火を使わない丼
試験が終わってから、神様が少し忙しそうにしている。どうしてそれをあたしが分かっているのかといえば、ここを訪れる人の顔ぶれが毎回違うからだ。
気配を読むなんてことが出来ているんじゃないかと思うくらいに、ここに来る人が空間を繋ぐ扉を開く前に席を立つ神様。だからあたしがお迎えすることなんてほとんどないんだけど、時々お茶を要求されることはある。その時にちらりと顔を見ると、来たことのある担当さんだったときもあれば、神様の服に近いものを身に纏っている人のときもあった。
話し声は聞こえているのに理解は出来ないというのが不思議でしょうがないけれど、あたしに必要な事だったら同席させるか後から説明があるはずだから、きっと今のあたしには必要ではない、ということ。
「ただいまー。春那ー、仕事がやって来たよ」
「おかえり神様。疲れた顔してるのはそれか」
だから、あたしは気付いていない振る舞いをする。神様がそれに気づいていることを分かっているけれど。
頭痛を抑えるような仕草をしながらこたつに潜り込んでくる神様に、そっとお皿を差し出した。
今日のおやつは、マカロンだ。卵白が余ったから作ったけれど意外と上手くいったから、これなら誰かにリクエストされても自信をもって出せそうなくらい。
一口かじって、その軽さと味に驚いた様子を見せた神様だったけれど、口には合ったようで違う色を試しては面白そうに笑っていた。
「それで、どんな人だって?」
「あー、うん。これは伝えておいた方がいいかな」
いつもは聞いたら名前と性別が書かれた紙を渡してくれるのに、今回はその代わりに神様から何だかスッキリしない言葉が返って来た。
「だいぶ回復したからここに来る手配をしたんだけど、まだちょっと不安定でね」
「あたしは何か出来るの?」
「今までと同じように料理を作ってくれたら、それだけで十分だよ」
不安定だろうとも、あたしの料理が回復に役立つのは間違いないそうなので、変に気負う必要はないと言っていたけれど。
その人を迎えるまで、不安定だというのはどういうことだろうかとあたしは頭を抱えて過ごすことになる。
そうして、自分だけで対処できなくなりそうだったらその後は神様に丸投げしようと決めてすぐ、その人はやって来た。
人の力を頼りにするのもどうかと思ったけれど、この空間で誰よりも何よりも力を持っているのは神様なのだから。
「え、っと初めまして。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
どんな人がやって来るのだろうかと肩に力が入っていたあたしは、少しだけホッとした。黒髪を短く整えている男性は、入ってきてすぐにぐるりと視線を空間を一蹴させるように巡らせたけれど、その後は案内したカウンターに腰掛けるまで別に変な事をするわけでもない。
不安定、とわざわざ伝えてくるのだから料理や、ここに来ることも否定されるのではないかと思っていたのだけど。
「それで、料理をって話なんだけど」
「あ、はい! 何か食べたい物ありますか?」
お水を出したそのタイミングで声をかけられたから、食べたい物が決まっているのだと思ったんだけど、返って来たのは思っていたことではなかった。
「えっと、火を見るのがまだ少しぞわっとするんだ」
「火、ですか」
「出来るだけ、控えてもらえると助かる。だけど、料理が食べれるっていうならしっかりお腹に溜まるものが欲しい」
無理ならいいから、と苦笑いしていた男性だったけれど、ここに来てもらった以上何かしらは食べて欲しいし、リクエスト受け付けますと言っているのに無理だとは言いたくない。分からないとは言うけれど。
だから、考えてきますね、なんて言い残してキッチンから食材を詰め込んでいる倉庫に引っ込んだ。
「火を使わなくて、だけどしっかり食べたい……丼かな」
「それって最初に作ったかつ丼とは違うのかい?」
ひょこひょこっとついてきた神様と顔を合わせて話をする。すぐに名前が出てくるかつ丼は、神様結構気に入っていたんだなあと少し嬉しくなった。
だけど、あれはかつを揚げるし、卵でとじるからどう頑張ったって火を使う。レンジを使えば出来なくもないだろうけど、揚げ物独特のサクサク感は火を使わないと上手く出来ないと思う。
だけど、丼でもいいならいくらだって選択肢はある。男性からもお腹に溜まるもの、としかリクエストはないんだから。
「ご飯におかずを乗せてあれば丼って呼んでいいと思うよ」
「なんだそれ。適当じゃないか」
「美味しかったら良いんですー」
手軽でいろいろ選べる丼は、今日みたいな火を使わない料理、にはピッタリだと思う。
恐らく、こっちに来ることになった原因が火に関係しているんだろうな、とはあたしだって簡単に想像できる。それが、どのくらい怖かったのかまでは、分からないけど。
火を使わない丼だと、選べるのは海鮮系。あれこれ乗せても間違いなく美味しいけれど、今回はお腹に溜まるようにちょっと別の組み合わせもしようと思う。
「というわけで、これを小さ目の角切りにします」
「魚と、これはなに?」
「あれ、神様アボカド初めてだっけ?」
そういえば使ったことなかったかも、なんて思ったのでつんつんつついて転がしている神様からアボカドを取り上げる。
真ん中にくるりと包丁を入れて、ぐりっと捻ればきれいに半分になる。それから、種を取るには包丁を使ってもいいんだけど、このあと混ぜる時に使うからスプーンでくるっと取っておいた。
「アボカド、切ってみる?」
「うーん、柔らかくて潰しちゃいそうだからこっちにする」
「分かった。あたしと同じくらいの大きさでね」
こっち、と神様が指差したのは用意しておいたマグロ。調味料を合わせた液に漬けるのと、一口でマグロもアボカドも入るようにしたいから、一口大よりも少し小さめ。これに合わせてね、と見本になるように切ったアボカドを神様の前に置いてから、あたしも皮を剥いたアボカドを切っていく。
アボカドほどではないけれど、マグロだって柔らかいんだけどなあと思っていたら案の定。しかも指定したサイズはいつもよりも小さい。手伝いに慣れてきた神様だけど、魚はまだあんまり手を出していなかったから少しばかり難しかったようだ。玉ねぎを切っているときとは違って慎重に包丁を進めている。
もう少しかかりそうなので、アボカドを切り終わったあたしは、調味料を混ぜていく。
「お醤油に、みりん、ごま油にしようかな」
一晩漬けるのであれば、これだと濃いからだしと合わせたりするんだけど、そこまで時間を置くわけではないから今はこれでしっかり味がつくだろう。
丼にはお味噌汁は外せないけれど、今回は火を使わないが目標なので簡単なフリーズドライのお味噌汁を使う事にする。
これだってたくさん種類があるし、自分で乾燥わかめを足したりとアレンジできるし、何よりも保存が利く。小腹が空いた時に便利だったから、時々お世話になっていた。
「春那、出来たよ」
「おお。神様すごい。ありがとう」
「うん、今日は頑張ったよ」
ふう、といつもよりも深く息を吐いた神様の前には、ちょっとだけいびつな切り口のマグロが見える。だけどそれは初めの方だけで、後ろになればなるほどに切り口も綺麗で、大きさも同じくらいに揃っている。
そうして切ってくれたマグロとアボカドを、さっきの調味料に漬け込んで十五分くらい待つ。その間にご飯を丼によそっておいて、卵の卵黄だけを取り出しておく。またこれで卵白が残っていくけれど、お菓子を作れば消費に困らないことが分かったので、冷蔵庫に入れておく。冷凍した卵白は泡立てやすいと聞いたことがあるから、作り比べてみてもいいかもしれない。
ほんのり茶色に染まったマグロとアボカドをご飯の上に乗せて、卵黄、ゴマをかければ完成だ。
「お待たせしました!」
「ごめんな、余計な手間かけて」
「いえいえ。余計な手間なんてかかってませんから」
作っている間、こっちを見ていた男性が申し訳なさそうな顔をしているけれど、火を使わなくても出来る料理はあるし、今回のメニューはむしろ火を使わないから出来たものだ。
夏場に、暑い中で火を使って更に暑くなって汗をかきたくないから、と食べていたから、そこまで手間でないメニューだとは分かっていたし。
「あれ? 冷たい……」
「お味噌汁はさすがに冷えたもの作れなかったんですけどね」
そう、先にご飯を丼によそっておいたのは、少しでもご飯から熱を逃がすため。かといって完全に冷えてしまうと固くなるから難しいところではある。あたしは、固いごはん好きなんだけど。
「どうして」
「あたしの勝手な考えですけど、連想するものは少ない方がいいかなと」
「……ありがとう」
泣きそうな顔を一瞬だけ見せた男性は、気持ちを切り替えるように丼を持って、ご飯をかき込み始めた。火を見て体が反応するのだったら、熱さにだって同じだろうと思ったから冷ましたんだけど。お味噌汁だけは氷を入れるわけにもいかないから、そこは揃えられなくて申し訳ない。
ちらりと神様の方を見たら、満足そうに笑っていたからどうやらこの人の事情はあたしの想像した方向で間違いなかったようだ。
「本当に、ありがとう。美味かった」
何度も何度も頭を下げて、あたしが慌てる様子に少し笑みを浮かべた男性。
火を見ても、取り乱すこともなくなったので旅立った、と神様から聞いたのはすぐ後の事だった。
マグロじゃなくて、サーモンでも美味しい。アボカドはときどき無性に食べたくなるんですよね。
未だに種を一発で綺麗に取ることが出来ません……
お読みいただきありがとうございます!