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暑い時に、さっぱり冷やし中華

春那(はるな)、このあと大丈夫かい?」

「どうぞー! キッチン片付けておくね」


 神様がコーヒーを入れてくれてから、ちょっとだけ変わったことがある。あたしは何かを変えたつもりはないから、おそらく神様の方で何か思うことがあったのだろう。

 今まであたしが作ったものに対して味の好みを言ってこなかったのに、一口食べて、それから何かを考えるかのようにちょっと時間をおいてから、自分がこう感じる、と伝えてくれるようになった。

 もちろん、それは作り手には嬉しい変化だ。何を出したって美味しいと笑い、好き嫌いもせずに食べてくれていた神様だったけれど。今までは手の伸ばし方で何となくこうだろうな、と思っていた味の好みに答えが出来たのだから。


「じゃあ、呼んでくるから」

「はい、いってらっしゃい」


 あたしが把握していた好みは、しょっぱいのよりも甘い方が好みで、コーヒーはブラックでは飲めない、アイスは大福のもちもちしたものが好き、なんてちょっとしたことだったけれど。

 せっかくキッチンで隣にいてくれるのだから、味見をしながら聞いてみるのも悪くないだろう。今までの料理で、なにが好きだったのかを聞いても楽しいかもしれない。


 そんな事を考えながら、使っていたフライパンを元に戻す。火の前にいる時は暑いけど、少し離れてしまえばそれを感じていたことを忘れてしまうくらい、快適に保たれている空間。

 直射日光を痛いくらいに浴びていた夏も、寒いと文句を言っていた冬独特のキンと澄んだ空気は嫌いではなかった。

 いつだって食べられるのに、夏のアイスに冬の中華まんは、ちょっとしたご馳走のようにも感じていたんだよなあ。

 あ、なんか中華まん食べたくなってきた。自分で作れないこともないけれど、コンビニの味とは違うんだよね。今回は神様の力を頼らせてもらおう。


「お邪魔します」

「ようこそ!」


 耳の下で揃えられた黒髪から見える、大ぶりのピアスを揺らしながら、にこやかな挨拶をしてくれたのは、あたしより年上の女性。長袖のシャツは肘のところまで捲られているのは、暑いからというよりは、周りの温度に合わせて調整するか、もしくは動くのに邪魔だったのかと思わせるような活動的な雰囲気だ。

 パンツには皺もなく、踵の低いパンプスを履いているから、営業職なのかな、とぼんやり思った。年齢は違うけれど、母親と、同じような雰囲気を感じたのかもしれない。


「へえ、素敵な場所ね。私、こういうところ好きよ」

「ありがとうございます」


 一緒に来た担当さんは入り口で立ち止まったけれど、女性は気になるものがある所を歩いて手で触れたり、とあちこち歩いている。神様がそっと担当さんをテーブルに案内して、お水を出したところで、ようやく女性もカウンターに落ち着いた。


「あのね、ここが暑さも寒さもなく快適な温度なのは分かっているんだけど」


 捲っていたシャツを下ろし、自分の体感温度が変わっていない事を確かめた女性が申し訳なさそうに口を開いた。

 温度の事はともかく、ここがどういう場所なのかという説明は事前にしてもらっているので、そうやって前置きされるというのは珍しい。まあ、夏みたいに暑かったらコンロの前に立つの、ちょっと億劫になるし、揚げ物とか頼まれてもいい返事が出来ないかもしれないから、温度が一定で快適に過ごせるのは良いことだ。


「私、ここに来る前に暑さでふらついていて……その時に目に入ったものが忘れられないの」

「目に入ったもの?」


 暑い中で忘れられないもの、アイスとかだろうか。でもそれだったら料理をする必要がないから、こういう人達が待機している場所でも提供できるような気がするんだけど。

 あ、もしかして食べ物全般、ここでしか出せないとかなのかなあ。それは神様に聞かないと分からないし、ここに来る人が他のところで何をしているのかを知らないあたしでは関与できないところなんだけど。


「冷やし中華、食べたいな」


 にっこり、笑う女性とあたしの頭に浮かんだ文言は、恐らく一緒だったに違いない。

 冷やし中華、始めました。



「タレならまだともかく、麺なんて作ったことないからなあ。

 神様、お願いします」

「もちろん。ねえ、冷やし中華ってどんな料理?」

「うーん、中華麺に、好きな具材を乗せてちょっと酸っぱいたれで食べるの。暑い時にはさっぱり食べられるからよく作ってたよ」


 ゴマか中華風か、それともポン酢で簡単に済ませるのか。付属のタレの気分じゃなかった時にだけ、おばあちゃんとあれこれ言いながら作ったことがあったけど、あたしは暑い時にあんまり台所に立ちたくなかったから付属のタレで済ませてしまった方が楽だな、と思ったから付属タレ派。

 もちろん、作ったタレだって美味しかったんだけど。


「へえ、それは楽しみだ」

「それじゃあ、準備に取り掛かりましょうかね」


 とはいっても、麺は神様に用意してもらうから、あたしが準備しないといけないのは麺を茹でるためのお湯、それから具材。

 具材は定番は錦糸卵ときゅうり、ハム辺りだろうか。紅ショウガ、トマト、ささみ、もやしくらいまで用意すると具だくさんで麺を食べているのか具材を食べているのか分からなくなる。

 カニカマとかツナも美味しかったし、エスニック風にしたいならエビにアボカドを用意してもいい。

 つまり、わりと応用の利く料理だという印象があるのだ、冷やし中華。


「まあ、町中で見たんだったらそこまで変化球ではないだろうけど」

「春那ー、お湯沸いてきたよ」

「ありがとー!」


 麺だけ用意して、具材は自分の好きなように乗せてもらおうと別皿で用意することにした。お店だったらそこまでの手間をかけられないけど、ここでもてなすのは女性一人。神様の分はどうするかを聞けばいいだろうし、たぶん自分で好きなものを乗せたいと言い出すと思う。前だったらあたしにお任せ、だったんだろうけど。


 麺を茹でている間に、神様にきゅうりとハムを細く切ってもらう。ささみは小鍋に移したお湯で茹でているから、用意した具材を使って簡単なスープも出来る。麺をそこまで冷たくするわけでもないけれど、何となく温かいものがあるとホッとするんだよね。


「はい、これ」

「おお。綺麗に並んでる」


 得意げに見せてくれたお皿には、きゅうりにハム、錦糸卵、もやし、紅ショウガ……取りやすいだけではなく色合いも綺麗に並べてあって、それを見るだけでも何だかワクワクしてしまう。

 茹で上がったささみは、手で細かく裂いて、カニカマも同じようにほぐす。これだけあると麺を食べきっても具材が残ってしまうかもしれないけれど、その時は何かに使えるだろうから、とそのままで出すことにした。

 ささみを茹でたお湯は塩胡椒で味を調えたし、仕上げにネギをパラッと振ってある。麺は一人前を用意して、お代わりが欲しくなるようだったらまた茹でればいいだろう。


「お待たせしましたー」

「え、これ?」

「好きな具材を好きに取ってくださいね。さ、めしあがれ」


 女性は案の定目を丸くしていたけれど、好きに取っていいという言葉にむしろ楽しくなったようにあれこれと箸を伸ばし始めた。


「私の定番って、きゅうりとハムと卵だったんだけど、他にもいろいろあるのね」

「いろいろ試しているうちに増えちゃいまして」


 今回用意した具材は、どれも一度はあたしが食べたことのあるものだけだから、合わないという事はないと思うんだけど。女性が楽しそうに食べているから、口に合わなかった訳ではないという事に、胸を撫で下ろした。

 暑さでふらついていた中でも記憶にあったのならば、期待はしていただろうから。あれ食べたいな、と思っている時に食べるものって自分の思っている味と違うとがっかりしちゃうんだよね。そう思われるのが怖くて、あれこれ具材を用意して、この女性の思う冷やし中華、を作ってもらおうなんて考えもあったんだけど。気に入ってもらえたなら何よりだ。


「美味しかったー! ごちそうさま!」


 味見がてら、自分で具材を選ぶことにした神様のお気に入りは卵とささみ、それからもやしだった。担当さんにも一応全部の具材を乗せて渡したし、全部食べてくれたんだけど、どれが好みだったのかは聞けなかった。

 たくさん選択肢を作っておいて、その人に選んでもらうというある意味後ろ向きな選択をしたのに、女性には好評だったし神様と担当さんからもお褒めの言葉をもらえたから、理想の冷やし中華を作れるか分からなかったから、とは言わずにっこり笑っておくだけにした。


急に気温が上がって、冷やし中華が恋しくなりました。キムチを乗せるのも好きです。


お読みいただきありがとうございます。

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