カレーのアレンジ、行く先は
「うん、さすがに作り過ぎた」
「春那ー、次の仕事だけど……大きいね?」
「あ、神様お帰りなさい。思い立ったから作ったんだけど、やっぱりそう思うよね」
あたしが神様にお願いして物を呼び出さない限り、この空間で何かが香る事はない。料理を作った後でさえ、換気扇を少しだけ回しておけば全然気にならないのだから。
それなのに、突然スパイスの香りが鼻をかすめたような気がして、そう思ったらこの欲求は止められなかった。
いくら寝かせたカレーが美味しいと言ったって、ここで一番大きな鍋で作れば十人分は賄える。それを満杯に作ったんだから神様が驚くのも無理はない。
「でも、いい香り。これは?」
「カレー、知らない?」
「知識だけなら。そうか、これか」
面白そうにキッチンに入って来た神様が、何かを期待するようにあたしがかき混ぜている鍋を見つめている。この匂いを前にして、おあずけっていうのはなかなかに辛いのは分かっているから小さく切ったパンと一緒に小鉢にカレーを入れて渡す。
きょとんとしていた神様だったけれど、わたしがパンで鍋のカレーを掬って食べたのを見て、真似するように食べ始めた。
匂いは魅力的でも、初めての時は見た目で手を伸ばしずらい料理ってあるんだよね。神様は割と気にせず何でも食べてくれるけど。
「そうだ、さっき次の仕事って言いかけてなかった?」
「ああ、そうだった。カレーが魅力的でつい」
笑いながらも神様がカレーを食べる手を止めることはない。じゃがいも、人参、玉ねぎと豚肉というカレールウの箱に書いてあるレシピの通りの具材しか入れていないのに。肉はどれでも美味しく出来上がるけど。
「はい、これ次の人」
「何だか、適当な渡し方じゃない?」
「春那の料理がおいしいのがいけないんだよ」
味見と称しながら一食分はたいらげた神様に呆れながらも、カレーってすごいなと思うしかなかった。
「ようこそ」
「お邪魔します」
もう何度かここに来たことのある担当さんが連れてきたのは、肩につくくらいの茶髪をハーフアップでまとめた女性。大きな目はくりっとしていて、見た目の雰囲気からリスの姿を想像してしまった。白のカットソーにサイズ大きめのだぼっとしたカーディガン、デニムのジーンズにスニーカーという服装は、あたしも同じような格好していたな、と懐かしく思う。そう言えば神様から渡された紙に書いてあった年齢は、一歳違いだった。
自分の将来と向き合って、進路に迷う時期。希望の進路先、と書かれた紙を片手にうんうん唸っていた友人たちの隣で、ささっと書いてその場で提出したのはあたし含めて何人かしかいなかった。
やりたいことがたくさんあるから、進む道を決めるってなると悩むんだよね。まあ、あたしは大きく横道に逸れたのに、今ここで料理を作って誰かに喜んでもらえてるから、どんな道を選んでもどっかで繋がってる、なんて思えているんだけど。
「春那」
「あ、ごめん。えっと、何か食べたい物はありますか?」
この担当さんは、自分は離れたテーブルに座って、連れてきた人をカウンターに案内する。今回も同じだったので、目の前にさっきの女性は座っているんだけど。
食べたい物を聞いたら、困ったように笑顔を作った。
「ごめんなさい、話は聞いて必要だとは分かっているんですけど。食べたい物が思いつかないの」
「何も?」
本当に申し訳ないと思っているのか、食べたい物をリクエストするという行為が難しいのか、それとも食に関して興味が全くないのか。考えられるのはいくつかあるけれど、それを見つけるよりも、この女性に対して広げ過ぎた選択肢を少なくする方向でいってみようかな。
たくさんのなかから選ぶことって、時には何よりも苦痛になるみたいだから。
「んー、それじゃあ、今からあたしが言う中で気になるものあったら教えてください。
かつ、サラダ、ポトフ、プリン……」
とりあえず、今まで提供した事のある料理の中からいくつかを挙げてみたけれど、どれも反応はいまいちだった。あたしと一歳違いなら、流行ったものを試した歳だってほとんど一緒のはずなんだけど、流行りものにも特に反応なく。
「あとは、カレー」
これでダメだったら別の方法を考えるか、なんて思いながら口にしたカレー、ようやく女性が反応を示してくれた。
「カレー」
「そう、カレーです。基本の具材で作ったもので、豚肉使ってます」
「具材、とかよく分からないんですけど、辛いですか」
自分ではその判断があまりつかないので、食べたことのある神様に意見を求めるべく視線を送る。離れたテーブルで、担当さんと何かを話していたけれど、こちらを向いていた神様は、あたしの意図を理解してくれたようでにこりと微笑んだ。
「ちょっと、辛めだったかな」
「だそうです。ルウは中辛を使っています」
というのも、あたしがカレーを作った時は二日目を待つことなく消費してしまうから。当然、誰かにお裾分けするという余裕だってない。家族以外の誰かが食べたことってないから、どうしても味の判断はつかない。辛さの基準ってそれぞれだし。神様は中辛だと少し辛いと思うのか、これは覚えておかないと。
「あの、辛いの得意じゃなくて。甘めに出来たりしますか」
「カレーにトッピング、もしくは少し手を加えていいのなら」
「それで、お願いします」
手間をかけさせるのが申し訳ないと謝ってくれたけれど、それ以上に期待してくれたのならばそれに応えるしかない。
さっきよりも自分の意見を言ってくれるようになった女性に笑顔で頷いて、カレーに火を入れた。
「簡単なのは別鍋にして何か加える事なんだけど」
「そんな方法があるんだ」
「そう。まあ隠し味程度にしないと料理が変わっちゃうけどね」
とりあえず、すりりんごとはちみつ。すりおろすのが手間だったらりんごジャムでもいいけれど。ちょっとずつ加えていって、神様に味見を頼む。辛いのを普通に食べてきたあたしよりも、神様の方がきっと味覚が近いだろう。
「うん、さっきよりも食べやすい」
「じゃあ調整はこのくらいでいいか」
「で、そっちはどうするの?」
そっち、と神様が指差したのはグラタンに使えそうな深皿。そこにまんべんなくバターを塗って、ご飯を入れてあるもの。
「こういう食べ方もあるんだよって、知って欲しくて」
「なるほど」
辛さを調整していないカレーをよそって、真ん中に作ったくぼみに卵を落とす。それから、たっぷりとチーズをかけてオーブンに。
焼けるのを待つ間に、辛さを和らげられるようにラッシーも作っておく。ミキサーがあれば、材料入れるだけで出来上がるから簡単なんだよね。牛乳とヨーグルトに、レモン汁は控えめで砂糖は気持ち多めに。これならカレーが辛かった時に口の中をさっぱりさせてくれるはずだ。
「お待たせしました!」
カレーが二種類、どちらもしっかりとしたメニューだからお皿は小さ目の物を選んでおいたけれど、お盆に置いたらまあ存在をしっかりと主張している。
女性の前に並べてせつめいしようとしたら、驚いたように目を丸くしていた。そんな姿がますます小動物のように見えてきてしまう。
「こっちが、辛さを調整したカレーで、隣はドリアにしてみました。元のカレーを使っていますけど、いろいろ加えてあるのでそこまで辛くはないと思います」
「そこまでしてくれたんですね。ありがとうございます」
「あー、カレーはたくさんあるので気にしないでください」
むしろ、大鍋いっぱいのカレーの消費を手伝ってくれてありがとうございますと言いたいのはこちらの方だ。
神様にはドリア、担当さんには両方の味見をお願いしたけれどまだまだ鍋の中にはカレーが残っている。
三日くらいなら続いてもどうにか出来るだろう。その間にアレンジできそうなレシピ、考えないとな。使い切れなかったらじゃがいも抜いて冷凍しておけばいいか。
「初めて食べたんですけど、美味しいです」
「え、初めて!?」
「刺激物は、勉強に良くないと言われてて……」
ラッシーも飲んで、これも美味しいですと笑う女性。自分の事情を話すつもりはないんだろう、それからあまり話すことなく美味しいと笑うだけ。選ぶことにあれだけ不安そうな顔を見せていて、勉強に良くないからと食事の制限がある。きっと、あたしでは想像もつかないほどに熱心な教育を受けてきたんだろう。
それは、彼女の家庭の事情であたしが口を挟んでいいものではない。だけど、辛いのが得意ではないと言っていた女性が美味しそうにドリアを食べている姿は、見られてよかったなとは思う。
「ずっと食べてみたいと思っていたんです。今日ここで食べることが出来て、本当に嬉しい」
「お手伝いが出来て良かったです」
「自分で選ぶことが出来るって、こんなにも満足できるものだったんですね」
小さ目のお皿だったけれど、カレーもドリアも綺麗に食べきってくれた女性が、言葉の通りに笑顔を向けてくれた。ここに来た時は遠慮がちに伏していた視線も、しっかりとあたしの姿を捉えている。年代が同じくらいだと気づいたからだろうか、言葉遣いは変わらないけれど、感じる空気が少し和らいだ。
「ご馳走様でした」
「ありがとうございました。どうか、選んだ先でも笑顔でいられますように」
振り返って、あたしに向かって微笑んだその表情は、今までで一番かわいくて、綺麗だった。
二日目のカレーはドリア、うどん、トーストに変身します。それが食べたいから多めに作ったりもしますけど。
お読みいただきありがとうございます。