もっとあまい木曜日
杏子と伸一郎は玄関先で座り込んでいた。
いましがた2人で一緒に上りつめたせいで荒れた息を整えている。
伸一郎はYシャツを着たまま下半身はズボンも下着も脱ぎ捨てていた。
杏子のシフォンシャツは、その下のタンクトップごと首までたくし上げられ、スカートは腰の辺りで丸まっていた。下着は脱がされて放ってある。
使用済みのコンドームを包んだティッシュが、欠片程度に残っていた理性の証だった。
「相当溜まっていたみたいで我慢がききませんでした」
「……はい」
応じた杏子も同じ穴のむじな。
せっかく片づけた居間を経由して寝床に行くまでもなく、こんな玄関先で2人して果ててしまうとは。
果てたばかりであるが。
「まだ時間ありますね」
「え?」
「まだおさまりそうもないんですけど」
杏子がソレを見やると見事に息を吹き返しつつあった。
「今度はなるべく丁寧に脱がしますね」
2回目ですか!? 既に裸同然ですが! 望むところですけど!
杏子が戸惑いながらも、今度こそ寝室で新しいシーツを出さなきゃと考えていたとき、脱ぎ捨てた伸一郎のズボンが震えだした。ポケットの中で携帯電話が鳴っている。
一度は電源を切ってカバンに入れたが、再び会社に電話を掛けたときに電源を入れてそのままになっていたのだ。
「無視無視」
ズボンを蹴飛ばした。午後から行くと言っているのだから文句言うな、とばかりに。
杏子に性的欲求をぶつけ始めてから何かが1本切れてしまったようで、伸一郎はすっかり堕落社員である。
代わりに杏子が踏みとどまる。
「急な仕事かもしれないでしょ。無視しちゃダメ」
快感を貪って腰砕けになった足腰がまだ立たないので、座ったままズボンに手を伸ばす。ガードがあいたとばかりに伸一郎が再び杏子のスカートの中に手を差し込んだ。
「ちょっ……国見さんの携帯ですよ!」
携帯を掴んで手渡した。
伸一郎は初戦の後戯か2回戦の前戯かを中断されて、露骨にふてくされた。
しぶしぶと通話ボタンを押して電話に応じる。
「はい。……ああ、大丈夫。行けるから。……うん。それは仕方ないだろ」
下半身はすっぽんぽんのくせに電話の口調がしっかり仕事モードで、杏子は笑ってしまった。
伸一郎は「シッ」と人差し指を自分の口元に当てる。杏子は肩をすくめた。
電話の相手の声に耳を澄ませると、女声だった。
もしかしたら、この人は。
杏子が嫉妬のあまり酷く罵ってしまった女性かもしれない。
聞きあぐねていたら、伸一郎が電話をきって「会社の同期。今日休むって詫びの電話」と答えた。
「俺の方がよっぽど罪深いけど」
共犯の杏子も苦笑する。
「会社サボって、朝っぱらからセックスしてたなんてバレたら殺されるな」
それは、どっちの意味で?
会社をサボったこと? わたしとセックスしたこと?
杏子の表情がかすかに曇った。
「一昨日、お蕎麦屋さんで一緒にいた人?」
今度はストレートにきいた。回りくどく罠にかけるようなたずねかたをすれば、結局は自分自身が傷つくとわかったから。
「見てたの?」
杏子が素直にきけば、伸一郎も素直に答える。
「ええ、偶然」
「どうりで」
昨日、杏子は伸一郎に梅干しのことを尋ねた。おにぎりを食べていないと知りながら引っかけたというわけで。
女はというか杏子は怖い。
もしも杏子が誤解しているのなら、早めに解いた方が良い。
「入社したときから付き合いは長いし、仕事で信頼もしているけど、時間に自由がきかない人でね」
伸一郎が土日出勤したときも、木下を出勤をさせるわけにはいかなかった。
客先トラブルで伸一郎に付き合ったときも、木下は午後5時で帰さなければならなかった。
「残業はできないし、今日みたいに突然休んだりする。入社当時は俺たちの中でもひときわ優秀で上からも期待されていたけど、今はもう第一線から退いて後輩を育てたりしているよ。勿体ないって思うけど、彼女自身が選んだ道だしね」
「どういうことですか?」
「双子の男の子のお母さん。上の子が胃腸風邪だって。明日には下の子にもうつるだろうなあ」
杏子は肩を大きく上下させた。
「わたしバカみたい。1人で勝手にヤキモチ妬いて」
伸一郎は吹きだした。ゲラゲラ笑いながら言う。
「あいつとどうにかなるなんて絶対ないから。俺らの会話を聞かせてあげたいよ」
「『あいつ』とか『俺ら』なんて言わないで!」
杏子はプーッと頬を膨らませた。
その姿が可愛くて可愛くて、抱きしめて髪をぐしゃぐしゃに掻き回した。
杏子のヤキモチなんて些細なことだ。
伸一郎のどす黒い感情に比べれば、純粋すぎて眩しい。
情事のさなか無我夢中で杏子を求めながら、どうしようもない嫉妬心に駆られていた。
杏子は恥ずかしがりながらも反応し、感度もよかった。
かつて身体を開かれたことがあるのだと思う。どれくらい昔のことだろう。
杏子の身体に溺れながら、名前も顔も知らない男を憎んだ。
蕎麦屋から一緒に出てきたくらい、何だっていうんだ。
殺してやりたいくらい憎んだりはしないだろ。
杏子の可愛い嫉妬心に伸一郎は救われた気がした。
*・*・*・*
昼休みが終わる15分前に伸一郎は職場についた。
メンバーの1年後輩の社員と新人の上田は、心の底から安心した表情である。
そして今までいかに不安だったかを切々と訴えた。
「国見さんも木下さんも休んじゃって、マジで泣きそうだったッスからね」
「代わりに中島さんが来てくれるはずだったんだろ」
「でも中島さんは中身知らないし」
「だから俺たちでどう説明しようかって午前中にシミュレーションしてたんですよ」
中島とは伸一郎を日本酒で潰した上長である。複数のプロジェクトのマネージャーをしているので、個々のプロジェクトの詳細までは知り得ない。
知らなきゃ知らないで上手く切り抜けるのが上長たる中島であるが、その凄さに後輩や新人はまだ気づいていない。これからもっと経験を積めば追々知るだろう。
そして伸一郎も少しずつ変わっていく。
「せっかく俺がいない想定で練習したなら、打ち合わせは任せようかな」
「えーー!? 国見さん来たのに!?」
「ヤバかったらフォローするから、やってみりゃいいだろ。何事も経験経験」
後輩たちは文句を言いつつも承諾した。
手際が悪くても失敗しても、伸一郎にリカバーしてもらえばいいのだから。
「ところで下痢はもう大丈夫なんスか」
「おう。出すもの出したらスッキリした」
後輩は気の毒そうな目で伸一郎を見るが、言葉の真意には気づかない。
杏子が聞いたら首まで赤くなりそうな台詞だった。
「と、いうわけで俺はこれから飯食うので、放っといてくれ」
*・*・*・*
木下からの詫びの電話のあと、伸一郎はすぐに出社することにした。
「5分だけください」
「もう1回するには5分じゃ足りませんよ」
出社しなければいけないとは思っているが欲望には抗えない。
お望みとあらばいくらでも。
腰のあたりがうずき出す。
杏子は乱れた衣服をようやく整えて、そうではないと主張する。
「おにぎり作るの! 冷凍ご飯で勘弁してくださいね」
腰をさすりながら調理場に向かった。
*・*・*・*
杏子が持たせてくれたおにぎりを頬張っていると、中島に肩を叩かれた。
「下痢だったくせに、ずいぶん血色いいな。飯食ってるし。腹が減るようなことでもやってきたのか?」
そう言って中島は自身の左頬を指さした。
伸一郎の左頬は紅葉の形に腫れ上がってはないが、右頬と比べると少し赤い。
ああ、なんか色々バレていそうな気がする。背中に冷や汗が流れた。
おにぎりを食べ終えて、いつもよりも丁寧に包装を畳んだ。
それを見つめながら
今度の休みには弁当箱を買いに行こうかな。2人で一緒に。
と、伸一郎は考えていた。
★☆★☆ あとがき ☆★☆★
あとがきまでお読みくださり、ありがとうございます。
あとがきはいつも活動報告に書いているのですが『オリーブのおにぎり おかわり』はアハンなR15で、活動報告には書けないのでこちらに書きます。
後半にアハンな描写がありましたが、はじめからこういう展開を書く予定でいました。
ですから2話目で思ったよりお気に入りが増えたときにはビビリました。
美味しいご飯でほのぼのラブ的なものを望まれているならば、この先ヤバイなって思いました。
でも当初の予定通りに書きました。
R15タグつけてたし! 逆にアハンを期待していた方もいらっしゃいますよね? ね?
プロットはありましたが細部まで決めていたわけではなくて、杏子の平手打ちも予定してませんでした。
他にもいろいろ書きながら付け足したこともあります。
『オリーブのおにぎり おかわり』では「ちゃんと書く」を心がけました。
今の出来事が次の出来事に繋がるように書いたつもりです。
さて本題です。
アハンな話はいかがでしたか。
ぬるいですか? やりすぎですか? お月様に行けですか?
『あまい』と『もっとあまい』の間はさすがにお月様だろうと思って省略しました。
いい年した大人の痴話ゲンカ。
一言でいってしまえば、そんな話です。
この後に活動報告の再録でオマケがあります。
アハンの後にコレ? ってツッコミもありです。
ただ、アハン中は敬語とタメ口が入り乱れているのが、タメ口のみになっているので、心理的な距離は近づいているよ、と思ってます。
最終話までおつきあいいただき、ありがとうございました。
最後に……もし、もしもですよ、続きを書くとしたら、アハンな続きはアリですか?
自分で決めろですね。失礼しました。