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ついつい進む筑前煮

春那(はるな)、ちょっとでも変だと思ったら言うんだよ?」

「もうばっちり! いろいろとありがとう、神様」


 あれから、鍋いっぱいに作ってくれたミネストローネをパスタにしたりして神様と二人、美味しく食べきった。そうして布団と友達になること丸二日、熱も下がり、思っていたよりも心配症だった神様からようやく布団を出てもいいと許可が下りた。

 ググっと体を伸ばすとパキパキと骨の鳴る音がする。布団の中でほとんど動かすことのなかった体を解すように、腕や足、背中などをしっかりと伸ばしていく。こういうときに一番効率よく体を動かせるのは、ラジオ体操だと思う。あの曲を聞くと何となく体が動いてしまうくらいに刷り込まれている、とも言うけれど。


「役に立ったなら良かったよ。早速だけど、連れて来ても?」

「もちろん。お待たせしちゃってごめんなさい。その分頑張るから」


 あたしが音楽に乗って体を動かしているのを変な目で見ていたけれど、神様もちょっと手を動かしていたの、見えてるんだからね。

 そのうち勝手に覚えて体が動くようになるんだろうな、と思いながら伸びて少し温かくなった体で、キッチンに入った。

 あたしが具合を悪くしたことで延期をしていたけど、次が決まっている人はやってくる。そのために、下準備はしておかないと。



「へえ、ここで料理、ねえ……」

「ようこそ」


 辺りをきょろきょろと見渡しながら入ってきたのは、訝しげな顔をした青年。下げていた頭を上げたら、思っていたよりも幼げな表情をしていた。声はちょっと高めだけど、あたしと同年代くらい、じゃないだろうか。同じことを向こうも思ったようで、あたしと目が合った瞬間に驚いたように目を丸くした。


「え、しかも若いじゃん。大丈夫なの?」

「同じくらいだと思うんですけど」


 後半は、自分の後ろにいた担当さんに向けての言葉だったけれど、そのなかに若干どころじゃなくて明らかにあたしの事を見て馬鹿にしたような感情が込められていた。担当さんも前にあたしのことを小ばかにしたような見下したように見ていた人だったから、同調するように頷いていたけど。

 隣の神様がそれはもういい笑顔で居るんだけど、気づいていないのかなあ。こっちを指さして本当に大丈夫か、と担当さんに詰め寄っている青年に届かないとは思ったけれど、ボソリと自分の見解を告げておく。人の事を若いと言うのなら自分だって見方を変えれば童顔、になるんだろうに。


「それで、何を作ってくれるの」

「ある程度のリクエストにはお応えできると思います」


 あんまり気が乗っていないように見えたのに、あたしがそう言ったら面白そうに笑みを深めた。


「ある程度、ねえ。それじゃあさ、ラクサ」

「え?」

「パタタス・ブラバスは?」

「えーっと、ごめんなさい。どんな料理ですか?」


 ラクサ、は聞いた覚えがあったけれど、その後に言われたのは、何の呪文だろうかと本気で首を傾げてしまった。その様子を見て、青年はただ笑っているだけで答えをくれるそぶりもない。もちろん、後ろで立っている担当さんも同じ。ちょっと俯いてしまって、眼鏡で表情は見えないけれど、あたしが慌てているのを内心ほくそ笑んでいるのかもしれない。少しだけ、体が震えている。

 これはまずい、そう思ってからは早かった。とりあえずお水と小腹を満たせるもの、今回は何の手も加えていないナッツをテーブルに置いて、神様を引っ張ってキッチンに入る。

 調理しているところはカウンターからは丸見えだけど、内緒話が出来るスペースは、一応作ってある。ただの貯蔵庫だけど。


「彼、両親の都合で海外の方が長いんだって」

「それじゃあ、外国の料理か。うーん、調べられない、よね?」

「春那の知識がないと、手伝えないな」


 いつもは名前と性別、それだけだし困ったこともなかったから良かったんだけど、今回は別だ。神様が知っていることで、あたしが聞いても問題のないところを教えて欲しいと頼み込んだ。だって、料理の名前が分からない。ネット環境があれば簡単に調べられるんだけど、ここにネットはない。それから、本だってあたしが自分で書き残すか、内容丸暗記レベルで読み込んでいるものじゃないと呼び出せない。

 ダメ元で神様に聞いてはみたけれど、返事にはそうですよね、としか言えなかった。


「ねえ、作ってくれるんじゃなかったの?」


 テーブルの向こうから聞こえてきた声は、待たされたことに対してなのか自分の思った料理が伝わらなかったからなのか、苛立っているように聞こえた。

 リクエスト受けますと言っておいて、分からなかったのはこちらだし待たせてしまったのは、今だけではない。気が抜けたから体調を崩していた、なんて青年には関係ないのだから。


「分からない料理は調べられなくて……ごめんなさい、作り方を教えてもらってもいいですか?」

「ならいいよ。何でもいいから、適当に作って」


 空っぽになった小皿を差し出されたので、ナッツを補充して、そっとチョコレートも添えておく。水はまだグラス半分もなくなっていなかったけれど、また途中で声をかけてもらうのも申し訳ないから水とアイスティーを入れたピッチャーも出しておく。


「何だかちょっと生意気だね」


 何でもいいと言われたので、貯蔵庫に戻り食材を探していく。献立を決める時に、誰かに意見を聞いて一番悩むことになる答えが『何でもいい』だ。確かに、本当に口に入るならなんだっていいやと思うくらいのときってあるんだけど、青年の言い方だと、どうしてもそうとは思えなかったんだよなあ。

 神様は、ちょっとばかりご立腹みたいだけど。あの担当さんも青年と一緒になってあたしの事を見ていたから、そっちにムカついているのかもしれない。


「反抗期ってやつかな。まあ言われた料理分からなかったし、しょうがないけど」


 専門学校に行っていたら、もしかして勉強していたのかもしれないけれど、それを言い出したらきりがないし、新しく学ぶことは難しいんだから、ある知識でどうにかしないと。


「海外が長いのなら、和食はあんまり食べてないかなあ」


 あたしと同じくらいの年齢で、海外によく行っていた、なら多分旅行ではないだろう。親の都合であったり、もしかしたら何かスポーツとか、芸術関係で自分一人だけ海外で生活していた、なんて事なのかもしれない。それなら逆に和食の方が物珍しかったりしないかなと思って、少しでも興味を持ってもらえるようなものを作ってみようと頭を切り替える。


「たけのこご飯と筑前煮、どうだろう」

「何でもいいって言ったのは向こうなんだから、食べさせればいいんだよ」

「神様、そんなに態度が気に入らなかったの?」

「どちらかといえば、後ろの担当にだけど。ああいうときに宥めたりするのも仕事のひとつだから」


 言われてから、今までここに来た人と一緒にいた担当さんの態度を思い返すと、まあ宥めるような機会もなかったけれど、あそこまで口出しもせず、動きもしなかった人はいなかったな。


「それじゃあ、そんな仕事を放棄している人は放っておいて、料理作りますか」

「ん、任せて」


 本当は掘って来たばかりのたけのこを用意してもらう方がいいんだろうけど、今からアクを抜いていたんじゃかなり待たせてしまう。ああれ、地味に時間がかかるんだよね。鷹の爪ならともかく、米ぬかって今じゃ簡単には手に入らないし。おばあちゃんの畑仲間から譲ってもらって、ぬか漬けだって作っていたけど、あれは思っていた以上に贅沢だったのかもしれない。

 そんなわけで、今回は水煮。あと、最近ではよくある煮物用にパックされている野菜も一緒に。

 大量に作るならともかく、そこそこの量でいいならこっちの方が手軽だし、なにより持て余すことがない。


「こんにゃくは、さすがに入ってないか」

「春那、これどう切るんだい?」

「こうするの」


 ぶにぶにと指で突いていた神様からこんにゃくを取り上げて、お椀を逆さにして持つ。指で千切れないこともないけど、爪の間に黒いものが入り込むと取るのが大変なのだ。切り口がギザギザになるから、味だって染みやすくなると言われたけれど。包丁で切ろうと思うと滑りやすいから注意が必要だとも。


 それから、鶏肉。今回はいつも作るよりもちょっとだけ多めにしておこう。筑前煮はいろんな具材があるけれど、お腹に溜まるメニューかどうかは疑問なところだ。あたしは、鍋ひとつを食べてしまって主食になってしまうときがあるから、参考にはならない。

 まあ、男の人なら肉があった方が食べ応えもあるでしょう。大き目の鶏もも肉を一口大に切って、お醤油とお酒でちょっと下味をつけていく。その間に、ご飯とタケノコを準備していけば、ちょうどいいくらいの時間で出来上がるだろう。


「お米は研いであるよ」

「神様、さすが。準備がいい! じゃあ味付けして炊くだけだね」


 炊飯器にセットしたお米に、お醤油、お酒、それからみりんを入れてお米に合わせて出汁を入れる。その上に切ったたけのこをお米が隠れるように全体的にいれたらあとは炊飯器にお任せ。お手軽、だけどとても美味しいご飯が食べられる。

 たけのこご飯の作業がひと段落したので、筑前煮に取り掛かろう。さっき下味をつけておいた鶏肉が良い感じに染みているだろうから、鍋で油を熱して焼き目をつける。

 パックの野菜はもう下茹でが済んでいるので、全体的に油が回ったらだし汁を入れていく。


「お、いいにおい」

「もうちょっと煮込むけど、味見する?」


 味見用に菜箸を渡してみたら、答える前にひょいと箸が鍋に飛び込んだ。赤い色が鮮やかな人参をひとつ摘まみ、口に放っているけれど。


「あつっ……!」

「そりゃそうでしょうよ」


 口を押さえて、ちょっぴり涙目になりながらも次はどれにしようか、と楽しそうに選んでいる。そんな神様の姿は向こうからも見えたのか、ちょっとだけ体を動かしてこちらの様子を伺っているように、影が動いた。

 もしかして、神様はそれを狙っていたんじゃないかと思うくらいのタイミングの良さだけど、聞いても答えてくれないだろう。


「あんまり味見されると、残らないんだけど」


 あくを掬っている間に、ひょいひょいと食材が神様の口に消えていく。これ以上はダメだとお酒とお砂糖を入れて、アルミホイルで落し蓋を作る。神様は残念そうにしていたが、これはいじわるではない、必要な手順だ。弱火で煮込んでからお醤油を加え、彩りよくするために絹さやと、最後の味付けになるみりんを入れて煮詰めれば、筑前煮の出来上がりだ。


 お味噌汁と箸休めに白菜の浅漬けを用意していたら、ご飯も炊けたのでお皿によそっていく。ここまで和食で揃えたけど、好みではないと言われたら今度こそ食べたい物を教えてもらおう。あたしが聞く前に神様が怒りそうだけど。


「お待たせしました、どうぞめしあがれ」

「いただきます」


 文句じゃないけれど、なにかは言われると思っていたからなにもなく箸を持ってくれたことに目を丸くしてしまう。その様子は、筑前煮をつついている青年には見られなかったけど。

 ナッツとチョコを置いておいた小皿は空になっていたから、お腹空いていたんだろうか。お水はあんまり進んでいなかったけれど。

 担当さんにも同じように出しておいたけれど、こちらは手を伸ばすことはなく、重ねた手は膝の上から動かない。今までの態度を見ても、食べてくれるとは思っていなかったから、これは予想通り。

 予想以上なのは、青年の食いつきっぷりだ。さっきから一言も発することなく黙々とたけのこご飯と筑前煮を食べ続けている。


「美味しい」

「良かった。海外の料理に慣れているみたいだったから不安だったの」


 お代わりのたけのこご飯を渡しながら、求められていた味ではなくても満足してもらえそうでほっとした。


「ねえ、そうまでして料理作って、何か得があるの? あんたにだって、先があるかなんて分からないのに」


 得、と言われれば今この状況は全部得なんだけど。それを説明するのは大変だし、神様含めてここの人達の間違いを蒸し返すような気がしているから言うのは控えている。

 だから、その辺りをうまく濁しながらもあたしの今の気持ちを言葉にするならば。


「あたしの夢、だったから。諦めなきゃいけなかった夢を、叶えてもらってるの」


 あの時、神様が拾い上げてくれなかったら、あたしは今こうして料理を作っていられなかった。それどころか、そんな夢があった事すらもう消えていただろう。だから、この場にあたしがいる事、それだけで得なんだ。


「だって美味しいって言ってくれたでしょ。それを聞ければもう、満足なの」

「変なの」


 それから、取り分けておいた筑前煮だけは神様が死守し、青年は食事を終えた。担当さんに出した分も全部綺麗に平らげて。


「あのさ、最初変な事言って悪かった。ご飯、美味しかったよ」

「ありがとう。今後のために、どんな料理か教えてもらえると嬉しいんだけど?」

「しょうがないな、一度しか説明しないからね」


 ふいっと背けた顔と、声色できっと青年は照れているんだろうなと思ったけれど、それは心の中で留めておく。

 そうして、新しく教えてもらった料理はすぐに書き留めて、あたしのお手製レシピノートが充実したのだった。


ラクサは、シンガポールで食べた香辛料が利いた麺料理。太い麺をスプーンですくって食べましたが、調べたら結構種類があるんですね。

パタタス・ブラバスは、ピリ辛ソースが美味しいじゃがいもフライ。スペインバルのタパスが美味しくて。


お読みいただきありがとうございます!

味見と称してよくつまみ食いをしていました。

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