02.アブダクション
スマホを床に叩きつけたい衝動に必死に抗いながら読んだメールの内容をまとめると、おおむね以下の通りである。
・外科手術以外の方法で、君をもう一度自分の脚で立たせるための手伝いをしたい。
・ただし、私の研究の一部に協力して貰うことが条件となる。
・もちろん報酬は払おう。割の良いアルバイトだと考えてくれれば合っている。
……等々。
他にもつらつらと書き連ねてあるメールの文面を、親指で上に弾きながら読み進める。
そして。
・ーーちなみに、君に拒否権はない。
最後の一文は、俺を絶句させるのに充分な破壊力を備えていた。
「……あ?」
えーと。
それは、何というか。
そもそも、たかがメールで拒否権をどうこうと言われても。
……だが、待て。
俺は碑崎心理学研究所という場所、あるいは団体に心当たりはない。
ならば、この自称心理学研究者は、どうやって俺のアドレスを手に入れたのか。
もし他の個人情報も押さえられているのだとしたら、それは……
俺が何かに気付きかけたその時。
キュイッ、キィィーッ、パリン、カチャン。
異音は部屋の窓の方から聞こえた。
見れば、お手本のような三角割りをキメた姿のまま、今しがたこじ開けた窓からこちらを覗く少女がひとり。黒いセーラー服をまとい、音も気配も消したまま、バランスを崩す様子もなく座る様は、さながら黒猫のようである。
俺と同い年か、少し年下に見える童顔。
肩口まで垂らしたクセのない黒髪。
何かが抜け落ちたような、虚ろとも言える両目。
どこかで見たような気がするものの、いまひとつ結びつかない。何かが違うような……
人形のよう、と表現するのが相応しい侵入者は、しかし、唖然とする俺を尻目に手にした機械に向かって話しかけている。無線機だろうか。
「ーーはい。確認しました。お願いします」
そう言った少女が無線機をしまうのと同時。
突然部屋のドアが開き、黒服とサングラスを着用したむくつけき男2人がずかずかと入ってきた。ご丁寧にも、2人の手にはそれぞれ拳銃が握られている。逃げ出そうにも、この脚ではそれもままならない。
……もっとも、身体が万全の状態であったところで、この黒服2人から逃げ切れるかどうかは疑問だが。
黒服どもは俺のこめかみにぴたりと銃口を押し付けると、少女の方を向いて動きを止めた。
数秒の沈黙が流れる。
唾を呑み込んだ喉の音ですら、部屋に反響しそうな錯覚を覚えた。
「では、下に運んでください」
少女の指示に、首を縦に振ることで返事をした黒服の1人が俺を抱え上げた。
「ちょっ、おい!お前らーー」
上げかけた抗議の声は、銃口と、三度目の少女の声に遮られた。
「……騒がないでください」
無機質に言い放つ少女と、無言で頭に銃を押し付ける黒服の組み合わせは、確かな恐ろしさでもって俺を黙らせた。
俺が何度も必死に頷くと、少女は俺に目隠しをした。具体的には、アイマスクを取り付け、上から布を巻き、ニット帽を被せた。いくらなんでも厳重過ぎはしないだろうか。
それが終わり、では行きます、という少女の声がした。
続いて外気の温度、風を切って落ちる感覚、ちょっとした衝撃を経て、最後にバタン、という音と背もたれの感触を得ることで、俺はどうやら車の中に運び込まれたらしい事がわかった。
その過程については想像したくない。
車は静かに動き出し、しばらくして目隠しが取られた。
真っ先に外の景色を確認するが、まるで見覚えのない場所のようである。
俺の両脇には、さっきの黒服2人が座っている。拳銃は持っていないようだが、それでも気が気でないのは事実だ。
挙動不審ぎみの俺を見かねたのか、助手席の少女が声をかけてきた。
「安心してください。危害を加えるつもりはありません」
拳銃まで突きつけておいてよく言う。
返事の代わりに溜息をひとつ。
結局それから少女が話すことはなく、俺の方から話しかける訳もなく、車がとまるまでの十数分の間、車内にはエンジンと空調の音だけが漂っていた。