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オリーブのおにぎり おかわり  作者: かに
続編 ―秋の勤労週間―
22/24

ゲロゲロの金曜日

 岩崎の送別会は伸一郎と木下を除くほとんどの社内勤務の社員が参加するらしい。

 伸一郎を中心とした三角関係の噂は消えたが、木下が岩崎をいじめたと思われていることは変わらず、木下はまるで腫れ物のような扱いだ。当の本人はその点を気にする素振りもなく

「夫の仕事の都合がつかないので送別会は欠席でお願いします」

 と昨日のうちに回答していた。


 終業時間になり、木下が帰り支度をしながら伸一郎に送別会の出欠を問いかけた。


「俺も欠席」

「出席してよ」

「勘弁してくれよ。こっちはイジメの片棒かついでると思われているんだぞ」


 伸一郎に対する共犯者の疑いもまだ晴れていない。


「岩崎さんを見張って欲しいのよ」

「なにを?」

「お酒を飲まないように。自分から飲まないと思うけど周りが勧めるかもしれない」


 送別会の主役は岩崎だ。当然の成り行きだろう。


「体調悪そうにしていたからか? そんなの自己管理の範疇だろ」


 青白い顔色の岩崎が木下に介抱されていたことを、伸一郎は思い出した。思い出すと岩崎に腹を立てた。恩を仇で返すとはこのことじゃないか。


「たぶん岩崎さんは断りきれないと思うのよ。これはわたしの勘だけど……」


 木下は声をひそめて伸一郎だけに聞こえるように二言三言つぶやいた。それを聞いた伸一郎が眉根を寄せた。


「……まさか」

「たぶん」

「わかった。目を離さないようにする」


 伸一郎は夜に酒を飲む日は昼を抜く。食事の量を調節することで、どうにか体重を増やさずに維持している。今日は送別会を欠席するつもりで昼食を食べてしまっていた。

 後悔はしていない。出席するのであっても、昼食を食べていたと思う。

 伸一郎の身体も心も杏子の作る食事を欲していた。




 送別会は職場の近所の居酒屋で開かれた。女性受けも良さそうな創作料理の洋風居酒屋だ。二日ぶりに顔を見せた岩崎は相変わらずコロコロと笑い声をあげていた。しかし伸一郎と目が合うと一瞬だけ顔を歪ませた。


(そんな顔するってことは少しは罪悪感アリってことか)


 伸一郎は岩崎の隣の席に陣取った。岩崎はまた顔を歪めるが、どこかホッとしたような表情でもある。管理職たちが「狙っても岩崎は既婚者だぞ~」とからかっても聞き流した。せっかく粉砕した下衆な噂が復活したら嫌だなあと思うが仕方がない。木下の勘が事実だとしたら岩崎をかばわざるを得ない。岩崎に好意的な感情は一切なくても、人として放っておくわけにはいかなくなった。


 岩崎はウーロン茶を注文していた。


「お酒飲まないの? 細谷さんだった頃はわりと酒豪だったってきいたよ?」

 向いに座るのは伸一郎よりも三期上の男性社員。彼と岩崎の会話に伸一郎は聞き耳を立てた。


「お酒は好きなんですけどぉ、今日はちょっとぉ」

「えー、そんなこと言わないでさあ。今日で最後なんだから」

「えー」


(断るならちゃんと断れ! 勧める方も嫌がったら潔く止めろよ)


 伸一郎はふたりのやり取りに尻がむず痒くなってきた。木下の予想通り、口を挟まなければならなそうだ。酒に強くない伸一郎は腹を括って、カゴに積まれた枝豆に手を伸ばした。空きっ腹で酒を飲むと悪酔いする。


 岩崎に酒が勧められるたびに、伸一郎が「勘弁してあげてください」と断る。それを無視してグラスにビールが注がれる。伸一郎はそれを奪い取る。勧めた人間は面白くない。


「他人に勧めた酒を横取りするほど酒好きだったのか。ならもっと飲め」


 伸一郎のグラスにも酒が注がれる。岩崎の分と自分の分。いつもの二倍の量を飲む羽目になっている。伸一郎の飲酒の許容量はとっくに超えていた。

 岩崎も手からウーロン茶を手放さずに断っているのだが態度があいまいで、相手もしつこい。テーブルの空きグラスにビールを注いだ。伸一郎がそのグラスに手を伸ばす。


「岩崎にお疲れさんと言っているんだ。なんでお前が飲むんだ。まだ自分の分があるだろう」

「酒を勧めないでくださいと言ってるじゃないですか」


 普段ならば受け流すところを言い返してしまった。そして相手もかなり酔っていた。


「どうした? ナイト気取りか?」

「違いますよ。そんなんじゃありません」


 他人から疎まれてまでも、なぜ岩崎をガードしているのか判らなくなってきた。岩崎も断るならばもっときちんと断ればいいのに、なぜ曖昧に笑っているんだ。

 木下も木下だ。岩崎のせいで社内で腫れ物扱いされているというのに、なぜ岩崎を庇おうとしている。

 それどころか伸一郎自身ときたら、彼女の防波堤となって得意ではない酒をかっくらっている。ありていに言ってしまえば伸一郎は岩崎を嫌っているのに。

(俺は一体なにを頑張っているんだろう)

 酔いがまわり感情を理性で抑えられなくなってきた。


「ちょっとトイレ……」

「おう、のんびり行ってこい」


 邪魔者、伸一郎がいなくて清々すると言わんばかり。

 伸一郎はそれを無視して岩崎に向き直る。足元はフラフラ、頭はクラクラして焦点が定まらない。それでも何とか岩崎の目を見据えた。


「俺、席外すけど、ちゃんと断れよ」

「……はい」


 自分の身ぐらい自分でしっかり守れ。言いたい言葉を飲み込んでトイレに駆け込んだ。

 こみ上げてくる嘔吐感を便器にぶちまけた。息が切れる。喉が痛い。トイレの手洗いで顔を洗い、ハンカチで水を拭った。トイレの壁にもたれかかる。不衛生だと気にする余裕もなかった。

 ズボンのポケットから携帯電話を取り出して着信履歴とメールを確認する。期待していた杏子からの着信はなかった。

 わかっている。杏子がこの時間帯に電話をかけてくることはない。伸一郎が残業中かもしれないからだ。杏子は伸一郎が働いていることを尊重している。決して邪魔したりしない。


 携帯電話が表示する時刻は午後十時を過ぎていた。杏子はもう寝ているかもしれない。しかし伸一郎は杏子の声を聞きたかった。杏子と同じ時間を過ごしたかった。杏子は伸一郎の生活リズムを気遣っているというのに、なんて自分勝手なんだろう。

 伸一郎は杏子の携帯電話にコールした。二回コールの後に電話は繋がった。


「杏子さん、起きてた?」

『うん。お仕事終わったの?』


 言葉が詰まった。杏子さん助けて、それはあまりにも情けなさ過ぎる。でも助けて欲しかった。飲みたくもない酒を飲んでばかりはもう嫌だ。揚げ物も刺身もシーザーサラダを食べるのももう嫌だ。いつもは多少なりとも着飾っている心が酩酊状態で丸裸にされる。

 杏子に会いたい。杏子の作るご飯を食べたい。


「オムライス食べたい。赤いの」

『赤いの?』

「うん、ケチャップ」

『もう十時過ぎてる』

「飲んでるから遅くなる。でもそっちに寄るから」

『わかった。待ってる』


 そして伸一郎は電話をきった。

(杏子さんは一人でも生きていけるだろう。でも俺は杏子さんがいないとダメだな)

 情けないけれど認めざるを得ない。せいぜい見捨てられないように、もうちょっとだけ頑張ろう。

 身体は酔ったままだが頭の中は幾分スッキリしていた。



 伸一郎は席に戻った。今まで座っていたはずの席は埋まっていた。岩崎は両隣から酒をすすめられ困り顔をしていた。伸一郎は立ったまま、岩崎を見下ろす。


「俺もう代わりに酒飲むの限界なんで聞くわ。岩崎さん、妊娠してない?」


 伸一郎の周囲が静まりかえる。岩崎の両隣に座っていた男性社員がサッと身を引いた。


「え……? やだもぅ、国見さん何を言ってるんですかぁ。酔っ払ってますぅ?」

「酔ってる。でも冗談ではないよ。違っていたら申し訳ない。でも元々お酒が好きなのに、どうしてお酒を飲まないの? 飲みたくないのにきちんと断らないの? 俺が岩崎さんの酒を飲んでいたのは、木下に頼まれたからだよ。木下が俺に忠告してくれた」

「木下さんが……?」

「そうだ。岩崎さんをいじめたはずの木下が誰よりも君の体調を気遣っている。それについてはどう思う?」


 貧血を起こすたびに応接室に連れて行き介抱したのは木下だ。送別会の席で酒を飲まされることを危惧したのも木下だ。そして実際に食い止めてやっていたのは伸一郎。岩崎をチヤホヤした連中はどうしようもない噂で盛り上がったり、岩崎の顔色に気づかずに酒を勧めていたというのに。

 沈黙の時間が流れた。ほんの数秒か、数分か。酔いで時間感覚も曖昧になっていてよくわからない。


「あのぅ……わたしぃ……つわりが辛くてぇ……」


 やっと口を開いた岩崎は声が震えていた。さすがに笑い声を挟むことはなかったが、語尾をのばすのは相変わらずだ。カワイイ子ぶっているのではなく、素でこういう喋り方なのかもしれない。


「仕事復帰してたった一ヶ月で妊娠して辞めるって言えなかったってことかな」


 途切れ途切れの独白を繋げてやった。続けて木下も岩崎も口には出せない台詞を言ってやる。茶番に付き合うのも終わりだ。


「だから木下のせいにした?」

「ごめんなさい。わたし……木下さんに……」

「木下はそのことについては怒ってなかったよ。どうしてか俺には理解できないけどね」


 それから先の伸一郎の記憶は途切れがちになっている。岩崎がどう答えたか、周囲の反応がどうだったかも定かではない。

 新見が自分と岩崎のもとにとんできたような気がする。

 岩崎が泣きながら謝った気がする。

 拍手の音を聞いた気がする。

 どんな風にお開きになったのか、どうやって帰ってきたのか覚えていない。


 杏子の背中に回した自分の両手と抱きしめた感触。

 それが最後の記憶だった。

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