては上司でもある、んだと思う。それならばいい部下であるために指示には従っておくべきだろう。実際、神様から放り出されたらあたしはどうなるか分からないのだし。
「よろしくって言われても、何をどうすればいいの? ただ料理作るだけ?」
「あー、そっか。じゃあ初めてだから説明しようね」
ここが異世界転生をする前に魂を休める場所、だというのは聞いた。ただ、どういう傷がついているのかとか、どんな状態の人が来るのだとかは話していない、はずだ。最初にまとめて説明してくれた時に話していたのだったら、あたしが聞き逃しただけなんだけど。
「春那の世界から見れば異世界、向こうからしたら春那の世界、つまり地球だね。そっちが異世界になるんだけど。
だいたいが世界の危機だとか、そういう理由で異世界から人を召喚することになる」
「え、そんな状況で行って大丈夫なんですか?」
「だいじょーぶ、向こうに召喚されるときに渡り合える力を与えてるから」
ひらひらと手を振りながら心配するなとでもいうように笑顔を作る神様からは、誤魔化すような空気は感じない。なら、異世界に召喚される、という人たちはとりあえず安全は保障されているんだろう。
ここで料理を食べてもらって、魂が癒えたとしても異世界に着いてすぐになにか、傷つくような事にはならないなら安心した。
「向こうが呼んでいる人物と、こっちから呼び出される人物。ある程度の条件をすり合わせるのも、仕事の一部だからね」
「……なんで、そんなことしてるの?」
「世界の偏りを正すため、かな」
この短い時間でも分かってしまった、答えてくれない時の顔をしていたから、質問を変えることにした。神様もあたしが話を逸らしたのは分かっているのに、あえてそれに乗って来るんだからここはこれ以上探られたくないんだろう。
「料理は、どうやって出せばいいの?」
「いつもと一緒でいいよ。魂っていっても、ちゃんとに人の姿をしているから」
実はそこ、結構気になっていたところだったんだ。魂って簡単に言うけれどその手のものは全く見えなかったし感じなかったから、ここに魂が来ています、なんて言われても見えるかどうか、むしろ料理を食べることが出来るのか、はひそかな疑問だった。
「一応、こっちから簡単な資料は渡せるけど、どんな料理を作るのかは春那に任せるよ」
「え、希望聞いているんじゃなくて?」
「希望を聞きたいなら、ここに連れてきてから直接聞きなよ」
お店のように、こちらでメニューを決めておくものだとばかり思っていたので、今の神様の言葉には目を丸くしてしまった。
いくらあたしがそれなりに経験をしてきているとはいえ、あくまでプロを目指していた素人だ。それがそんな簡単にリクエストに応えるなんて芸当が出来るはずがない。
「だいたい年齢は春那くらいから少し上が多いし、そこまで変な注文来ることはないと思うけど」
「だけど、来る可能性はあるんでしょ?」
あたしが慌てているのを面白そうに見ている神様から、もう何個目かも分からないアイスを奪い取る。こっちが初めての仕事に緊張しているっていうのに、向かいでパクパクとアイスを頬張っているんだから。
「クレーマー、っていうの? 変なのは連れてこないよ。俺が選ぶんだから、信じてくれない?」
「その言い方は、ずるいです……」
ちょっと不満げに口を尖らせて、拗ねたような声色に、極めつけは上目遣い。この神様、見た目が整っているだけあってそんな表情をされたらあんまり耐性のないあたしには抵抗する術がない。
こたつの住人となっている姿を見慣れてしまったから本当に今更だけど、神様と聞いて想像するものを全部集めました、みたいな外見なんだからそりゃあもうかっこいいのだ。黙っていれば。
「それで? 信じてくれる?」
「あー、分かりましたよ! その代わり、初めてなんだから不手際あっても多めに見てくださいよ!?」
「もちろん。頼りにしてるよ」
なんだか、上手く言いくるめられたような気がしなくもないけど、そんな感じで話は進んでいった。
食べるところが必要になったから、こたつだけじゃなくてテーブルも用意したり、食器を増やしたりなんてバタバタ準備をしているうちに、あっという間にその日を迎えることになった。
「春那、渡した資料は読んである?」
「読んでっていったって、名前と性別しか書いてなかったじゃないですか」
「そうだった? ま、もう来るからよろしくね」
必要な書類だよと言って渡された紙には何も書いてなかった。神様を責めようにも時間がなくて、気づいたのがちょっと前だったのが悔やまれる。
「さあ、心の準備はいいかい?」
キッチン、綺麗になっている。テーブル、整えた。
ふう、とひとつ深呼吸。ここがどこであろうと、今から迎えるのは、あたしの料理を食べてくれる人。
「お願いします」
どんな人が来たって、あたしは喜んでもらえるように全力で料理を作るだけだ。
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