揚げたてポテトとハンバーガー
その欲は、ある日突然やってくる。何の前触れもなく、かといって他の物では湧き上がってくる欲を鎮められることはなく。今までは思い立ったらすぐに手に入ったから、そこまでこじらせることはなかったんだけど。
「ジャンクなものが食べたい」
「ジャンク、って何だい?」
キッチンの掃除をして、シンクもピカピカに磨いて一息ついた時にやってきた、欲。ジャンクなものといっても思い浮かぶのは揚げたてのポテトに、大きくかぶりつけるハンバーガーなんだけど。カツやコロッケみたいな揚げ物とはまた違うんだよね。こう、無性に食べたくなる時がやって来るのがポテト、ハンバーガーはその時によって期間限定を試したいという気持ちが強いというか。
きょとんとした神様に、あたしの考えていることが伝わったのか、うんうん、と小さく頷きながらそっと差し出された水を飲んで一息つく。
「ああ、春那の世界には本当にたくさんの食べ物があって楽しそうだねえ」
アイスを気に入っている神様にお願いすれば、もちろん呼び出すことは出来るだろう。それをここで癒しを必要としている人に出せるかどうかは、聞いたことがないけど。お惣菜とか冷凍食品とか、手軽に食べられる物は栄養が、なんて言われることもあるけれどあれだって企業の努力で手間をなくす方向で作られているし、例えばそれで栄養が偏ったところで一食だけなんだから、どこかで調整すればいいと思っている。
おばあちゃんは時間に余裕があったから毎食作っていたけれど、あたしは一人のお昼だったりするとたまに使っていたし。冷凍チャーハンのストックには大変お世話になりました。
ジャンクな物からお惣菜、冷凍食品にまで考えが飛んでいたから、神様が面白そうににこにこ笑っているのに気づくのが遅くなった。
「お店の食べ物を呼び出すのは簡単なんだけど」
「けど?」
「二人だけの秘密だよ」
言われてみれば、誰かが来た時とここに料理を食べに来る人がいる時、どちらも神様が自分から食事に手を伸ばしたこと、なかった気がする。
まずは癒しが必要な人、それからその人の担当さんと神様に当たり前のように出していたけど、あたしと二人の時はむしろ自分からつまみ食いをするべくちょっかい出してきているのに。
何か理由があるにしても、お店の物をそのまま出すのはなしってことは確定だ。
一度食べたいと思ってしまったから、ポテトが上がった時の独特のメロディが頭の中でリピートして止まってくれない。これは、食べてしまった方がいいと神様にお願いしてポテトとハンバーガー、それからナゲットも大きい箱のほうを。
神様だって食べるだろうし、と苦し紛れの言い訳をしながらも、止められないジャンキー欲のままにポテトを口に運ぶ。塩を振ってあるのは分かっているけれど、ナゲットのソースにつけて食べるのが好きだったんだよなあ。
もぐもぐと、自分の気持ちの赴くままに食べたから凄く満たされたんだけど、はたと気づいたことがある。
そういえば、この匂いって他の人にとっては誘惑にしかならないような。狭いところだったりすると余計に。換気していても匂いはしばらく残るし。これから、一人食事の予定があったような。
「もし、次に来るこの人が食べたいって言ったら」
「春那、頑張って作ってね」
チラリと神様の様子を見たら、それはもう綺麗な笑顔だった。ポテトだったらともかく、ハンバーガーはいろいろと工夫しないといけないかなあ。自分で作るって認識の物ではなかったから。
食べた痕跡を消し去って、換気扇をしばらく回し続けていたけれど、結局予定通りにこの空間を訪れた人が何だろう、と首を傾げるくらいには匂いが残っていた。
「ハンバーガー、お好きですか」
「え、ええっと……カロリー制限をしていたので、ほとんど食べたことはないの」
周りの様子を見てからでもなく入ってきてすぐ、首を傾げた女性の様子に、これは話してしまった方が早いと判断した。匂いの元に思い当たっているのだろうと考えて質問したのに、まさかのあんまり食べたことがないという言葉にびっくりしたけれど、そんなに食べたことがないのにも関わらず、残った匂いだけでも思い当たるのってすごいんじゃないだろうか。
ポテトに限らず、揚げ物の匂いってそれだけで誘惑なんだけど、この人、あんまり食欲というかその辺りを刺激されているようには見えないんだよなあ。
「わたし? 舞台女優やってました。見た目を近づけるために、食事は好きなものをという訳にはいかなくて」
自分の言葉であたしが驚いているのに気づいたんだろう、目の前の女性が少し苦笑いしながら食べてなかった理由を教えてくれた。見た目も武器になる職業だったら、食事には気を遣わないといけなかったんだろう。
「でも、もう筋肉つけるための食事、とは考えなくていいからね。食べたいな、ハンバーガー」
にっこり笑った顔には期待がこもっていて、あたしは全力で頷くと神様の腕を引っ張ってキッチンに飛び込んだ。いつだって、自分の料理を楽しみにしてくれるのは嬉しいけど、あんな笑顔を見せられたらその期待には応えたいと思うじゃないか。
それにしても、女優、というだけあって華がある表情だった。あんな素敵な表情が見れるのだったら、あの人の出演した舞台を見てみたい、と思えるほどに。
「女優さんって、やっぱり制限が厳しいんだね。あたし食べるの我慢するのは難しいかなあ」
「美味しそうに食べてるの、見てて気持ちいいけど」
「ありがとう神様。だけど、そうかあ……あんまり食べたことないのかあ」
食べたことあるのだったら、どんな系統の物が食べたいとか聞けたんだろうけど、それは難しそうなのであたしが思いつくものでしか作れない。割と頻繁にジャンキー食べたいと思って寄り道していたから味のバリエーションには困らないけど。期間限定、とかで新しいバーガーを出してくるのがいけないと思うんだ。
「せっかくだからいろんな味を試してもらおうかな。ちょっと時間かかってもいいですか?」
「大丈夫。待つのは得意なの」
キッチンからテーブル席に向けて声を張ったら、それ以上に良く通る声で返って来た。そんなつもりはなかったけれど、女優という仕事の一端を垣間見れたような気がして少しだけドキドキする。
「それじゃあ、さっきみたいなハンバーガーに、ベーコンエッグ、それから海老とアボカドにしようかな」
味の種類はいくらでも作れるけれど、調理自体はそこまで難しいものではない。さすがに今からバンズを一から手作りは出来ないし、そもそも家でパンを焼いたのってレシピにかじりついて作った一、二回程度。それだって基本の山形パンだったから、いきなりバンズに手を出したところで上手くいくとも思えない。なので今回は最初からバンズは既製品。こういう加工を必要とする場合だったら、別に問題なく出せるから。
「ハンバーグはあるし、海老とアボカドの準備からか」
「はい、これどうぞ」
小さめに作って冷凍してあるハンバーグを解凍している間に、アボカドの皮をむいてスライスしていく。海老はもうボイルしてあるからペーパーで水分を軽くふき取るだけ。あれ、もしかしてハンバーガーって家で作っても、あんまり手間のかかる料理ではないかもしれない。まあそれは材料の下準備含めて簡単に出来る神様の力あってこそだろうけど。
そんな神様は、隣で楽しそうにあたしの作業を見つめている。伝わっているだろうけど、いつも助かっていると今度改めて伝えよう。
「洗ったレタスの水気を取って、っと。海老とアボカドを乗せて……
あ! スライスした玉ねぎもいいな」
何種類か作ろうと思ったから、選んだバンズは小さ目の物なんだけど、あれもこれもと重ねていってしまったから手のひらよりも少し飛び出したくらいの高さの物が出来てしまった。
ま、まあ潰して食べてもらえば問題ないし、あの人がどれだけ食べるのかも分からないし、食べきれなかったら残してもらってあたしのご飯にしよう。あれだけ好きに食べた後だから、今じゃないけれど。
「こっちはタルタル、レモン強めにして。ベーコンエッグはケチャップベースの甘め、ハンバーガーは、オーロラソースかな」
それぞれにソースを作って、あとはかけて上にバンズ乗せれば完成、なんだけどハンバーガーといえば付け合わせ、ポテトは必須でしょう。
油使うから後にしようと思ってすっかり忘れてしまった。今からじゃがいも切ったらハンバーガーが冷めてしまうけれど、しょうがない。すっぽ抜けていたあたしのミスだ。
「神様、ごめんもうひとつ……」
「珍しいね、春那が忘れるなんて」
そう笑いながらも、はいと差し出されたじゃがいも、しかも皮をむいてあたしが思い描いていた通りに細く切ってあるものを渡してくれた神様。
きっとあたしの頭の中でぐるぐる巡り続けているあのメロディと共に、ずっと神様にも伝わり続けていたのだろう。そんな素振りも見せずに、さっと望んでいた物を出してくれるなんて、なんてすごいんだろうか。神様だから当然だ、なんて本人は思っているだろうけど。こんないいタイミングで出してくれるかなんて、神様だってことは関係ないのに。
「神様すごいナイスタイミング! ありがとう!」
もうここまで準備してあるなら、あとは揚げるだけ。じゅわわっといい音を立てているポテトは黄色く輝いていて、さっき食べたはずなのに、揚げたての香りでついつい手を伸ばしたくなる誘惑がすごい。
バットに上げてパラパラと塩を振ったら、ポテトの完成だ。しっかり揚がっているかの確認で味見したけれど、外はサクッとしていて中はホクホクのいい出来だった。あたしの目を盗んで手を伸ばそうとする神様から、守らないといけないくらいには。
「お待たせしました!」
ハンバーガーはそれぞれワックスペーパーでくるんで、ポテトとケチャップを添えたお皿と一緒にしてある。それから、忘れちゃいけない。こういうときのお供は炭酸だとあたしのなかで決まっている。実際、口のなかがさっぱりするんだよね。
サイダーに冷凍しておいたみかんを入れて、見た目もちょっとよくしたのでグラスもお洒落なものを。あんまり食べたことないというのなら、定番のようにしても良かったけど、少しでも楽しんでもらいたい。
「ありがとう。うわあ、美味しそう。いただきます!」
「どうぞめしあがれ」
まず手に取ったのは、ベーコンエッグ。大きく口を開いてがぶ、と頬張ってくれた。うんうん、ハンバーガーはそうやって食べるのが美味しいんだよね。
それからポテト。揚げたてでまだちょっとチリチリと音を鳴らしているから触って驚いたようだったけれど、そのまま口に運んでくれた。それから、幸せそうに笑った。
「美味しそう、じゃなくて美味しい、だね。こんなに美味しかったなら我慢しないで食べておけばよかったなあ」
「ありがとうございます」
寂しそうに見つめている先にあるのは、ハンバーガーだけど、たぶん違う。ハンバーガーを通して、もっと別の物を見ているんだろう。
ここに来る人は、今までの境遇が辛かったり、異世界に転生できるからとずっと笑顔の人もいれば、今みたいに寂しそうにしていたりする人もいて。正確に数えていたわけじゃないけれど今のところ見てきたのは半々だ。
こういうときにあたしから声をかけられることは何もないので、キッチンに引っ込んで一人で食事をしてもらうようにしているんだけど。
「ね、一緒に食べよ?」
「はい。喜んで」
テーブルの隣に座って、あれこれと話をしながらポテトをつつく。それは、放課後に友人と過ごした時間を思い起こさせた。
書いている最中にずっと頭の中からいなくなってくれなかったので、これから買いに走ろうと思います。
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