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いっぱいに、心をこめて

神様目線。

ちょっと短めです。

 自慢じゃないけれど、俺は俺であると意識した時から今まで、困ったことがない。

 当然だ、そういう存在として俺たちは存在しているのだから。この箱庭で、与えられた役割を果たすためにある駒、それ以上でも以下でもない。だからこそ、駒として必要なものは全て与えられた状態でここに在る。


 この世界の魂の循環を司る、それが与えられた役割。


 だから、必要以上に知識はいらないし、何かを考えることもない。与えられた役割を果たすためだけに、動いていればよかった、のに。


春那(はるな)、片付け終わったよ」

「ありがとう神様。ふふ、ほとんど任せちゃったね」

「たまには働かないとね」


 冗談めかして告げれば、ほんの少しだけ春那に笑みが浮かぶ。ただ、その表情はいつもの笑顔には程遠い。

 先ほどまでここにいたりんご農家だという男性の言動が、影響しているんだろうとは簡単に想像がつく。

 俺には春那の考えていることが断片的に伝わってくる。転生が決まった者のための料理、という手段。それを円滑に行うためには必要なものだったから、了承させた。ただ、食材などを呼び寄せる以外には、あまり深く読み取らないようにはしている。

 人の気持ちなんて、その都度読んでしまったら背負うには重すぎる。


「ごめん、神様。あたしもちょっと引きづられちゃったみたい」

「しばらくゆっくりしたらいいよ。今はそこまで忙しくないから」

「うん。……ありがとう」


 実際、春那の料理の手腕に助けられている部分は大きい。俺たちは、生きるための料理を必要としていないから、味覚も発達しているわけではない。書物からの知識で調理工程を知っていても、手順を分かっていたとしてもそれが美味しい料理なのかと聞かれたら、答えられない。

 だからこそ、ここに来る転生者たちの味覚と大体一緒であろう春那が料理を担ってくれているのは、俺たちにとっても益がある。

 春那には、あまりそこは伝えていないけれど。提案した時には、ここまで上手くいくとは思っていなかった。


 ただの何もなかった真っ白な空間。それは、春那の手によってあっという間に様変わりした。その中で区切った一角、自室としている場所へ戻った春那は、きっとしばらく出てこないだろう。

 俺には見せないようにしていたから、それに気づかないふりをしていたけれど、春那もあのりんご農家のように自身の時が止まっていることに悩んでいることは分かっている。

 それを利用している俺が、何を言ったところで慰めにはならないことも。


「役割を果たすためだけ、だと思っていたら楽だったんだけどなあ……」


 春那と接するようになって、自分の感情が動くことを覚えた。むしろ、自分にそんな物があったのかと初めて気づいたけれど。だけど、それも何だか悪くないような感覚が楽しくなって。


「えっと、確かここだったよな」


 いつだったか、こたつに潜り込んで温もりを堪能している時にただ何となく話していたことを思い返す。

 緑茶もいいけれど、コーヒーの匂いはなんだか落ち着くのだと、そう言っていた春那の表情は確かにリラックスしていた。味覚、というものを覚えたばかりの俺には苦みはまだ美味しいと思えるようなものではなくて、淹れてもらったけれど一口飲み込むのが精一杯だった。

 それを見ていた春那から、これならどうだとアイスにちょこっとだけ垂らされて、それだったらまだ味わえたけれど。自分から進んで手を伸ばそうとは思えるものではないから、出来るかは分からないし味見だって出来やしない。


「このなかの、どれだ……?」


 蝋燭を間違えた場所に居合わせたのは偶然で、その後の対応はあいつがあまりにも使えないから代わりに押し付けられたような感じも強くて、正直乗り気ではなかったけれど。

 ただ、連れてきたら思っていた以上に有能だったし、弱音も吐かず泣きもしない春那に良い拾いものをしたとしたと思っていたのも事実。

 だけど、間違えてここに連れてきてしまった春那に、せめて今後泣くこともなくこの空間では笑っていてほしいと願うのも、本当。


「ああ、これをこうやってセットして粉を入れるのか」


 春那が淹れているところは、見ていない。自分が味わえないものを覚える必要なんてないと思っていたから。だけど、こうやって苦戦する羽目になったから、次は淹れるときには手伝いを申し出てみようか。


「ええっと、お湯を真ん中から円を描くように注ぐ、っと」


 トントン、とペーパーフィルターに入れた粉をならすように軽く叩いてから、ちょっとだけ真ん中にお湯を垂らす。蒸らし、というこの作業を入れるだけで美味しくなるというんだから不思議だ。

 ああ、だけど春那もこういった一手間をかけることを厭わないで行っていた。それは、そのやり方しか知らないとも言うし、自分が美味しいものを食べたいと思っていることもあるだろう。だけど、何よりも料理を提供する転生者に美味しいと感じて欲しいという思いがあるからだ。

 その姿を隣で見てきたからだろうか、きっと前だったらこうやって自分からコーヒーを淹れようと思う事も、飲む人の事を考えて作業するという事だってなかったに違いない。

 この長くもない期間で、面白いくらい変わったと自分のことながら思う。けれど、その変化は悪いものではないだろう。


「お、いい匂い」


 ふわりと立ち昇る湯気にのったコーヒーの香りは、確かにいいものだ。これを美味しいと感じるためには、自分の味覚の成長が必要になってくるのだろうけれど。

 そのまま、ゆっくりとお湯を注いでマグカップに黒い液体がたまっていくのを待つ。マグカップ一杯分を淹れ終わったら、自分用にお気に入りのアイスを呼び出す。

 せっかく淹れたのだから、温かいうちに味わってほしくて、春那に声をかけた。


「春那、はいこれ。味見して欲しいんだけど」

「神様、コーヒー淹れられたの?」

「俺だって成長するんだって。だから、ね?」


 ちょっとだけ赤くなった目元は感情を物語っているけれど、そこには触れずにまだ熱いコーヒーを春那の方に押しやった。味見して欲しい、と笑って告げれば、春那もなにか納得したように頷いていた。半分くらい牛乳にしてくれたら、俺だって味見は出来る。それはコーヒーじゃなくてカフェオレ、というものになるらしいが。


「あ、美味しい」

「知識だけはあるからね」

「何それ」


 くすくすと笑いながらも、またカップに口をつけた春那の顔はさっきよりも血色がよくなっているし、うっすら笑みも浮かんでいる。

 しばらく、そうやってコーヒーを味わっていた春那が、すっと立ち上がった。何を考えているのか、何となく分かったけれど、それを口にすることはしない。


「美味しいコーヒーがあるんだから、お菓子があってもいいと思わない?」

「……任せるよ。だけど、甘い物だと嬉しいな」

「アイス食べてるじゃない。ま、いっか」


 そのまま、春那が望んだものを呼び出してからは、こたつでそのままアイスを楽しむ。どうやら、この作業は俺にお返しをするためのようだから。春那がそうとは思われないように振る舞っているのだから、追求するのは野暮だろう。


「まだ冷え切ってないから、気をつけてね」


 何に気をつけるのかと思えば、まだ熱を持っているから形が定まっていないと。言われてからつまめば、上に乗せたナッツがとろりと動く。急いで口に運べば、ほんのりとした甘さがしゅわりと溶ける。


「ああ、この甘さはいいね」

「マシュマロを焼いただけなんだけどね。美味しいでしょ?」


 春那の魂だって癒しが必要で、そのためにこうやって場所を提供して思い残したことを経験させている。それだけ、だったはずなのに。

 目の前でふんわりと気の抜けた笑みを見せる春那に、料理だけでなくその存在も大切だと思うようになった自分の変化をごまかすように、マシュマロクッキーをまたひとつ口に含んだ。

 舌に残る甘さをかき消してしまう苦みをもつコーヒーは、まだ飲めそうにない。


マシュマロ、コーヒーに溶かしても美味しいですよね。昔は食べられなかったんですけど、今は常備するほど好きになりました。


お読みいただきありがとうございます。

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