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1.

 小さい頃からずっと見ている、仕事に出かけていく背中。毎日忙しい母親の代わりに、あたしを育ててくれたのはおばあちゃん。

 何でも自分でやるのが好きなおばあちゃんの真似をして、畑で野菜を育てていた小学生。おかげで虫の類は何の苦もなく触れるようになり、教室で尊敬の眼差しを集めることになったのだけど、まあそれはそれだ。


「はるちゃん、すごーい!」

「なんで掴めるんだよ!」

「だって畑にたくさんいるもん」


 おかげかどうかは分からないけれど、特に何の問題もなく小学生を終えたと思う。子供って好きだよね、虫。教室でこっそりカマキリ育てようとしていた隣の席のゆうた君、どうしたかな。


 調理実習を初めて経験して、料理の楽しさを覚えたのもこの頃だった。学校で育てたトマトを切って挟んだだけの簡単サンドイッチ。

 おばあちゃんがご飯を作るのを手伝っていても、家ではまだ包丁を握らせてくれなかったから、自分で作った野菜が料理に変わる瞬間って、これほどまでにキラキラしているんだと感動した。

 学校で調理実習が始まったと聞いたおばあちゃんから、小さい包丁をプレゼントされて、一緒に台所に立つようになったのはこの後すぐ。

 あたしは毎日おばあちゃんと畑で野菜を採ってきて夕ご飯を作っていたから、調理実習は自己流で覚えた切り方なんかの間違い探しみたいだった。

 時々、母親と一緒に料理を食べたときには、感想を待っていたっけ。ただ一言、美味しいという言葉だけだったけれど、とても嬉しくなっておばあちゃんにもっと料理を教えて欲しいとせがんだんだよね。

 大きくなったらなりたいもの、が決まったきっかけは、ここだった。


「春那、部活は決めた?」

「うん! 家庭部にするの!」


 中学校に上がるときに、何よりも楽しみにしていたのは部活。家庭部、ってことはつまり料理するはず、なんて簡単に決めたけれど思っていたほど料理をする回数はなくて。裁縫も楽しかったし、自分で作ったマフラーは冬場にとても活躍したけれど。期待していた調理実習は一か月に一回、それもほとんどは後片付けも準備も簡単なお菓子だった。

 おばあちゃん、お菓子はあまり作っていなかったから教え合いっこするのは楽しかったけど。それでも勉強熱心なおばあちゃんは、あっという間にあたしが学校で教わる以上のものを作れるようになっていって。負けじとネットでいろいろレシピ調べていたから、お菓子の腕前だけはおばあちゃんより上、だと思う。


 お菓子を作ったはいいけれど、体型の事も気になるお年頃としては全部自分で食べるわけにもいかなくて、近所にやたら配り回っていたからそのお礼にって魚を丸々もらったこともあったっけ。魚を捌けるようになったのは、そのおかげだとしか思えない。釣りにはまったご近所さんが、釣果が良かったからなんてちょくちょく持って来てくれたんだよね。後から聞いたんだけど、あたしとおばあちゃんからのお菓子を心待ちにしている奥様が、旦那さんをたきつけていたらしい。

 この頃には、あたしが料理をしているのは近所の誰もが知っていたし、応援してくれていたんだと思う。


 相変わらず母親は忙しそうだったけれど、高校の相談をした時には好きなところに行きなさいと言ってくれた。その時に出したのはようやく作れるようになったふわふわ卵のオムライス。あたしも満足の出来だったそれは、母親も気に入ってくれたようで、何度かリクエストされるようになった。


「春那のお弁当は今日も美味しそうだね。卵焼き、いい色だね……」

「欲しいなら素直にそう言いなさい」

「春那さま! わたしに卵焼きをお恵みください!」


 結局、高校は家から自転車で通えるところにした。調理師免許が取りたいけれど、調理科のある高校は近くになくて。かといって一人暮らしをするほどの余裕はない。ならば、と高校に通いながらどこかでバイトをして調理の経験を積めばいいじゃないかという事になった。

 幸いにもあたしが料理好きでそっちの道を目指していることは、ご近所の誰もが知っていたのでどこからか調理場のバイトの話を持って来てくれて、面接という名の世間話だけでバイト先はあっという間に決まった。


「それで、春那ちゃんは何系が得意なの?」


 しばらくして店長から聞かれた質問に、あたしは首を傾げた。もちろん、質問の意味が分からないというわけではなくて。


「得意……なんでしょう?」

「料理の道に進むんだったら、自分の芯になるものがあったほうがいいよ」

「芯、ですか」

「譲れないもの、これだけは他の誰にも負けたくないもの、そんなのない?」


 おばあちゃんと料理をするのが楽しくて、自分の作った野菜を美味しく食べてもらうのが嬉しくて。それだけで、調理師の免許を取ればいいと思っていただけのあたしには、店長の言葉に返せるものがなかった。

 ご飯を作る、もちろんそれは楽しいけれど仕事にするのだったらそれだけでは終われない。だけど、考えても答えはなかなか見つからなくて、出口のない迷路に迷い込んだみたいだった。

 こればっかりは自分で見つけないといけないものだというのは分かっているけれど、それでも誰かに聞いて欲しい、答えがもらいたい。だけど、そんな相談、いったい誰にすればいい?

 いい考えが浮かばないまま、母親に頼まれてオムライスを作った。珍しく早く帰って来たと思ったら、材料まで買ってあって。


「お母さんね、やっぱり春那のオムライスが一番好き」

「外で美味しいご飯食べてきているのに?」


 営業で昼夜問わずいろんな人と打ち合わせをしている母親は、夕食を外で済ませてくることがほとんどだ。そのぶん、あたしたちよりもいろんな料理を食べているから、この家の誰よりも美味しい料理を知っている。時々、食べた料理のリクエストもされるから、料理が出来ない訳ではないと思うんだけど、母親が台所に立っている姿は、覚えがない。


「だって、春那がお母さんの為だけに作ってくれているのよ? 食べるとね、ああ、また頑張ろうって思えるの」


 そう言って、大きな口でオムライスを頬張る母親の表情を見て、今までの悩みが吹っ飛んでいった。迷路を作っていたのは、自分だったんだ。答えは、すぐ近くにあった。


「ねえ、お母さん。あたしね、将来自分のお店を持ちたいの」

「……大変よ?」

「これから、たくさん頑張る。それでも、さっきみたいにあたしの料理で笑顔になるのを見れるのが嬉しいの」


 料理を始めようと思ったのは必要だったからだけど、続けたいと思ったのは、さっきみたいに母親が初めて出したオムライスを喜んでくれたから。

 そのためだったら、見たら眠気が襲って来る数式とかでも、必要な事だから頑張れると思ったから。


「それじゃあ、今から開店資金貯めておかないとね!」

「ええ? 気が早すぎるよ」

「こういうのは早い方がいいのよ。目標があった方が分かりやすいでしょう?」


 そんな話をして笑いあってから、あたしの目標は決まった。今まではあまり力を入れてこなかった勉強だって、将来に役立つと思えばやる気だって出てくるものだ。


「店長! あたし、自分のお店持ちたいのでいろいろ教えてください!」

「この間のは料理のジャンルの話だったんだけど……まあいいや、僕で分かることなら」


 料理以外の事に向き合う時間が増えていったから、たまに自分で料理を作れる時間が出来ると今まで以上に集中しているらしい。おばあちゃんが声をかけても振り向かなかった、なんて笑っていたから分かったんだけど。でも、あまり集中しすぎて周りが見えなくなるのも困るからほどほどに、と注意されてから上手くバランスが取れるようになっていった、と思う。

 授業にバイトに、と忙しくしていたらあっという間に時間は過ぎていて、無事に調理専門学校の入学も決まった。


 今日は、あと数日後に迫った入学式の前におばあちゃんがお祝いをしてくれるというので、ホテルのスイーツバイキングに向かうのだ。

 その前に済ましておきたい買い物があったので、おばあちゃんとは別行動。同じ家に住んでいるのに、待ち合わせするのも面白いね、と笑っていた。

 ホテルに行くのだし、高校も卒業したから少しばかりおしゃれをして、最近伸ばし始めた髪の毛はちょっとだけ巻いて、食べる時に口に入らないようにゆるくハーフアップ。歩きやすさ重視のスニーカーから踵のあるパンプスに履き替えただけなのに、いつもと違う足音があの日の母親に少しは近づけたんじゃないか、なんて思わせる。


「思ってたよりも早く終わったな」


 バイト先の店長がお勧めしてくれた、調理器具を取りそろえたお店。せっかく電車に乗るからついでに、と思って覗きに行ったけれど、今のあたしが手に取るには経験も、何もかも足りないと思ったので本当にただ見に行っただけ、になってしまったけれど。


「いつか、あのお鍋とフライパンは買おう」


 一目ぼれ、と言ってもいいだろう。まだ手は届かないけれど、いつかあのお鍋とフライパンは自分の手元に置きたい。そう思える品と出会えたのだから、行ってよかったと思う。


 “まもなく、電車が到着します。白線の内側に――……”


 この電車に乗って、二つ先が目的のホテルがある駅だ。予約を取るのは難しくて、ネットでも話題になっていた。いつか行ってみたいと思っていたけれど、こんなに早くその機会が訪れるなんて。

 おばあちゃんもきっと楽しみに向かっているんだろうな、なんて想像したら思わず笑みが浮かんでしまう。

 最初は何を食べようか、きっと旬の美味しいフルーツも並んでいるだろうからまずはそこから、なんて考えていたら背中に衝撃が走った。


「えっ!?」


 自分に、何が起こったか分からずただ驚いたような声だけが漏れた。衝撃を受け止めきれず、たたらを踏む足。だけど、あたしが電車を待っていたのはホームの先頭。そこにあるはずのものは、もう一歩先にはなくて、あたしの足はそのまま宙を舞う。

 周りから上がる悲鳴、甲高い金属のこすれる音、そして、衝撃を与えただろう人物の焦ったような表情。

 何が何だかわからないままに、そこで意識は黒く塗りつぶされた。




お読みいただき、ありがとうございます。


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