騎士団長と三女~後篇~
街の皆さんの冷やかしのような小言のようなそんなものを適当にあしらいながら旦那さんは、歩きます下してくださいという私の言葉を無視してお家まで歩きました。いつもの制服を着ていらっしゃいますが、お仕事はどうしたのでしょう?少し痩せたような気がしますが、体調は大丈夫なのでしょうか?
玄関の扉を開けて、家の中に入ると旦那さんはそのままスタスタと歩き、私をリビングにあるソファーに落としました。はい、もう言葉のまま落としてくれました。おかげで体が跳ねました。もう、今日は厄日なのでしょうか。体を押しつぶされたり、回されたり、高い位置に持っていかれたり、あげく落とされたり。困ったものです。あ、でもどうやらあの匂いはもう消えているようです。よかったよかった。これで安心して呼吸ができます。
「なぜ弁当だけ家の外において市場に行ったんだ」
崩れた体勢を整えていると、上から責めるような声が聞こえてきました。声につられるまま、顔を上げれば大きなクマさん、あ、いえ、旦那さんが腕を組んで怒った顔をしています。おおお、これはものすごい迫力です。いつも、こんな感じで部下さんたちを指導されているのでしょうか。
「聞いてるのか?サラ」
「え?」
旦那さんが隣にドカッと座られたので、また体が跳ねます。シーソーで遊んでる気分です、はい。小さいころはよく遊んでいました。あの頃が懐か……
「おい、こら」
みょわー、おおおう。今度は頭を両手で掴まれてぐいっと方向転換させられました。なんだか今日の旦那さんは乱暴です。いつもはこんなんじゃないんですよ?
「なぜ、弁当を、外に置いて、家の中に、入らなかったか、と聞いている」
一語一語切るように、旦那さんが喋ります。不機嫌そうな目がまっすぐに私を見ています。なぜと言われましても、うーん、困りました。言ってしまったらそれは旦那さんが困りますよね?んー。
「市場に行こうかなあと思ったので?」
「なんだそれは。そして、なんでまた疑問形なんだ」
数秒の間にいい言い訳が見つかるわけもなく、言ってしまった言葉は自分でも首を傾げてしまうほどの言葉。旦那さんの眉間の皺が増えてます、おおお。
「はい、確かになんだそれはですね」
「……俺は言葉遊びをしてるんじゃないぞ」
「え?もちろん、それはわかってますよ?」
「……、もういい、サラ。単刀直入に言う」
旦那さんの目がものすごく真剣な目に変わりました。肩に置かれた手が妙に熱いです。
――えーと、つまり、それは、えと、あれ、あれですよね?
「離縁ですよね?」
確認するように首を傾げると、旦那さんは言葉を紡ごうとしていた口を固まらせ、数秒後には目を細めて小さく笑いました。ああ、やはりそうなので……
「言うと思った。ああ、お前なら言うと思ってたよ」
――ん?
「俺はそう何度も振り回されないからな、やっぱりお前は激しく誤解している、誰が離縁するか、するものか!」
「へ……」
……いやはやびっくりです。旦那さんが吠えましたよ。初めてです、こんなに声を荒げる旦那さんを見るのは。目も据わっています。でも、怖くはないです。むしろ、なんだか……
「おい、なんで笑ってるんだ」
「え?私、笑ってますか?」
「どう見ても笑ってる、何がおかしい」
私の肩を掴んだまま、唸るような声で旦那さんが言います。まさにクマさんです。あ、いや、今はそういうのはどうでもよくて。
「えーと……」
そっと頬に手をあててみます。確かにちょっと緩んでいる?でも、だって。
「……嬉しい、から?」
「は?」
「えと、あの、そのたぶん嬉しいみたいなんです、私。いつもと違うアロイス様のお顔が見れて、声も聞いて、よくわからないんですけど、それが私嬉しいみたいで。だって今日みたいなアロイス様のお顔は初めて見たんです。だから、部下のみなさんにはこうやって怒ってるのかなあとか考えて。それに初めて怒鳴られました。でも怖くはないんです、あ、それっていけないことですよね、だって私が悪いからアロイス様怒ってるんですよね?すみません、でも私何が悪いのかよくわからなくて、あーもう、本当にごめんなさい。あれ?何の話をしてましたっけ。ええと、うーん?久しぶりにお会いしたので整理がついてないのかな…あの、実家にいるときも実はずっとアロイス様のお顔が頭に浮かんでて、おこがましいんですけど声も聞きたいなあと思ってて。ううんと、えと、あのすみません、私何を話してますか?」
「……」
私の肩に手を置いたまま旦那さんは固まっています。どうしましょう。
気づいたらものすごく喋っていた気がします。それに何を言ったかももうわかりません。うーん、私の悪い癖ですね。どうも整理しながら話すことが苦手です。
「……サラ」
コミュニケーション能力を高めなければ、と拳を握っていると旦那さんが私の名前を呼びました。はいはい、サラですよ。拳に落としていた目を上げると、なぜかそこに旦那さんの顔はなくて。
「……アロイス様?」
私のない胸に(ほんと無さ過ぎていつも申し訳なく思ってるんです、でもこれはどうにもならないのですよ?)旦那さんが顔をうずめるように抱き着いてきました。これも初めてのことです。今日は初めてがいっぱいです。
「あの、アロイス様、やはりどこか具合が悪いのではないですか?それともお腹がすきましたか?あ、お弁当食べましたか?」
「俺はお前の旦那だ」
くぐもった声が下から聞こえてきます。
「へ?ええ、そうですね、私にはもったいないくらいの旦那さんですよ?」
胸の位置でもぞもぞと話されるとなんだかくすぐったいです。熱い息が胸にかかります。え?いや、もちろんない胸なんですけどね、もうそこはツッコまないでください。というか、なんだか重くなってきましたよ、ひっくり返りそうですよ?にょわ、え、おおお?
「お前は俺の妻だ」
「ええ、そうですね、妻です、奥さんですね、あのアロイス様、ええと」
そこまで体重かけられると、お、おおお重いのですが!ソファーに押し倒されましたよ、私。重いよー重いークマさんは重いー。
「そうだ。一生俺はお前の旦那でお前は俺の妻だ。そうじゃないとダメなんだ。だから……」
「うっぷ、え、ええと、はい、だから?」
「……」
――あれ、声がしません。あれれ?
「アロイス様?だからの続きは……」
「……」
「アロイス様ー?」
「……」
重いです。声がしません。胸に規則正しい息がかかっています。つまり、これは。
「寝てる…のですか、アロイス様?」
もちろんこの言葉にも返事は返ってきません。どうやら本当に寝てしまったようです。もう、何が何だかわかりません。結局旦那さんが何を怒っていたのか分からなかったですし、旦那さんが何を言いかけていたのか分からなかったですし。
「変なアロイス様……」
もう、困ったものです。でも。へへへ。
だめですね、やっぱり頬が緩んでしまいます。旦那さんの体は重いですけど温かくて、そっと触れてみるブロンドの髪は心地よくて、かすかに聞こえる寝息も耳に心地よいのです。この人が私の旦那さんなのです。素敵な旦那さんなのです。優しくて不器用な旦那さんなのですよ。幸せなのです。これが私の幸せなのです。
「いい夢をアロイス様。起きたらまた声を聞かせてくださいね」
――私は、旦那さんの奥さんで良かったなあと思うのです。この体勢はやはり苦しいですが。
fin?
後日談。
目覚めた旦那さん曰く、あの匂いは呑みに来ていた友人の方の香水の匂いで(女装癖がある方らしく絶対近づくなとのことでした)浮気ではなかったようです。朝起きたら隣に転がっていたから蹴飛ばして家から追い出したこと、玄関の前に弁当があったから私を探しにきたこと、しばらく休みをもらうつもりだということ、私と結婚したのは私に一目惚れしたから(これは非常に衝撃的で数分間考え込みました)など色々説明してくださいました。ただ、それだけじゃなく、危ないから一人で市場に行くな、浮気のひとつやふたつは許すという考えは捨てろ、離縁など二度と口にするな、敬語をやめろ、などなど膝詰説教にように、数時間後に起きた旦那さんは私に語り、今度は私はベッドに落とされて、次の日まで旦那さんの腕の中から抜け出すことはできませんでした。
え?なにがあったか?そのあたりをもっと詳しく聞かせろ?えーと、へへへ、それは秘密です。だって、だって。
私たちは旦那さんと奥さんなのですから。
今度こそfin
ここまで読んでいただきありがとうございました。長女アデルと次女カリーヌの話に関しては、趣味の小説冊子完成後に更新する予定なので、かなり後になると思いますので、ご了承ください。