憧れランチ・後
「この匂い……」
さっきまで、ずっと下で固定されていた視線がようやく動いた。まだ恐る恐るといった様子だけど、匂いの元を辿ろうと思ったのは、大きなきっかけだ。
「春那」
「うん。分かってるけど、まだ」
担当さんもピクリと肩を揺らしたけれど、まだそれだけ。ここであたしが反応してしまったら、女性が態度を変えてくれることはない気がしている。ただの勘だけど。
「スープはもう出来るけど、神様たちはこれじゃ足りないでしょ?」
「あれ、僕たちの分もあるの?」
女性の反応に気づかなかったふりをして神様に話を振れば、一瞬だけきょとんとした顔を見せたけれど、即座に乗ってきてくれた。それが自分たちの食事を考えていたからという、予想外の事だったとしても。そういえばどんな料理が食べたいのかとは聞いたことがあったけれど、量が足りているかどうかを聞く機会は、うん、なかった。
「食べるよね?」
「食べるけど」
いつもの食事量を見ていれば、ごろごろとした具材が入っているとはいえ足りないというのは分かっている。一応、念のために聞いてみたんだけどかなり食い気味で返事が来たから、間違いなく足りないんだろう。
作っているところを見ていたから、メニューだけでどんな料理か分からない状態ではないし、どのくらいのボリュームになるかも分かっているからこその返事の早さだったと思うけど。
「玉ねぎと、とうもろこしが残ってる。人参もまだちょっとあるなあ……」
さて何を作ろうか。ボリューム出したいからご飯系にしようかな。そんな事を考えていたから、聞こえてきた声に反応するのが少し遅れてしまった。
「あの……」
「え、はいなんでしょう!?」
「あ、の……食べたくなったら、って言ってたので……」
女性は恥ずかしそうにちょっとだけ頬を赤く染めているが、両手で持っているコップは空になっていた。担当さんも小さく頷いてくれているし、ひとまず安心した。女性本人が食べたいと思ったのならば、当然だけどそっちが優先だ。神様と担当さんは、同伴者。そして、食べ物の好き嫌いは今のところ何の申告もない。
「食べたいもの、思い浮かびました?」
「スープも美味しそうなんですけど、あの、オムライスって……」
「出来ますよ! あたしも好きです」
残っている野菜がちょうど上手く使えるメニューだ。ご飯炊く時間もあるから早速作り始めよう。
玉ねぎ、人参は細かく切ってとうもろこしの粒と大きさを合わせていく。研いだお米にお水を入れて、ケチャップ、コンソメを加えて混ぜてから、さっき切った野菜を乗っけて、これでご飯の準備は出来た。あとは炊飯器にお任せだ。フライパンで炒めながら作ってもいいけれど、量が必要な時はこっちの方が腕が楽。
「まさか、本当に反応するとは思っていなかったよ」
「そうですね。あたしもびっくりしました」
担当さんは女性と言葉を交わし始めたようで、料理をしながらも少し会話が聞こえて来る。神様はこそっと、カウンターを挟んだ女性と担当さんには聞こえないような音量で話しかけてきたので、たぶん向こうには作業の確認をしているんだろうなくらいにしか思われていないはずだ。そして、それを本当に見せるのもあたしの仕事。
「はい、神様。卵溶いておいてね」
「……りょーかい」
ご飯が炊けるまでにちょっと手が空いたし、スープは出来ている。ちょっとサラダを添えるにしたって、葉っぱちぎるだけだからそんなに手間はかからない。今までほとんど食べていないだろう人に出す食事としてはオムライスだけでも十分なのかもしれないけど、あと一品何かが欲しい。
「そうだ、作り置きがあったような……」
自分の簡単ご飯用に作ってあるものをちょっと持って来て、オムライスメインのランチプレートみたいにしよう。女性の分は少なめにしておけばいい。見た目にもちょっと華やかになるから、食欲を刺激してくれればいいんだけど。
「これにしよう」
「なかなかに豪華になるね」
「でしょ? もちろん、メインはオムライスだけど」
焼いて冷凍してあったミニハンバーグをデミグラスソースで煮込んでいく。缶を使った簡単ソースだけど、ハンバーグとの相性はばっちりだし、オムライスに使ってもいい。
そうこうしている間に、ご飯が炊けたので卵に取り掛かる。神様が溶いてくれていたので、もう焼くだけだ。ふわふわのオムライスは、あたしにとっても思い出。もう何度も作っていたから手が自然と動いていく。
オムレツのようにだ円形して、形を整えたご飯の上に乗せる。食べる時に切ってくれれば、ふわふわの卵が出てくるのだ。これ、火の通り加減を覚えるまでに相当練習したんだよね。出来上がった時の感動と、出した時の母親の喜びようは頑張って良かったと思えるものだった。
そうして出来上がったのは、オムライスメインで、ミニハンバーグとサラダが乗ったランチプレート。スープはどっちがいいかを聞いてから。
「無理はしないでくださいね」
ポトフとコーンスープ、どちらもよそってからどっちか好きな方を選んでもらおうとプレートを出した後に女性に問いかければ、悩んでいたけれどコーンスープを選んでくれた。プレートの量を見てからだから、多分これくらいなら食べきれると思ってくれたんだと思う。
「わたしのこと、聞いているんですね……」
「あんまり食事を取られていない、とは」
消滅しそうだと聞いています、なんて正直に言えないから濁してみたけど、それも女性は分かったように困ったように笑うだけ。
「ここに来る前、ね。子供たちと一緒にいたの」
コーンスープを置いた音に紛れてしまうくらい、小さい声。だけど確かに届いたのは、女性からの声。担当さんも神様も驚いた顔をしていないのは、知っているからだろう。
「幼稚園の前の庭で、遊んでたのよ。そこに、車が突っ込んできてね……」
きちんと座って話を聞こうと、そう思って女性の隣に移動してから聞いた告白は、衝撃だった。ここに来る人は、前の生を終えている人。それは分かっていたけれど、最近はあまりここに来るまでの話をする人がいなかったから、思わず息を詰めてしまう。
無意識に体を逸らしてしまったあたしのことを、神様がそっと支えてくれた。女性の隣の担当さんも、女性の震える肩に手を添えている。
「子供たちを守れたことに後悔はしていない。だけど、血だらけの姿を見せてしまったことは心残りでね。
そんな自分がここにいて、次の世界で役割があるなんて……許せなくて」
そうか、一緒にいた子供たちというからには、幼稚園には女性と一緒に遊んでいた子供が多かったんだろう。車が突っ込んでくるというだけでも怖いだろうに、自分の亡くなる姿を見せてしまったことが、ショックでたまらなかったんだと思う。それなのに、目が覚めたら知らない人から異世界に転生してもらいます、なんて言われたら。どれだけ時間をかけたところで理解も納得も、出来ないだろう。
「だけど、もうわたしは戻れない。どれだけ祈っても願っても、それだけは叶えられないって言われたもの」
転生というものが叶うのならば、元の世界に戻れるかもしれないと、そう考えたって無理はない。それで自分の体が弱っていくことなんて構わずにずっと祈っていた、と。もしかしたら、なんて思いはどうしたって捨てきれないから。
「消えたって、構わなかった。あの子たちの事を守り切れなかったんだもの。だけどね」
「だけど?」
「あなたが作ってくれたスープの匂い、思い出しちゃって」
何かを堪えるようにぐっと握りしめていた拳はゆっくりとスプーンを取り、まだ湯気を立てているコーンスープをすくった。
「次が用意されているというのなら、今度こそ子供たちを守り切ろうって、決めたの」
少し冷ましたコーンスープを口に運んだ女性は、ホッとしたように表情を和らげた。それがきっかけになったかのように、オムライス、サラダ、ハンバーグと次から次へスプーンを動かしていく。
何かを吹っ切ったような食べっぷりを見た担当さんは目を丸くしていたけれど、あたしはふう、と長く息を吐いてから神様たちの食事を用意するためにキッチンに戻る。
オムレツを作ればすぐに出せるようにしてあるので、卵を溶いてオムレツを焼いていく。二人に出すスープはポトフでいいだろう。それなら粒マスタードも用意しておかないと。
初めに女性の告白を聞いた時には、あたしの料理が役に立つとは思えなかったけど、無事に役目を果たせたようで何よりだ。
「思い出したって、何だったんだろ」
「知りたい?」
「うわ、神様!?」
あたしが席を立った時にはまだ座っていませんでしたっけ。いきなり背後から声をかけるのはびっくりするからやめてほしい。オムライスにハンバーグを添えていた時だったから、ちょっとこぼしてしまったじゃないか。
「ごめんごめん。それで、知りたい?」
「絶対悪いって思っていないでしょ。……教えてくれるの?」
今回に限っては、あたしはいつも聞いている名前と性別は教えてもらっていなかった。それはもしかしたら女性の役に立たずに、そのまま別れるかもしれなかったからだと思う。
どうやってここに来て、どんな世界に旅立って、どんな役割を果たすのかも聞かされないまま。毎回そうだからもう慣れたと思って聞かないようにしていたけれど、聞いてもいいのなら教えて欲しい。
「彼女の言う子供たちと一緒にご飯を食べていたから、かな」
「それ、あんまり答えになっていないんだけど?」
ジト目で神様を見ていたけれど、笑うだけでそれ以上の答えを告げてくれる気はなさそうだった。あたしに言えることは限られているだろうから、突っ込んだところで細かいところは教えてくれないだろう。神様の言葉から察しろ、と言われているみたいだけどあたしはまだそんな言葉の裏を読み取ることなんて出来ず。
予定していたハンバーグをひとつ減らしたって、これはただ女性が思った以上に食べたからお代わり用に取っておくだけ。決して悔しかったからじゃない。
「わたし、しずくって言います。高矢津しずく。あなたは?」
「鈴懸春那、です」
「春那ちゃん、美味しいごはんありがとう。わたし頑張るから」
オムライスプレートを綺麗に食べきったしずくさんからは、来た時の今にも消えてしまいそうな雰囲気は全く感じられず。一緒に食べていた担当さんと笑って話せるまでに気力を持ち直し、次の世界では子供たちが安心して笑える場所を必ず作ってみせる、と気持ちも新たに旅立っていった。
後日、担当さんからしずくさんが宣言通りに異世界にも関わらず、日本の幼稚園と同じ水準の施設を作り上げたこと、その功績もあり聖女として歴史に名を残したことをこっそり教えてもらった。そして、彼女の好物としてオムライス、が共に語られるようになったことも。
大人でも食べられるお子様プレート、夢のようですよね…!
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