お茶請けにクッキーを
前話の後日談です。
「春那、ちょっといいかい」
「はーい、今行きます」
神様が呼び出されていったと思ったら、いつもよりも時間をかけずに帰って来た。そして直後に呼び出し。これは何かあっただろうとは思ったけれど、その何か、が思い当たるものがない。仕事だったら、神様はこの空間に帰ってきてまずこたつに飛び込むはずだ。それから、名前と性別が書かれた紙を出してくる、というのがここ最近の流れ。
かけていたエプロンを外し、手を洗ってから入り口に向かう。ちょうど作業が終わったタイミングで良かった。
「あれ、あなたこの間の」
そこにいたのは、あまり思い出したくないあれこれがあった時に一緒にいた、担当さん。向こうもあたしの姿を覚えていたのだろう、ひょっこりと顔を出したとたんに頭を下げられた。
「先日は大変失礼いたしました」
「いえいえ。髪飾り、ありがとうございました。もったいなくてなかなか使えないんですけど」
あたしが出歩くことはないから、あまり使う機会がないことが申し訳ないくらい綺麗なバラの髪飾り。ベットの飾り棚に置いて、毎日のように眺めてはいるけれど、あたしの黒髪を彩ったことは数えるくらい。
担当さんも、あたしがどういう状況なのは知っているんだろう。あたしが申し訳ないと伝えても、緩く首を振りながらも笑ってくれた。
神様の金糸ほどではないけれど、この人も色素の薄い髪を持っているんだよね。ゆったりしたような服は誰も一緒のように見えるけれど、隣に並ぶと神様の方が装飾が多いし、布の使い方が豪華だ。あの時はあんまりよく見る余裕はなかったので、ここぞとばかりに見つめていたら、穏やかな笑みを浮かべていた表情が曇る。
そんなに見つめていただろうかと視線を逸らしたら、そんなあたしの様子を見ていた神様から笑い声が聞こえて来た。
「お気に召されたなら、またお贈りしますよ。それで、ですね」
「春那、あの後の事聞くつもりはある?」
「そんな直球で……!」
まだ笑いが収まらない神様の、吐息混じりの問いかけに担当さんが思い切り首を横に振った。神様と並んで立っていたけれど、身長差があるので少し見上げるような体勢になっている。
何より、焦っているというのがどう見ても明らかだ。
「遠回りしたって意味は同じなんだ。それに、気がつかないほどではないよ」
「ああ、まあ気になってはいましたけど」
「それで、どうする?」
神様はにこにこと笑顔を浮かべているし、担当さんは申し訳ないという気持ちが前面に出ている。それでも、あたしが答えを出すのを待つという姿勢を見せてくれている。
「ザックリとでいいので、教えてください。話の中で気になったところは、後から詳細をお願いします」
「春那、初めの説明で異世界についてもあまり突っ込んできてないよね?」
「いやあ、料理に関する本なら読んでるんですけど、流行とかには疎い自覚はありましたから」
「そうだったね。あんまり細かくはいらないよ」
あたしが最初にここに来た時の事を思い出したのか、神様の口元に僅かな笑みが浮かぶ。あたしも思い出せば浮かぶのは苦笑いだ。だって、異世界転生することが流行っているから、と伝えて理解できていればあの説明はしなくても良かったはずなんだから。今はちゃんとにお勉強したから分かっているけれど。
後半、神様の口調が違ったのは担当さんに言っていたからだろう。担当さんも、別に気にすることなく頷いているし。
「それなら、何か食べながら話しませんか」
さっき作っていたのは、ちょうど焼き上がって冷ましていたところだったのだ。たぶん長い話になるんだろうし、それならこのまま立ち話、という訳にもいかないだろう。
こたつはほぼプライベートスペースと化しているので案内出来ないけど、テーブルなら大丈夫だろう。いつもここに来る人を案内しているからいつも清潔にしているし、見た目もそれなりに整っている。
「ああ、それを春那から言い出してくれると助かるよ」
「ええ、本当に」
神様も担当さんも、自分からは言えず、誘われないと席に着けないのかな。そのわりに神様はここでアイスやらなにやら食べているんだけども。
ああ、でもご飯一緒に食べる時はあたしが声をかけてから初めてテーブルに来てくれる。ただ単にこたつから出るのが嫌なのだと思っていたけれど、もしかしたらそういう意味があったのかもしれない。
「それで、何を作っていたのかな」
「えっと、いつでも摘まめるおやつ用にクッキーを少し……」
「すごく、華やかなデザインですね。先日のアップルパイも美しかったです」
「あ、ありがとうございます」
華やかと言われても、そこまで細かいわけではない。時々神様も摘まむだろうけど、ほぼ自分のおやつとして考えていたクッキーだ。ココア生地とプレーン生地を交互に組み合わせた市松模様に、ただの縞模様としてぐるっと生地を巻いていったものは冷凍して固くなった生地だからそこまで手間がかかっているわけではないし、味だって変えていない。抹茶とか、シナモンとかやろうと思えばアレンジは出来るけど。
砕いたナッツを練り込んだものと、周りにグラニュー糖をまぶして焼いたものも、生地のベースは同じ。冷凍にしておけばいつでも焼きたてが食べられるから、と結構量は作ったので三人で食べても何の問題もない。
担当さんの言う通り、見た目には華やかで凝っているように見えるから、こういう場で出すのに向いていて良かったな、とは思ったけど。
「それで、このように美味しいお菓子を頂きながらの話題としては、少々重いのですが」
紅茶も淹れて、興味津々といった様子でクッキーの模様を観察していた担当さんと、見た目にはあまりこだわらずに味の好みで評価している神様。その違いも面白いなとクッキーを摘まみながらの談笑で、話がひと段落したタイミングを見計らい切り出してきたのは、担当さん。
もちろん、この席に誘ったのはそれが目的なのだから、話題を出されたところで首を横に振るわけもなく。
「結果だけ言えば、彼女は役割を果たしました」
「へえ? それ、どんな役割か聞いても?」
つい、と目を細めた神様は笑っているように見えて、笑っていない。そんな表情を真正面から受け止めた担当さんは、僅かに肩を揺らしたが、視線を逸らすことはしなかった。
あたしは隣に座っているから、神様の表情は見えない。だけど、予想できる表情を正面で見たらたぶん、こんなに真っすぐに神様と向き合えないだろう。
胸の奥がざわざわする感覚を落ち着かせるように、ぬるくなった紅茶を口に運ぶ。
「ええ。彼女は望んでいた通り自分が話を知っている世界に転生した。そこの、令嬢として」
「良かったじゃないか。あれだけ望んでいたんだから」
神様から、転生した先では役目を持っていると聞いている。最初の実羽さんは、聖女だった。それからだれがどんな形で転生したのかを聞くことはなかったけれど、令嬢、というのならそこまで生活に苦労するような事にはならないだろう。
ここでの話し方とか、神様と担当さんへの態度とかはあたしの思う令嬢ではなかったけど。そういう世界に転生したのなら、きっと礼儀作法とかも厳しく言われるだろう。
「自分が世界の中心であると疑わず、固執したまま退場を余儀なくされましたけどね」
「……え?」
思っていたよりも重い話ではなかったな、とクッキーに伸ばしていた手が止まる。担当さんは真剣な表情だけど何か堪えるように眉を寄せているし、思わず見てしまった神様は目を閉じている。
「そういう、筋書きだったはずだ。変更があったとすれば」
「ええ。彼女が気づき、己の行動を省みることが出来れば違った未来もありました」
「報告を見る限り、助言があってもそうはならなかっただろうがな」
残念だ、と言っているもののクッキーをかじっているからかそう思っているようには全く見えない神様は、それ以上何も言わない。担当さんも、同じだ。
「それって、あの人はどうなったんですか」
「決まっていた通りになるだけだよ。彼女のあの世界での役割は、悪役令嬢。つまり、退場するまでが役目だ」
「そう、なんですね」
役目を果たした、というのならそれはその世界にとって必要な事だったのだろう。だけど、そうなると分かっていて送り出すことに、何も思わない訳ではない。俯いてしまったあたしを慰めるように、神様がポン、と頭に手を置いた。もう何度目かのその温かさに、子供ではないと思いながらも吐き出せない胸のモヤモヤが少しだけ、楽になる。
「春那はやるべきことをやった。あの世界で、彼女がそういう結末を辿ったのは、彼女自身の選択だ」
報告はこれで、と席を立った担当さんもまた、あたしの頭をポンポンと撫でてくれた。神様と違うテンポで動いていたけれど、手の温かさは変わらなくて目頭が熱くなる。
こういう結末もあるから、料理を出す人のことを詳しく知らせてこないのだと知った出来事だった。
ちなみに、この後担当さんはちょいちょい顔を出してくれるようになり、その度におやつの時間を一緒に過ごすようになる。どうやら、クッキーが相当お気に召したらしい。
神様から自分の取り分が減るからと言われながらも、顔を出す頻度が変わらない上に口も達者になっていったので、最初の印象から結構変わった人でもある。
そして、担当さんの顔を見るたびにこの事を思い出すので、あたしにとって、恵美子さんは実羽さんとは別の意味で忘れることのない人になった。
自分の気持ちに忠実に行動した結果、彼女はざまあされました。役割は、ただの令嬢ではなく悪役令嬢。
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