野菜たっぷり鮭のちゃんちゃん焼き
お酒は二十歳になってから。
「え、お酒?」
キッチンを片付けながら、次はどんな料理を作ろうかなんて考えていたから、神様からの言葉に反応するのが遅れてしまった。そうしたら、何故だか眉をひそめた神様があたしのことを見つめている。あ、手元にあったお醤油に気を取られていて生返事だったのもあるけど、もしかして変に取られたかな。
「春那、飲めるの?」
「飲んだことはなかったし、飲めることもないけど」
やろうと思えばあたしの考えは神様に筒抜けになるんだから、この言葉が嘘ではないと分かるだろう。少し、ほんの少しだけイラついた気持ちを言葉に乗せてしまったから、途端に神様はバツの悪い表情になった。
「……ごめん、質問が悪かった」
「あ、ごめん。そんなつもりじゃなかったの。日本は二十歳にならないと飲酒は認められないから」
ここにいる限り、あたしが飲酒を認められる年齢になる日は来るはずもないんだけど。こうなると、下手に味を知っていなくてよかったなと思う。神様が呼び出せるだろうけど、今のところは食材だろうが、この空間を快適にするための道具だろうが何でも、ストップがかかったことはないから。
夢中になったものにはのめり込んでしまうあたしの性格だから、お酒にはまったら際限なく飲めてしまうだろうし、だれも止める人がいなければ酔っぱらいへの道待ったなしだ。
「うん、それは知ってるけど、味見とかしなかったの?」
「……リキュールなら、ちょっとだけなめたことあるけど」
「まあそんなもんか。でも参考にはならないかなあ」
お菓子を作ると、リキュールが充実していく。クリームにちょっと混ぜたりしたり、焼き上がりに塗ったりと香り付けがほとんどだったけど。あるとないとでは出来上がりが結構違うから、おばあちゃんと二人、楽しく買い込んだ。リキュールをそのまま飲んでもあんまり美味しくないとはその時に学んだ。
参考、と言っているけれど、神様はなんだか困ったような顔をしている。あたしが飲まない事を知っているのに、あえて聞いてきたというのはまあ、仕事に関係するからだろう。じゃないといきなりお酒の話を振ってきた理由に説明がつかない。神様だってここで飲んでいる姿は見たことがないし。
「え、次の人ってお酒飲むの?」
「春那が知らないものは出せないから、アルコールはなしだよ。飲みたかった?」
「そのうち、飲みたいと思う事があったらね」
そう思っても、あたしが呼び出せるのは料理に使っていた清酒かリキュールだけなんだけど。イメージ的には神様の方がお酒を楽しんでいそうだから、今度お酒を飲んでいるのかどうかを聞いてみようかな。おつまみだったら、多分作れるだろうから。あ、そうか。神様が聞きたい事ってもしかしてこれかな。
「お酒のつまみになるようなものを用意すればいいの?」
「あとは本人次第かな。向こうからは一応控えているみたいだと報告が来ているし」
とは言っても、リキュール出したところで飲んだ気持ちになれるかどうかは疑問なんだけど。その時は炭酸で気分だけでも味わってもらおうかな。それなら、あたしも好きだし、アルコールの気分だって味わえるはずだ。
「いらっしゃい」
「ようこそ!」
そんな話をしてからそこまで時間を置かずにやってきたのは、少し疲れた様子の男性。あまりにひどい場合を除いて、この空間では来る直前の姿でいるそうだ。だから、このしわが目立つシャツやパンツ、少しくたびれたネクタイは元々、男性が身に付けていた物ということになる。まあ、ここにいる限り時間が流れないというのだから着替えも、身だしなみを整える必要もない、というのが言い分らしいけど。
エプロンは、仕事として料理を提供するのなら作業着として認めて欲しいとかなり粘ったのに、つけていいと言われるまでにはそれなりに時間がかかった。
そんな事に考えを飛ばしていたら、物珍しそうに周りを見ていた男性と目が合った。ちょっとだけ、気まずそうに頬をかいているけど、嫌なものではなさそうだ。
「ええ、っとこりゃまた小綺麗なところだな……」
「ありがとうございます」
「こんなおっさんが来ていい場所じゃない気がするんだがなあ」
「そんなことないですよ」
「はは、世辞でも嬉しいよ。ありがとな」
自分からおっさん、と称するんだからそこそこ年齢は重ねているんだろう。疲れている様子だから年齢よりも老けているようにも見えるけれど、シャツやパンツ、ネクタイだって自分に似合うものをよく分かっているようにセンス良くまとめてある。
「え、っとお酒を嗜まれると聞いているんですが」
「ああ、それね。酒入れないと寝れなくてさ」
「え?」
思ってもいなかったことを言われて、お酒飲みたいと言われたらどうしようかな、と考えていたことが一瞬で真っ白になる。あたしの様子に気づいていないのか、男性は何でもない事のようにさらさらと言葉を詰まらせることなく話しているけれど。
「目を閉じても数字がずっと目の前を踊ってたから、あんま強くないけど飲んでたんだよ」
「あー……それなら、お酒がなくてもおつまみだけあれば」
「十分だな。むしろ、そっちのが好き」
言葉の端々から連想できるこの場に来る前の男性の様子は、恐らく想像の通りだろう。そうなると事情が事情だけに問いただす事も出来ず、無難な方に話を逸らすことにした。こうやって転生する人の事を多く見て来たけど、なんでこう、過労とかそんな状況の人ばっかりなんだろう。
ともかくも、そんな思いをしてきたのだったら、せめてここでは楽しく過ごしてほしい。
「分かりました。あたし詳しくないので、教えてもらってもいいですか」
「とは言っても俺だって外で飲む事なかったからなあ。枝豆、たこわさ、後は普通にご飯食べるくらい」
うーん、と悩みながらもぽつぽつと男性が話してくれたメニューなら割と簡単に用意が出来る。あたしはお酒に合う料理、はよく分からないし、見たことも食べたこともない料理が出てくるよりは親しんでいたものが出てくる方がいいだろう。
うんうんと頷きながら聞いていたあたしの様子を見て、男性が何かを思い出したかのようにちょっとだけ目を細めた。
「あ、でも食べたい物言っていいなら鮭がいいな」
「さっき酒はないって言ったけど?」
「神様、お酒じゃないよ。魚の鮭、ですよね?」
「そうそう。しゃけ、ね」
思わず、と言った様子で口を挟んだ神様に、あたしと男性は目を見合わせてから、笑ってしまた。これは確かに音で聞いたら同じだから分かりづらいんだよね。食べたい物、と前置きをしてもらわなかったら、あたしもたぶん神様と同じ発想をした。そう、と小さく呟いた神様がふいっと顔を背ける様子に、また笑いそうになったけれど今度こそ拗ねてしまうので、口の中だけでなんとか止めて、キッチンに入る。
「簡単に出せるもの、用意しようか」
「枝豆?」
「塩ゆでと、ちょっと手が汚れるの気にならないなら」
男性から話を聞いている時に、あたしが思い浮かべていたものは神様だってもちろん分かっているから、聞いているのにもうすでに手の中には枝豆が用意されていた。
受け取りながら、用意した調味料に、もう少し追加をしようとさらに手を伸ばした。
「唐辛子?」
「オリーブオイルで炒めて、にんにくと唐辛子で味付けするの。お酒飲まなくても、絶対美味しいから」
にんにくと唐辛子の香りを移すようにオリーブオイルをフライパンで熱して、枝豆を炒めたら塩胡椒で味を調えるだけ。お手軽だけど、塩だけとまた違った味わいで手が止まらなくなるんだよね。どうしてもさやから豆を出すときに手が汚れてしまうから、布巾も一緒に渡せるように準備していく。
味見をした神様が自分の分を少し多めに確保したのを見て、また今度作るからと宥めてようやく男性に差し出すことが出来るくらいには、気に入ったらしい。
「お嬢ちゃん、これは酒飲みだったらたまらないやつだわ」
「酒飲みじゃなくても止まらないですから」
うまいな、なんて表情を崩した男性に、にっこりと笑ってキッチンに戻る。すました顔の神様が待っていたけれど、口元に油が残っているんだよなあ。それでも絵になるんだから、顔が整っている人ってどんな状況でも強いなあと思うしかない。
「鮭、かあ。でもお酒飲んですぐ寝るような生活してたなら、野菜も食べたいよね」
さっきの男性から聞いたおつまみのなかで野菜だと呼べるのは枝豆くらいだ。揚げ物オンリーとかじゃなかっただけ、まだよかったけど。だけど、間違いなくいろいろと足りていない。好き嫌いではなくて栄養面で。あたしもまだ詳しく勉強していたわけではないから、ちゃんとした知識で献立を作ることは出来ない。
「ちゃんちゃん焼きにしよう。野菜たくさん食べれるし、しっかり食べてもらえるし」
メニューが決まれば、それに必要なものを準備するだけ。これは、ホットプレートで山のように野菜を用意して作るのが楽しかったんだけど、今日はフライパンで。
「野菜、なにが残っていたっけ」
野菜の確認に行く前に、鮭に塩胡椒を振っておこう。それからお味噌。お酒で伸ばして、お砂糖とみりんで甘味をつけていくんだけど、お味噌の種類でも味が変わるし、甘さを自分の好みにしていくのが結構好きだった。
「きゃべつと、玉ねぎでしょー。あ、きのこもある!」
「随分とたくさん持って来たね」
「いい機会だから、使い切ろうかなって」
必要な時に必要な分を呼び出してもらえばいいんだけど、お代わり用に多めに作っておこうとか考えたり、あたしが分量をグラムとかではなくて、だいたいこのくらい、で覚えているからか残ってしまうものは、それなりにある。
自分のご飯で使ったりしていたんだけど、今回は野菜がたくさんあると美味しい料理だから入る分だけ使ってしまおう。
「とはいっても、野菜切ったらもうほとんどやる事終わりなんだけど」
「そうなの?」
「あとは蒸し焼きにすればいいだけだもん。簡単でしょ?」
ざくざくといい音を立てて動く包丁を見ながら、神様が野菜をボウルに入れていってくれる。おかげでまな板の上には常にスペースが出来ていて、何と作業がしやすいことか。きのこにきゃべつ、玉ねぎにじゃがいもがあったし、これだけあれば十分だろう。
塩胡椒を振っておいた鮭から水分を拭きとって、皮目を下にして焼いていく。バターは後乗せもしたいから、少し控えめに。焦げ付いても、この後に野菜を入れるし蒸し焼きになればほとんど気にならない。食べるときに、崩しちゃうしね。
「いい匂いだね」
「こう、お腹を刺激されるよね……」
鮭が焼けて来たら、周りに切った野菜を敷き詰めて、作っておいた味噌だれを回しかけたら蓋をしてじっくり弱火で火が通るのを待つ。
その間に卵のすまし汁を作ってから、枝豆のさやを回収するために男性の元へ向かう。テーブルで担当さんと向かい合って談笑していたから、声をかけずにいるつもりだったのに、向こうから笑顔でお礼を言われて、何となくそのまま会話に加わってしまう。
「枝豆、うまかった。こんな味付けあるんだな」
「ありがとうございます。意外と美味しいでしょう?」
「ああ、出来ればもっと前に知りたかったくらいには」
穏やかな顔で言われるけど、担当さんは目線を下げているし、あたしだって何かを言える立場ではない。困ったように笑うしか出来なかったけれど、キッチンから神様が呼ぶ声がして慌てて戻る。
「ありがとう、いいタイミングだった」
「野菜、焦げそうだったんだけど?」
不思議そうに首を傾げる神様にもう一度お礼を言って、蓋を開けてみる。ふんわりと香る味噌の香りと、野菜の甘い匂い。これならもう大丈夫だろうと残しておいたバターをひと欠片、野菜の上にそっと乗せる。これなら余熱で溶けるし、後で混ぜ合わせる時に全体に香りが広がっていくはずだ。
先にご飯とすまし汁を出してから、フライパンをそのまま男性の前にどんと置く。
「鮭のちゃんちゃん焼きです。どうぞめしあがれ」
「ありがとう。いただきます」
ぱっと見、野菜がてんこ盛りになっているようにしか見えないのに、男性はそこにあるのが分かっているかのように、箸で下にあった鮭を見つけ出し、嬉しそうに笑う。一口サイズに切り分けた鮭と野菜と一緒に口にすれば、味を確かめるような様子でぎゅっと目を閉じた。
「懐かしいなあ……俺、出身の話した?」
「いいえ、鮭、というリクエストしか」
「北海道の出身だからさ、よく食べてたんだよ。その家ごとに味付け違うのも面白くてなあ。
俺のところは、もろこし作ってたからよく入れててさ」
それきり、男性はほとんど話すことなく食べ進めていく。あたしが知っているなかでたまたま、懐かしいという感情を呼び起こしてしまったようだけど、それも嫌な気持ちになったわけではなさそうでほっとした。
「ご馳走様。本当に、いいもん食わせてくれてありがとな」
「いえ、ありがとうございます」
くたびれた服も、無精ひげだって来た時と同じなのに、違うのは男性の顔つき。疲れた表情は、やる気に満ちていて、自分の事をおっさんと称さず、俺、と呼んだその姿は年齢よりも若々しく見えた。
「まだまだ若いもんには負けらんないよな。もいっちょ、頑張って来るわ」
「はい! いってらっしゃい!」
……十八歳で成人になっても、お酒は二十歳からですね。
味噌とバターって、どうしてこうも相性がいいんでしょう。ご飯が進んでしょうがない。
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