プロローグ
およそ現実味のない光景だった。
地面は目が痛くなるようなどぎついピンク色をしているし、建物はといえば直線と曲線を無理やり組み合わせて作られたようなモノばかりで、高さや幅もまちまちだ。
空は青いものの、それはペンキや蛍光塗料を思わせる青色で、はっきり言って気持ちが悪い。
トリックアートの作品だと言われれば、そのまま信じてしまえそうな世界観である。
そんな「異常」を詰め込んだような風景のなか、少年は独り、立っていた。
否、「立っていた」という表現は適切ではない。
何故なら少年には「脚」と呼ばれるものがない。
より厳密に言えば、大腿部の半分から下が消失している。そして時おり青い電流のようなものが、本来そこにあるはずの脚カタチをなぞるように這い回り、消えていくのだ。
脚と呼ぶにはあまりに儚く、不確かな支え。
それでも少年は倒れず、当たり前のようにそこに在った。
年の頃は15、6か。
クセのある黒い髪に、整ってはいるがどこか生気に欠ける顔立ち。
細い眉の下に鎮座する赤い目もさることながら、もっとも特徴的なのは腰に下げた大ぶりの刀だろう。細身の少年に、それは不思議とよく似合っている。
……突然、佇む少年の背後で、何もなかったはずの空間に歪みが生まれ、何かが形を成してゆく。
数秒と経たないうちに、それは大きなヘビの形になった。全長10mほどの大蛇となったそれは、少年の背中を目掛けて静かに、それでいて確かな害意を牙に込めて襲いかかる。
背後の脅威の気配を感じたのだろう、少年が僅かに視線を後ろに向ける。既に大蛇は少年まで1m程の位置まで距離を詰めている。逃げるのは間違いなく不可能だ。
大蛇が少年に飛び掛かるのと同時、少年は腰の刀に手をかけた。少年の瞳、その虹彩の赤がより深くなり、円形だった瞳孔が縦に裂ける。先ほどまでの生気の無さはなりを潜め、そして……
「せあッ‼︎」
溜めは一瞬。
裂帛の気合いと共に振り抜かれた白刃は、何の抵抗も無いかのように大蛇を斬り裂いた。
斬撃は刃の切っ先で終わらず、余波でもって大蛇の尾の先までを通過する。斬撃の軌跡を示すように、血飛沫が一瞬遅れて弧を描いた。
どちらの勝ちかは、言うまでもない。
* * *
「はあっ、はあっ……」
刀を鞘に収めた俺は、その場で地面に崩れ落ちた。
今のは危なかった。あと数瞬反応が遅れていれば、俺はあのヘビの化物の餌食になっていただろう。
唐突に何も無い空間から化物が生まれる事自体は、「この世界」では珍しいことではない。あるものはリンゴに醜悪な顔がついたようなものだったり、あるものは銃を持った人型であったりと、種類は様々だ。
今しがた斬り捨てたヘビの亡骸を見ると、おろした魚のように真っ二つになっていたそれは徐々に輪郭がぼやけ、やがて溶けるようになくなってしまった。
これもいつもの事だ。「この世界」のモノは何もかも、どこか実体がないというか、全く痕跡を残さない。
「……っ。はっ、ははははっ……」
腰が抜けて立てない自分が情け無くなり、自嘲そのものの笑いがこぼれる。「この世界」では身体への疲労自体は無いのだと頭では解っていても、やはり何かを斬るという行為は精神的な負担になる。そしてこの有様だ。
「しっかし……ホント、何なんだよ、ココは。」
立つことを諦めて地べたに座り込みつつ、何度繰り返したかわからない文句を呟きながら、俺は今までの事を振り返る。
が、振り返る程の過去は無い。
……気がついたら「この世界」にいた。
まず驚いたのは、自分の脚がなくなっていた事だ。なくなった割に立ったり走ったり出来るのだから、意味がわからない。
次に不自然だったのは記憶の欠落だ。市内の高校に入学した事までは覚えている。今着ている服だってその高校の制服なのだから、間違いない。しかし、そこから先が思い出せない。
そして……
「一番の問題は、コレだな……」
手元の刀を見ながら独りごつ。
さっきヘビの化物をあっさりと斬殺したこの刀を、俺は「この世界」に来た時から持っていた。
武術の心得なんてまるで無い俺が、刀(それも真剣)など持ったことがあるはずもないのだが、なぜか長年使った愛刀であるかのようによく馴染む。
それに、持っていると少し落ち着くのだ。
街や建物でさえ決まった形を留めない「この世界」において、自分以外に一定の形を持ち続けるモノの存在は、かなり心強い。
「よし、そろそろ立てるな」
いまだ少し震えている無い膝を叱咤しつつ、俺はこの場所を離れるべく立ち上がる。
そろそろこの悪趣味な風景も、別の形になり始める頃だ。
願わくは、次に生まれる街はもう少し三半規管に優しい景観であらんことを。
ふざけ半分の望みを唱えながら、街をあとにするべく歩き出したその時だった。
ガゥンッッッッ‼︎‼︎
---撃たれた。
それも、頭を。背後から。
痛みはなく、衝撃だけを感じていた。
薄れゆく視界のなか、残った力を振り絞って振り返った先にあったのは、銃を構えたままの人影だった。
肩口まで垂らした真っ直ぐな白髪に、野生の獣のような強さを感じさせる瞳。
黒を基調としたセーラー服に身を包んでいるところを見ると、俺と同年代だろうか。
美少女と言って差し支えない容姿である。
……夢みたいだ。
間の抜けた感想は声にはならず、俺の意識は目覚める時のようにまだらになっていった。
初投稿です。
よろしくお願いします。