ミリア、お手伝いをがんばる
美桜はロビンを、ミリアはジョンを連れて、川沿いの空き地へと歩いた。ロビンもジョンも、急に走り出したり咆えたりはしない。行儀よく足並みをそろえて歩いている。
「ロビンとジョンは、同じ学校行ってたんだよ。だから賢いの。」美桜が得意気に言った。
「犬の学校って、何するの?」それは、長らくミリアが不思議に思っていたことである。
「うんとね、先生が教えてくれて、こうやって走り出したりしないでちゃんと散歩できるようになったり、静かにしてたり、お手したり、そういうのができるようになんの。」
「ふうん。偉いねえ。」ミリアは教壇に立つ犬の先生をイメージし、ジョンの背中をそっと撫でた。
「だからこんな大きい犬でも、子どもとかおばあちゃんが散歩できるんだよ。絶対引っ張ったりしないの。」
「学校行ったからなんだねえ。」
二人は暫く黙していたが、ミリアはどうしてもポケットに入ったお駄賃のことを忘れることができなかった。
「……お駄賃、貰っちゃったね。」
ミリアはそう言って気まずそうに美桜を見詰めた。
「そういうつもりじゃなかったのにね。……シズおばあちゃんさ、いつもは元気で、私に靴下とか、セーター編んでくれたの。ほら、私がよく着てるお気に入りの、ピンクで、胸のところにリボンでポンポンが付いてるの、わかる?」
「ああ! すっごい可愛いやつ! あれおばあちゃんが作ったの? 凄い!」
「そう。おばあちゃん、昔編み物の先生やってたから、何でも作れんの。だから腰痛くなっちゃった時ぐらい、お手伝いしたかったんだけど、お駄賃貰っちゃった……。ママに怒られるかな。」
ミリアは言葉を喪い、ジョンの後に付いて無言で歩き続けた。
「……でも、おばあちゃん、ママに言っておいてあげるって言ってた。」
「うん。」美桜は何やら物々し気に一つ肯くと、「ちゃんと散歩してあげれば、大丈夫! そしたらミリアちゃんもお兄ちゃんへのお年玉にできるし!」
「あ!」ミリアはすっかり忘れていたのである。
「おばあちゃんはジュースでも飲んでって言ってたけど、もし喉乾いたらさ、公園の水飲めばタダだし。そしたらこれは、ミリアちゃんのお駄賃になるよ! そしたらお年玉にしても変じゃなくない?」
ミリアは口をぽっかりと開けて、暫し黙した。
「ミリアちゃん!」美桜に肩を揺すられ、
「だからしっかり散歩しよ! ジョンが疲れちゃうぐらいに!」
「うん!」
二人と二匹は駆け出した。
「お駄賃なんて、いいんですよ。」美桜の母親は電話口でそう詰る。「どうせうちのロビンの散歩と一緒なんですから。何も変わらないじゃあないですか。」
「でもね、この辺りで犬の散歩サービスを頼んだら、一時間千円はしますよ。」
「え、まさかそんなにたくさん、あの子たちに?」
「いえいえ、ジュース代って言って百円。……あら、やだ! このご時世、百円じゃジュースも買えないじゃありませんか、まあ、どうしましょ。あの子たち、自動販売機の前でどれも買えないってがっかりしちゃうわ。」
「大丈夫ですよ、そんなに遠くに行かないですから。ロビンの散歩だって30分くらいでいつも帰ってきますよ。それに、喉が渇いているようであればうちに帰ってきたらジュース飲ませますから。」
「悪いわねえ。」
「体調の悪い時はお互いさまじゃあないですか。」
美桜の母親はそう言って微笑んだ。
「ロビーン! 行くよー!」美桜はそう言って古びたソフトボールを遠く頬り投げる。川沿いの空き地の上にどこまでも広がる青空に向かって弧を描くそれ目がけ、ロビンは全身の毛を波打たせながら飛びかかり、追い抜き、そして振り向いて噛み付いてみせた。
「凄い!」
ロビンは勢いよく美桜の元へ駆け戻り、そしてボールを渡す。
「はい、次ミリアちゃん。」
ミリアはジョンの期待に満ちた眼差しを目前にし、少々緊張感を覚えたが、えい、と目をつぶって力いっぱいボールを放った。ボールは高々と上がり、ゆっくりと落ちてくる。ジョンもロビン同様、全力で走り飛び上がって、それをキャッチした。そのまま身を翻し、ミリアの元へ駆けて来る。
「凄い凄い!」ミリアも大はしゃぎである。「これも学校で教わってきたのかな?」
「うん、そうだよ! もっともっと、脚を使わせてあげよう!」美桜が叫ぶ。
「疲れない?」
「大丈夫! 犬はいっぱい脚を使うと嬉しいの!」
美桜とミリアは交互にボールを投げ、その全てを二匹のゴールデンレトリバーがキャッチして戻って来る。それを夕方、薄暗くなるまで繰り返し、二匹と二人はまず老婆の家に戻った。老婆は大層喜んで感謝を述べ、「さっきのお駄賃じゃジュースも買えなかっただろう、ごめんね。」と言い、再びティッシュに包んだお駄賃を二人に渡そうとした。
「シズおばあちゃん、そんなには貰えないよ。」美桜は今度ははっきり、断った。
「違うんだよ、すっかり忘れててね。今はジュースは百円じゃあ買えないのに。」
「大丈夫、公園には水道あるし。」
老婆は困惑しつつも、「そうかい。じゃあ、……悪いんだけれど、明日もお願いできるかい?」と問うた。
美桜は力いっぱい、「うん! 明日も学校から帰ってきたらすぐロビンと来る!」と言った。
「ありがとうよ。じゃあ、これは明日の分。」
再び老婆に巧妙にお駄賃を握らされてしまったのである。
「大丈夫、お母さんにはちゃあんと、言っておいたからね。じゃあ、明日もお願いね。」
ミリアは思いの外遅くなってしまったため、美桜の家の前で別れを告げ、帰宅した。既にリョウが帰って来ていて、
「今日は随分遅かったな。」と言った。台所からは美味しいカレーの匂いを漂わせながら。ミリアの腹はぐうぐう鳴った。
「う、うん。」
「何してたんだ。」
「シズおばあちゃん所の、ジョンの散歩。」
「シズおばあちゃん?」
「うん。シズおばあちゃんは美桜ちゃんちの隣の隣で、今日ぎっくり腰になっちゃって、ジョンの散歩が出来なくて困ってたの。」
「ほう。」
「だから、手伝った。」お駄賃を貰ったことはなぜだか言い出せなかった。
「そりゃあいいことしたな。年寄りは大事にしろって言うしな。よっし、じゃあ手洗ってうがいしてこい。うんまいカレーできたから。」
ミリアは大人しく洗面所に立ち、丹念に手洗いうがいをした。リョウには言えない秘密ができたことは、何だか心やましくドキドキした。
「今日は何だと思う?」
再びリビングに戻って来たミリアに、リョウは楽し気に問いかける。
「……カレー。」
「正解! じゃあ、豚か鶏か牛か。」
「……豚。」
「なーんで?」
ミリアはもじもじしながら、「だって、こないだもその前も、ずっと豚だから。」と答える。
「……正解。本当は牛にしたかったんだけどな、ちっと予算が、アレだったんで、まあ豚も旨いからな。ほら、外走り回ってきたんじゃあ腹も減っただろ。大盛にしてやっから。」
「う、うん。」
ミリアはポケットに忍ばせた二つのお駄賃を、そっと宝物箱に入れた。これをお年玉にするには、袋が必要なので、すぐにはあげられないのである。
リョウは今日は何か良いことでもあったのか、やたら機嫌よくあれこれとミリアを構いたがった。明日にもお年玉をあげたら、もっと上機嫌になるかしら、そんなことを思うとミリアは次第に秘密も忘れて楽しくなってきた。
リョウはたっぷりとよそったカレーをミリアの前に置いた。そこにはゆで卵を薄くスライスしたものが、まるで花のようにちりばめられているのである。
「うっわー! キレイ! お日様みたい!」ミリアがはしゃぐのが、リョウも嬉しいのである。
「よし、今日はお日様カレーだな。いい天気だったしな。」
「リョウもいい天気だった?」
「たりめえだろ、何で俺だけずぶ濡れんなんなきゃなんねえんだ。」
ミリアはくすくすと笑う。今日の川沿いの公園も土手も、青空に包まれていた。どこまでも永遠に広がっているような、大空である。そこを舞うボールが、何とも言えず自由で、素敵だった。ジョンもロビンもよく走ったし、ミリアも何度も何度もボールを投げたせいで、肩が心地よくも疲れた。きっと今頃ジョンもロビンも、疲れてご飯を食べたらすぐに寝てしまっているのではないかと思うと、新たな友達ができたようで心躍った。明日も会えるのだ。明日もまた散歩に行けるのだ。ミリアはさっさとお日様カレーを食べ終えると、風呂に入り、ギターの練習もそこそこに布団にもぐってすぐに寝息を立て始めた。