第一話 失跡(六月三日)
翌六月三日、学校に着いてすぐにセリは友人の湯川愛香に昨晩のメールを見せた。
そのどこか生々しくも不気味な画像に愛香は眉を顰める。
「どこでそれ拾ったの?」
「違う、昨日いきなり送られてきたんだってば」
アドレスを見せれば名前が表示されておらず、無登録であることがわかる。
もし登録してある誰かだったとしたら即座に縁を切るだろう。いくら冗談でもこんな画像をいきなり送りつけてくるような相手と親しくなりたくはないし、これが本物であったならば尚更関係を持つのは恐ろしい。
ふーん、なんて気のない相槌を打った愛香がセリの手元を覗き見た。
「メデューサねえ」
「なに、いきなり」
「件名よ、件名。メデューサ、ギリシャ神話の怪物。知らない?」
首を振ったセリに呆れた視線が飛んでくる。
そんな顔をされても知らないものは知らない。
メデューサは髪が全て蛇でその目で見られると石になってしまうらしい。言い出した愛香でも深く知っている訳ではないのか曖昧な部分が多く、最期は眠っている間に首を取られて死んでしまうのだとか。
でも、そんな怪物が一体この画像とどういう関係があるのだろう。
「それにしても悪趣味よねえ」
どうせ人形だろうけど、とマジマジ画像を眺める愛香にやっぱりこれはよく出来た人形を使った悪質な悪戯かもしれないと考え直す。
最近は画像を合成させたり編集したりする技術も発達し、ホラー映画などのように本物顔負けの特殊メイクが使われるようになった昨今では、こういうグロテスクな画像を作ることも可能だろう。
「おはようございます、席についてください」
教室へ入ってきた担任にセリは自分の席へ戻る。
朝の出席確認のために名前が呼ばれていった。
数人の生徒が返事をしなかったが、その生徒たちは前々から遅刻や無断欠席の常習者であったので担任は困ったように溜め息を零しただけで名前を飛ばした。中には昨日から来ていない者もいる。
こんな早朝から大人数で一体なにやってるんだか。
担任の話し声を聞き流しつつセリは小さく欠伸を零した。
* * * * *
購買で買ったパン片手に中庭の渡り廊下でセリと愛香は昼休みを過ごしていた。
人気の多い場所が嫌いな二人は天気が悪くない限りここで昼食を食べ、午後の授業が始まる時間までのんびりくつろぐのが常である。
セリはお気に入りの菓子パンをかじりながら空を見上げている。
愛香は今時の女子高生らしく携帯を弄りつつおにぎりを食べていた。
五分、十分と会話がないまま沈黙が流れていく。
不意に思い出したようにセリの携帯が着信を告げる。
「…またあのメアドからだ」
眉を顰めたセリの言葉に愛香が反応してやっと携帯から顔を上げた。
「今度はなんだって?」
無言で携帯の画面を見えるように差し出した。
前回同様暗い画像の中、見慣れた女子用の制服がぐしゃぐしゃになって床に置かれている。こちらも墨みたいな汚れがそこかしこに付き、もう着れなさそうだ。そのすぐ脇に茶色のローファーが整然と揃えてある。
「これ、うちの高校のだよね」
セリは思わず自分の今着ている制服を示して見せた。
今月衣替えしたばかりで夏用の白い半袖タイプのワイシャツに控えめな細身の赤いリボン、同色のタータンチェックが入ったプリーツスカートは可愛さが人気でこの制服を着たいがために入学してくる子もいるほどだ。セリと愛香もその一人だった。
「…うちの制服って結構ネットで出回ってるし、手が込んでるだけじゃない?」
「でもこんな悪戯する理由ないじゃん」
「分かんないよ、誰かに逆恨みされてるとか…」
互いに口を噤むとセリの手の中にある携帯を見下ろす。
「とりあえず、もうちょっと様子見してみる」
スカートのポケットに携帯を仕舞うセリに愛香も黙って頷く。
離れた場所で用務員が淡々と庭先を掃いていた。
* * * * *
その夜、部屋で宿題を済ませていたセリの携帯が鳴った。
不規則なアドレスと件名のない新着メールにもしやと慌ててメール画面を開けば、本文の変わりに画像が大きく添付されている。
それを見た瞬間、セリは携帯を床に投げ捨てた。
今しがた自分が目にした画像に血の気の下がる思いがした。
でも見間違いかもしれないと、震える手で携帯を拾い、ひっくり返す。
そこには苦悶の表情に満ちた女の顔があった。金とも茶ともつかない長い髪は針金か何かで固定されているのか、無数の束にされて四方八方へ大きくうねり立ち上がっている。見開かれた目は濁って黒い涙の筋を残し、開いた口は苦しげで、首から下は断ち切られたのか存在しない。
すぐにメールで愛香に連絡を取り、画像を添付したメールを送信すれば一分と立たずに向こうから電話がかかってきた。
「これヤバいよ」
電話に出てすぐ発せられた第一声に頷く。
「うん、もしかしたら本物かも」
「警察に行った方がいいんじゃない?」
頷きかけてふと気付く
もし昼間送られてきた画像の制服が本物で、セリの通う高校の女子生徒の誰かのものだったとしたら、これはもう警察だけの問題ではないかもしれない。まずは明日学校へ行ってすぐに教師たちに伝え、そこでどうするか指示を仰ごう。
愛香とそう示し合わせてセリは電話を切る。
口元を手で押さえながらもう一度写真をじっくり眺めた。
何かてがかりになりそうな特徴はないものかと恐ろしい形相を見ているうちに、どこか見覚えがあるような気がしたセリは画面を矯めつ眇めつしてみる。そんなことを何度か繰り返しているうちにハッと頭に一人の女子生徒の顔が浮かぶ。
机の引き出しに放り込んだままにしてあったクラスの集合写真を取り出し、その中から目的の人物を探し当てると画像の女と見比べる。
「……綾部さんだ」
集合写真と違ってメイクがだいぶ落ちてしまっているが間違いなく、クラスメイトの綾部麻美だった。口元の特徴的なほくろも同じである。
そういえば彼女は今日登校してこなかった。
もしも殺されていたとしたら…?
嫌な予感に勉強を止めてベッドへ寝転び、タオルケットに包まる。
セリは夕食も食べずに眠りについた。