とろ~り半熟スコッチエッグ
「あー、もうノート無くなっちゃった」
最近、神様が手伝ってくれる時にあれこれと質問をしてくるようになって、あたしも答えられないとは言いたくないので、覚えていることをノートに書き留めるようにしている。
知ったかぶりをしてもここでは調べて答えることなんて出来ないから、素直に分からない事は分からないと言うつもりだけどいつかはその機会が来るんだろう。想像したら何だか無性に悔しくなったので、機会が来るのがなるべく遅いことを願うばかりだ。
「思っていたよりも長く書いてたかなあ」
ぐぐっと体を伸ばしたらぱきぱきと小さな音が聞こえた。今まで作った料理にあれこれ書き加えていたのとは別に、自分が覚えていることをどんな小さいことでも頭に浮かんできた順に書きなぐっていたんだから、そりゃあ体も固まるよなあ、と苦笑いが漏れる。
おやつのクッキーもコーヒーもなくなっていたから、体を動かすついでにお代わりを持って来ようと自室のドアを開ける。
ドアを開けたら目の前が神様お気に入りの小上がりなんだけど、部屋で休んでいる、と伝えた時にはこたつで寛いでいた神様の姿が見えない。その奥にあるキッチンからも何の物音も聞こえないし、もちろんあのひらひらした白い服だって見えない。
「珍しいなあ、あたしに声をかけずに行くの」
今回は、あたしが自室にこもっていたから神様が気を遣ってくれたんだろう。あたしの考えていることが伝わっているとは知っているけれど、全部を神様が読み取っているかどうかは分からない。
一人になりたいと思った時には必ず、神様は仕事の打ち合わせをここではなくてその担当さんのいる場所でやってきてくれているから、筒抜けなんじゃないかとは思っている。
「いないなら、たまにはこたつを一人で使ってもいいよね」
コーヒーのお代わりは止めて、温かいお茶を淹れてからこたつに潜り込む。いつもは二人で使っているし、気に入った神様が寛いでいるから、あたしが使うことって、実はあんまり多くない。
「おや、春那。珍しいね」
「おかえりなさーい。やっぱりこたつ気持ちいいねー」
足先からじんわりと暖まる感覚に、ノートに向き合って固くなっていた体がほぐれていくような気がして、ごろりと寝そべった。神様が帰って来たのはちょうど寝転がったタイミング。上下が反転した視界に、神様の姿が映る。ちょっとだけ驚いたように、目を丸くしているように見えるけれど、あたしの言葉を聞いて頷いた。
「初めは何だかわからなかったけど、こたつがないなんて、もう考えられないな」
「あははー! 神様、もうそれはこたつむり……」
「はいはい、それについては後で教えてもらうから。書き物終わったなら、仕事お願いしたいんだけど」
季節も温度も関係なくここで常に活躍するこたつが、我が家では冬の間にしか出ない期間限定の家具なのだと伝えたら、神様はどんな顔をするだろうか。立派なこたつ中毒者になっている神様の事だから、暑さも何もまるっと無視して一人だけ涼しい顔してこたつに潜り込んでいるんだろう。たぶん、その想像は間違っていないはずだ。
今だって当たり前のようにあたしの隣に座っているし。あたしが寝ころんだままだから、足は延ばさず、ふとんを引き寄せているけれど。
「あと五分だけ、ダメ?」
「……しょうがないね」
優しい神様が断らないと分かっていて、そうおねだりしたあたしの願いは、叶った。
*
約束通りどころじゃなくて、結構まったりとしてから神様が担当さんに連絡を取って、やって来たのはミルクティー色のショートボブを揺らす女性と、前は時々お茶に来ていたのにここしばらくは姿を見ていなかった担当さん。
「ようこそ!」
「え、なにここめっちゃ素敵なんだけど!」
「ありがとうございます」
入ってもいいのか、と問いかけるようにちらっと後ろを向いた女性は、担当さんが頷くのを見ると真っ直ぐにカウンターに歩いてきた。カツカツと小さいけれど響くヒールの音は、女性の気持ちを表しているかのようにちょっとだけ弾んで聞こえる。
担当さんはあたしに向かって控えめな笑顔を見せてくれたから、忘れられたわけではなさそうだ。いくら最近はここに来ていなかったとはいえ、何度か一緒にお茶をしたのに、もう忘れられていたら悲しすぎる。
ここから出ない、来るのはここを旅立つ人達ばかりなあたしの、数少ない何度も顔を合わせている人なのだから。
「それで、ここの説明は」
「聞いてるわ。それで、ねえ。肉の日って分かる?」
レモンの輪切りを入れたピッチャーを差し出しながら、女性に問いかける。ほとんどの人はここの説明を聞いて、それから食べたい料理を思い浮かべながらやって来るらしく、席に着いた時にはもう何をリクエストするのかはだいたい決まっているんだけど。
一度だけ、本当にただ連れてこられただけ、って人がいて。担当さんもその人をここに連れてきたら役目は終わりとばかりにいなくなってしまうし。
それから、一応念のためってことでここがどんな場所なのかを聞くことにしている。まあ、それっきり担当さんがいなくなることも、ここの事を知らないままやって来ることもなくなったけど。
女性を連れてきた担当さんは、仕事はきっちりこなす人だ。最初の頃にまだ勝手がよく分かっていなかったあたしの事を知っているからか、連れてくる人には丁寧に説明をしてくれている。だから、この担当さんが連れてくる人は、たいていリクエストが決まっていた。目の前で美味しそうにお水を飲んでいる女性も、そうなのだろう。
「お肉屋さんがちょっとお得になる日?」
「そうそう。それで、ここに来たのがその日だったんで。お肉食べたくて」
ただの語呂合わせだったけど、お肉を安く買えたり、お店のメニューがお得になったりでそれなりに楽しんでいた。ついうっかり食べすぎたりもしたけれど。
「肉なら何でもいいんですか?」
「うん。お肉ならお任せ!」
「分かりました」
くるり、と女性に背を向けてエプロンを着ける。隣には、当たり前のように神様が待機していてくれた。
「それじゃあ、始めようか。よろしくね」
「えっと、これは?」
「ふふふ、みじん切りしてて涙が出るくらいだったら、これを使えばいいんだよね。秘密兵器!」
前に餃子を作った時には変わってもらったけれど、毎回そうやって誰かの手を借りるわけにもいかないし。そもそもあの時はパティシエだったからキッチンに入る許可が出たんだろうから、特別なだけ。だけど、料理を作るうえでみじん切りは逃れることの出来ない準備のひとつ。だったら、目も痛くならない、しかも少ない労力で大量に用意できる道具を用意したっていいはずだ。なんだって初めに気づかなかったよ、あたし。
「おおー! これは楽でいいね」
「でしょ? きゃべつと玉ねぎのみじん切り、お願いね」
ざくざくと適当に切って、容器に入れたらカッターを引くだけ。ぶんぶん回りながらカッターが食材をみじん切りにしていく。楽しそうな様子で引っ張っているので、みじん切りは全部神様に任せた。あたしはその間にゆで卵を作る。この後にも火を通すけれど、あんまり柔らかくても作業が難しくなる。出来ればとろりとした半熟で作りたいんだけど、こればかりはやってみないと分からない。
お鍋に卵とお塩をひとつまみ。こうしておけば、卵がお鍋の中で割れてしまっても白身が固まりやすいのだとおばあちゃんから聞いた。今のところゆで卵を作ろうとして爆発させてしまった経験はないけれど、なんとなく習慣になっている。
「細かくって言っていたけれど、これくらい?」
「うん、うん。神様、上手になったよねえ」
「ま、こんだけ近くで見てればね」
大きめのボウルに豚ミンチを入れて、みじん切りにしたきゃべつと玉ねぎ、それからつなぎにパン粉と卵、マヨネーズ。味付けに塩胡椒を加えて、よく混ぜる。しっかり粘り気が出るまで混ぜておかないと、この後の作業がはかどらないので、しっかり力を入れる。
「あ、神様ごめん。ゆで卵の殻をむいてくれる?」
「任せて」
「多分、柔らかいから気をつけてね」
狙うは半熟なので、茹でる時間も少し短めだ。固くなった卵だと思ってぎゅっと力を入れてしまうとあっという間に崩れてしまうので、そこは気を付けてもらわないと。神様、いろいろお手伝いをしてくれているけれど基本作業は丁寧だし、心配ないとは思うんだけどね。
そうしてむいてもらった卵に、小麦粉をまぶしていく。肉ダネがはがれにくくするためだけど、この作業で卵を潰してしまうのは避けたいので、力は加えず、そっと転がしながら全体に小麦粉をつける。卵が白いから、どこまで小麦粉がついたかが分かりづらいんだよね。
「さて、難関。この混ぜた肉ダネで、卵を包みます」
「分かった。力を入れると潰れるとか言うんだろ?」
「そうなのよ。だけど、神様。これを頑張ったら美味しくなるよ?」
「春那の料理がまずいと思ったことはないけど」
さらっと嬉しい言葉を言ってくれるから、ハードルが上がったような今なら絶対に上手く作れるだとか、いろんな気持ちがごちゃ混ぜになった。喜びで叫びたいのを必死でこらえたから、きっと変な顔をしているんだろうけどそこには触れずに、神様は真剣に卵を肉ダネで包んでいた。
そう思ってくれているなら、失敗はしたくないなあ。揚げる時に肉がはがれてしまうのは、出来れば避けたいと思いながらあたしも肉ダネで卵を包んでいく。
はがれるのが心配だったら、このまま焼いていけばいいんだろうけど、どの世界に旅立つにしても、きっと油を大量に使う料理ってあんまり出来ないだろうから。
「出来たー!」
今まで以上に真剣だったから、用意した卵が無くなったらやりきった気持ちになってしまう。ふるふると頭を振って気持ちを切り替える。
全部包み終わったら、小麦粉、卵、パン粉の順につけて揚げていく。この作業がまだ残ってるんだから。
じゅわあっと油の音が広がると、遅れてやって来るのは食欲を刺激する匂い。揚げ物すると食べている気持ちになるから、結局あんまり食べられなかったりするんだけど、この匂いの前にいたらお腹だって満たされたような気分になってしまうよね。
「お待たせしました、卵入りのメンチカツです」
「えっと、スコッチエッグと違くて?」
「うーん。調べたことはないですけど、たぶん一緒だと思います」
そうそう、スコッチエッグ。お洒落な名前だったんだよ確か。思い出せなかったから、あとでノートに書いておこう。名前はともかく、味は間違いないはずだ。卵の出来だけは心配なんだけど。
「それじゃあいただきます」
「はい、めしあがれ」
あたしの握りこぶしよりもちょっと小さいかな、くらいになってしまったのは仕方ないだろう。卵を包んでいるんだし。女性も一口では食べられないようで、半分に切っていた。
「わあ、黄身がトロってしてるー!」
「半熟卵、苦手でしたか?」
「ううん、好きよ」
声色からきっと大丈夫だろうとは思ったけれど、万が一が合ってはいけないので問いかければ、満面の笑みが返って来た。よかった、と短く息を吐いたのは、きっと女性にまでは届いていないはずだ。
狙っていた通りに、半分に切られた断面からは黄身がとろりと溢れている。こればかりは、半分に切ってみるまで出来上がり具合が分からない。完熟の卵が美味しくない訳じゃないけれど。お肉に絡まった黄身って、なんだかとても美味しいんだよね。美味く出来ていて本当に良かった。
「ご馳走様! いいお肉の日でした! だけど、何で?」
「焼肉でもいいかなと思ったんですけど、きっと次でも肉を焼くだけなら出来ますよね」
どんな世界に行くのは分からないけれど、どうやら中世ヨーロッパのような世界がほとんどなんだと、こっそり神様が教えてくれた。だから、料理も和風なものを最後に食べたいと思うようなんだと。あたしが好き勝手作っているから和風も洋風もなく、家庭料理なんだけど。そう神様には伝えてあるのに、あたしが作るものがいいんだなんてダメ出しも何もなく褒められたのは、少し前のこと。
そういう世界に旅立つのなら、お肉を焼くくらいならきっとすぐに出来るんだろうな、という考えがあたしのなかにはある。火を通すってサバイバルでも基本だろうし。
「ちょっとだけ、手の込んだものはなかなか食べられないかと思いまして」
だから、ここで食べるものは少し、頑張れば作れそうなもの、を目指している。さっと焼くのだって技術が必要だとは分かっているけれど。
もちろん、本人の希望に添ったものを出せるのが一番だし、リクエストがあるならそれに応えるのが仕事。だけど、お任せだったり、ふわっとしたリクエストだった時に思っているのは、そういう事が多い。
「ありがとう。これくらい美味しいものが食べられるように、なるといいな」
「なりますよ、きっと」
そうね、と笑う女性ならきっと、努力して見つけるんだろうなあと根拠もなく、思った。
肉の日に間に合わせる、つもりでした……
卵入りのメンチカツ、と呼んでいたけれど、スコッチエッグも似ていない? 同じ料理?
なんて思って調べてみましたが、答えがまだ見つかっておりません。
この中では、呼び名が違うけれど、同じ料理ということで。
お読みいただき、ありがとうございます。




