温かさを包んだシチュー
「へえ、こんな場所もあるんだ」
物珍しそうに視線を彷徨わせていながらも、デニムのポケットに突っ込んだ両手は動かそうとしない、そんな男性が来て神様は思いっきり顔をしかめた。
いつものようにあたしの名前を呼んで来客を告げることもなかったから、男性が声を上げなかったら来ていたことに気づかなかったかもしれない。
ちょうど、キッチンであれこれ作業していた時だったからね。カウンターの椅子を引いて、ここにいる意思は示しているので、ご飯を食べに来たのだと受け取っていいだろう。ちらりと神様の様子を伺えば、すごく嫌そうな顔はしていたけど、一応頷いていたし。
先ほどの男性の声に応えるべく、にっこりと笑顔を作ってから視線を上げる。
「料理食べてもらうのに、殺風景な空間は嫌ですから」
建前が半分、本音はあたしが白い空間で過ごしたくないから自分の思うようにレイアウトを考えだしたら、夢中になってしまったから。食事をする空間は、どこかの隠れ家的な雰囲気が出せているから満足なんだけど。あたしの生活するスペースとは区切るという意味でも、この空間は気に入っているし譲れない。
「なるほど。それで、君は何を作ってくれるのかな?」
「それなりにはリクエストにお応えできると思いますよ」
本人にその意図はないのかもしれないけど、にやりと僅かに上がった口角は挑戦的な笑みに見える。だから、あたしもそれに負けないように、さっきよりも目元に力を込めて笑顔を浮かべたんだけど、男性から続いた言葉は予想外のものだった。
「それじゃあ、俺の食べたい物を当ててみて?」
バイトしていた時にお任せでって注文を受けたことはあったけど、それはメニューという前提があったからだ。それも何度も通ってくれていた顔なじみのお客さんだったから受けただけ。お店も落ち着いている時間だったから、あれこれ話して決める余裕もあったし。
初めましてで、こっちに何の情報もない中でそれはさすがに厳しいんですけど。
「んー、せめてヒントもらえません?」
「とりあえず、何か作ってよ。それからヒント出してあげる」
待っていてもそれ以上の事を男性が言ってくることはなかったので、とりあえずレモンとハーブを入れたお水をピッチャーごと出しておいた。しばらくの時間だったらこれで繋げるだろう。
グラスに手を伸ばしたのを確認してから、男性が来てからずっと控えたままだった神様の方に振り返る。
「神様、何か聞いてない?」
「聞いてないな。特に申し送りももらってないんだけど、どうする?」
神様のどうする、っていうのはそのまま追い出せるけど、って意味になっちゃうんだよね。神様が出来ない事はないから、あの人がどれだけ抵抗したって勝てはしないんだけど。
初対面でどれだけ印象が悪くても、ここに案内されてくるという事はその人には次に旅立つ世界があるし、魂が傷ついているから癒しが必要だと分かっている神様が、そうやって追い出すような真似をすることはない、はずだ。
あたしと接している時はあんまりそう感じないから忘れそうになるけど、神様と呼ばれているだけあって感情の捉え方が違うのだ。今の問いかけだって、あたしがちょっとイラッとしたのを感じ取ったからそう聞いてきただけで、きっと神様自身は何も感じていない。
たぶん、あたしが望めば神様は行動で示してくれる。だけど、一度だってそうしてしまうと料理を出せる機会はもうなくなってしまうだろう。意外と楽しいこの生活を、まだ手放そうとは思わない。
「ちょうど食べたくて作ってあったのがあるから、出してみるよ。それが好みじゃなかったなら考える」
さっきまで火を入れていたから、すぐに出せるのはシチュー。お皿を準備しながら、カウンターでにこにこと感情を読み取らせないように笑顔を浮かべている男性の様子を伺う。
あたしと同じくらいか少し上くらいに見えるけど、ノリが軽いし言葉を選ばなかったらチャラい印象を抱いてしまう。それなのになんか、画面越しに見るような姿というか、笑顔だけど違和感が残るという変な感じ。
「ただシチューでもいいけど、ちょっとだけ豪華にしようかな」
今から作るとなると時間がかかるから、こういう時の味方、冷凍パイシート。
シチューを少し深めのマグカップに移し、少し柔らかくしたパイシートでマグカップに蓋をするように伸ばしていく。パンを温めようと思って予熱してあるから、オーブンはすぐ使える。少し焼くのに時間がかかるけど、今から作り出すよりは絶対早いし、食べたい物当てて、って向こうが言ってきたんだからそのくらいなら待っていてもらおう。
その間にサラダでも用意しておこうかな。レタスに、玉ねぎ、水菜とトマトだったらさっぱりするでしょう。
「うわ、美味しそう」
パイシートも綺麗に膨らんで、少し焦げ目も付いたから香ばしい匂いがあたりに広がっていく。サラダと一緒に目の前に出したのに、男性が一向に手を付けようとはしない。
美味しそう、というのは口だけだったのかと思って次はどうしようかなんて考えていたら、男性がいきなり頭を下げた。
「試すような事言ってごめんね。だけど、正直何でもよかったんだ」
何でもよかった、という一言に少しムッとしたけれど、こっちを見ている男性の表情が明らかに弱々しい笑顔になっていたので、言おうとしたことは飲み込んだ。
続きを促すように見つめていたら、男性が小さく頷いた。
「俺さ、昼夜逆転の生活だったからこう、あったかい食事、っていうの? 食べてなくて」
「コンビニとか、一日開いてるファミレスありますよね」
思わず突っ込んでしまったけど、それすら楽しそうに笑う男性の表情は、さっきまでとは違って自然に見える。目尻が下がる笑い方は、実年齢よりも若く感じるけれど、こっちがきっと素の笑顔。
「そうなんだけど。ねえ、せっかくだから一緒に食べよう?」
「そういうお誘いなら喜んで。神様も食べるでしょ?」
「え、マジもんで神様なんだ! うわー、俺初めて見たわ」
「……早く食べよう、春那」
最初に来た時の口だけで無関心な様子はどこにいったのやら、神様にあれこれ質問し出して服にも触っている男性に、神様が少しだけ疲れたように料理の催促をしてきた。
そんな様子に思わず笑ってしまったが、これ以上長引かせると食べる前に男性が強制退室になりそうなので、パイ包みシチューを神様の前にも用意する。
「いただきます」
「熱いから気を付けてくださいね」
サクッと軽い音を立てて破れたパイから、ふんわりと湯気が上がる。そのままシチューを口に含めば、煮込まれてとろりとした具材から優しい味わいがじんわりと広がっていく。
パイはそのまま食べてもサクサクしているしバターの味がするけれど、シチューに浸して少し柔らかくなったのを食べるのがまた美味しいんだ。
パイで包もうとは思っていなかったから具材は少し大きめだけど、男性と神様には好評のようだ。熱さを逃がそうと口を大きく開けている姿が微笑ましい。
サラダはオリーブオイルと塩だけの簡単な味付けだけど、シチューがしっかり濃厚な味なのでそれだけでも十分。熱くなった口の中の温度を野菜が吸い取ってくれるような気がして、またシチューへとスプーンが進む。
「誰かが自分のためだけに作ってくれる料理って、こんなに美味しいんだね」
「春那の料理はいつでも美味しいよ」
「あ、ありがとうございます?」
男性の目元が滲んでいるのは、シチューの熱さということにしておこう。
「ごちそうさま!」
あたしよりも大きめのお皿に用意したけど、全部綺麗に食べてくれた男性がにこやかに挨拶をしてくれた。
温かい食事をしたことがない、と本人は言うけれど。
「いただきますもごちそうさまも、温かい食事、の一部だと思いますよ」
食材の命はもちろん、食材を育てた人に作った人、全てに感謝していただきますと食前に挨拶するし、食後のごちそうさまだってそうだ。少なくとも、あたしはおばあちゃんにそう教わって来た。
「そっか、そうか……」
ぎゅっと何かを堪えるように俯いてしまった男性に、生意気なことを言った自覚があるあたしは慌ててしまう。
だって、そうやって挨拶が自然に出るって事はそれを教えてくれた人がいたはずで、一人で食べていても出るような習慣になるまで一緒に食べていた人がいると思うんだ。
そう思っていることを早口で伝えたら、男性は顔を上げて笑っていたけど。頭をポンポンと叩かれるというおまけ付きで。神様もそうだけど、あたしの頭は叩きやすいのだろうか。確かに身長は平均よりも少し、すこーしだけ低いとは思うけど。
「ありがとう、春那ちゃん。君の料理が食べられて、良かった」
晴れやかな表情を見せる男性を、神様と二人笑顔で見送った。最初の印象だけで追い出さなくて本当に良かった、と思いながら。
お読みいただきありがとうございます。
冬限定、じゃなくてぜひとも通年販売して欲しい一品。