懐かし漁師飯
「久しぶりにやったけど、覚えているものね」
「ね、ねえ春那……? それ、は」
「見たいって言ったの、神様よね?」
「うん、いや、確かに言ったけど」
何かの拍子であたしが魚を捌いていた事を話したら、仕事の連絡が入ったのが始まり。ちょうど良いとばかりに魚を用意してもらったから早速調理に取り掛かったんだけど。
今から来る人が何をリクエストしてくるか分からないから、好みではなかったらあたしが食べればいいやと、考えていた献立に使いやすいよう、捌いていく。
「そこに置く意味はある!?」
「あはは、目が合っちゃった?」
いつもは神様が連れて来るのに、そうするとあたしの作業が見れないからと今日は連れてくることを別の人に託してまでキッチンに張りついていた神様、その目の前にあるものは、頭。
思っていたよりも立派な鯵だったから、これならあら汁も十分いいお味になるだろうと思って三枚に下ろしながら別のところに置いた頭が、ちょうど神様の目が合う位置になった、ただそれだけ。
作業の邪魔にならないように、とまな板の前に置いただけなんだけど、あんまりにも神様が怯えたように見ているのでボウルに入れて目を合わせないように下げておく。
「いつも思うけど、春那は食材を無駄にしないよね」
「そう? あんまり自分じゃ意識した事ないけど」
中骨も出汁を取る用に頭を一緒のボウルに入れていたら、神様から感心したような声が聞こえて来た。若干、後ずさっているように見えるのは気のせいだと思いたい。自分から見たいって言った手前、この場を後にするというのは考えてないようだ。
神様にもそういう感情があったんだなあと思いながら、あらを入れたボウルはそっと脇に寄せて視界から外れるようにした。
「作業台も綺麗にしているし、春那に仕事を任せたのは、やっぱり正解だったな」
「はいはい、ありがとうございます」
「そんな投げやりな返事しなくてもいいじゃないか」
不貞腐れたような顔をしながらも、やり取りを楽しんでいる雰囲気を出しているので、あたしも安心して軽口を叩くことが出来る。些細な変化だけど、読み取れるようになるくらいの時間を共にしているんだなあとなんだか嬉しくなった。
笑顔で魚に向き合っているその姿が神様をまた怯えさせているとは気づかずに、作業を続けていたらこんこん、と控えめなノックの音が聞こえて来た。
入り口に向かったのは、神様。いつもよりも足早なのは、自分の仕事を他の人に任せてしまったという罪悪感からだろう。決して、この場から離れられる安心からではない、きっと。
「なんだか、いい匂いしますね」
戻って来た神様が連れていたのは、日に焼けた肌に、短い茶髪が良く似合っている男性。お兄さん、と呼んでも差し支えないくらいの年齢差だと思うけど、見た目で判断は出来ないので男性呼びをしておこう。外で何か体を動かすようなことをしていたんだろうな、と思わせるしっかりした体つきだけど、今は初めての場所に緊張しているのか、少し肩を縮こまらせている。
そんな様子の男性が、ふと肩の力を抜いた時に聞こえた言葉。
「ありがとうございます。お魚、大丈夫ですか」
「ええ。実家が海の近くなので懐かしいです」
さっき捌いて出たあらを煮込み始めていたからか、辺りには匂いが漂っている。三枚に下ろした身をまだどうするか決めていないけれど、魚が大丈夫ならこの人に出す料理に使えるだろう。
「良かった。それじゃあ、食べたい物は何ですか?」
「……今作っていたものは、何でしょうか」
「鯵を捌いていたので、あら汁と、アジフライにしようかなって。あ、他にもできますよ」
あら汁はもう準備を始めているのでメニューに組み込むのは決定だけど、アジフライはあたしが食べたかっただけで変更はできる。お刺身、もたぶんこの新鮮さなら大丈夫だろう。海の近いところにいたのなら、他にも何か知っているだろうと思って聞いてみたら、ちょっと遠慮がちに、だけど期待のこもった目が向けられた。
「なめろうって、知ってます?」
「さんが焼きも美味しいですよね」
「!!」
ええ、魚をお裾分けしてくれたおじ様は、お酒飲みだったのですよ。どちらもあたしには馴染みのない料理だったから教え込まれました。なめろうを作って、残った分を焼けばいいやと思っていたらおじ様とおばあちゃん、あたしで綺麗に食べてしまったから次の日にまた釣りに行ったなんてこともあった。
郷土料理扱いだったから、周りでも知っている人は少なかったんじゃなかろうか。それを、懐かしさも合ってサラッと告げたら、男性の目の色が変わった。
「どちらも作りましょうか。あんまり量は作れませんけど」
「十分です、ありがとうございます!」
嬉しそうに頭を下げてくれた男性にお茶を出してテーブルで待っててもらうように案内をする。神様も席に着くように促してくれたから、男性は素直に待つ体勢を取った。
そわそわしながら辺りを見渡しているのが何だか微笑ましい。あんまり待たせないように出来るだけ早く支度するか。
「あら汁の出汁は出来ているから具を用意するだけで済むし、おかずはなめろうに、さんが焼きでしょ」
わかめとかお麩とかの淡白なものでもいいけれど、おかずがなめろうだったら少し具を入れてもいいだろう。大根と人参をいちょう切りにして、薄切りにした生姜も一緒に煮立った出汁の中に入れる。よそってからネギを散らそう。火を通してくたくたになったネギも好きだけど。
ネギはこの後も使うので多めにみじん切りを用意しておく。生姜はすりおろして準備はこれである程度終わり。
「さて、それじゃあ気合い入れますか」
三枚に下ろしておいた鯵をざくざくと切り、少し細かくなったところで生姜とネギ、味付けに味噌と醤油も一緒にしてから包丁で叩く。先に細かくしておいたとはいえ、この作業はなかなか時間がかかる。味噌と醤油が良く混ざるようにもだし、鯵が滑らかになるように叩くのだから、まな板の音はどうしても響く。
神様は目を丸くしてこちらを見ていたが、男性は自分がリクエストしただけあってどう作るのかを分かっていたんだろう。あたしがダンダンと、およそ料理をしているとは思えないような音を出していても気にせずにお茶を楽しんでいる。
この後さんが焼きにもなるから、それなりの量を用意しないといけない。前に海鮮の親子丼を何も戸惑い無く箸をつけた神様だから、きっとどちらも気に入るだろうし。
あんまり量を用意できないとは言ったけど、あれだけ楽しみにしている様子を見たら、満足してもらいたい。
「なかなかに手間がかかるものなんだね」
「ここまで終わったら、もうあとは簡単な事ばかりだよ」
男性と一緒に、調理の様子を伺っていた神様の感心するような声に、あたしはやりきったという気持ちで答えた。だって、これで一番大変なのは鯵を細かく滑らかにする作業であって、なめろうはもうこれでお皿に盛れば完成だし、さんが焼きだって、あとはその名の通り焼くだけだ。
「もう少しで完成するので、あとちょっとだけ待っててくださいね」
「ありがとう。楽しみです」
男性には隠しきれない笑顔が浮かんでいる。郷土料理だけあって、作り方はいくつかあるみたいだけど、あたしの作り方が男性の懐かしの味と似ていたようだ。用意した材料を見て、頷いていたし。
さて、さんが焼きを仕上げましょうか。
広げた大葉になめろうを乗せて、ごま油を引いたフライパンに並べていく。生姜のほかに、みょうがを入れても美味しいらしいけど、あれは結構くせがあるので今回はなし。お皿に添えておけば、口直しになったり、一緒に食べたりできるだろう。
ひっくり返して、反対側もしっかり焼き目をつけるように火を通す。その時間でお米をよそって、あら汁を用意しておく。
焼き上がったらお皿に並べて、これで完成だ。
「お待たせしました!」
「ちょっと、って言ってたのに……いただきます」
「はい、めしあがれ」
音は聞こえていたけれど、あたしがどれだけの量を作っているのかまでは見えなかったようだ。最初は確かにアジフライメインで、なめろうとさんが焼きは添える程度にしようと思っていたからそう言った。途中でこっちをメインにしようと思ったからそれなりの量になっているだけで。
さんが焼きは、手のひらよりも少し小さいサイズで一人三枚。なめろうは小鉢に山盛りにしてしまったけれど、喜んでいるから問題ないだろう。
あら汁は、頭や中骨を取り除いたけれど、具材があるから物足りなくはないはずだ。
「うんうん。このちょっと濃い味が海で遊んできたときに美味しくてね」
「味見はしたんですけど、やっぱり濃いですか」
漁師が持っていった、なんて言われているくらいだから男性の言葉通り塩分は少し強め何だろう。だからこそ、お酒のあてにちょうどいいなんておじ様が気に入っていたんだけど。
普通に食べると、少し濃いのだ。気持ち控えめにしたけれど、生魚だから臭みを取る意味合いもあってあんまり減らすことは出来なかった。
「これが好きだったんだよ。本当に、懐かしい」
「ご飯が進むね、これ」
「たくさん炊いてあるからね。おかわりありますよ」
神様はさんが焼きが、男性はみょうがと一緒に食べるなめろうを気にいったみたいだ。ご飯とあら汁をおかわりした男性は、来た時の緊張した様子が嘘のように寛いでから帰っていった。
転生先でも美味しいご飯を食べられるように頑張ります、と告げてきた笑顔には、一点の曇りもなかった。
子供の頃から食べていたので、しばらく郷土料理なんだとは知らずにおりました。
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