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オリーブのおにぎり おかわり  作者: かに
続編 ―秋の勤労週間―
18/24

なにがなんだか水曜日

 杏子に愛想笑いで見送られた日、勤務時間が始まるとすぐに志村から報告を受けた。昨日指示したデータベース設計にかかった工数の計算結果である。

 伸一郎が提示した締め切りは今日まで。時間は指定しなかった。

 それを拡大解釈して『今日の23時59分59秒まで』がまかり通っているのが、この業界。志村はまだ毒されてはいないようだ。


(あとは中身の精度が高ければ言うことないな)


 志村が提出した紙に目をやる。実際にかかった工数の隣に、今回の検索条件追加した場合の予想工数も書いてあった。


「見積もったことはないと言ってなかったっけ」

「はい。でもちょっと考えてみました」


(前向きである、と)


 無意識に志村の働きぶりに点数をつけている。今のプロジェクトが終わり、次のプロジェクトでメンバーを集めるときに志村を指名するかの判断材料だ。いいメンバーは取り合いになる。見込みがあるなら早めに確保しておかねばならない。


「木下に相談した?」

「すみません。まだでした。相談してきます」

「いいよ、いいよ。俺から妥当な線かきいておくから。ありがとね。元の作業に戻っていいよ」


(独自判断で突っ走るかもしれないが素直、と)


 伸一郎が心の内で下した志村への評価は概ね良好だった。

 木下の意見を聞こうと回転イスをぐるりと回して木下の席へ身体を向けたが、彼女は席を外していた。仕方なく伸一郎は自分の席に向き直り、別の作業に取りかかった。

 それから十分ほど時間が経ち、木下がうんざりした表情で戻ってきた。


「どうかしたのか」

「ちょっとね。岩崎さんが具合悪そうにしていたから、応接室で寝かせてきた」

「この前もそんなんなかったか?」

「体調が悪いときには遠慮無く休みなさいって言ってるんだけどね。無理して来たって途中で倒れられる方が迷惑だって」


 木下の言い分はごもっともだが少々キツイな、と伸一郎は思った。


「なに? なんか用があったんでしょ」

「ああ、そうだった」


 志村が提出した紙を木下に見せる。


「どう?」

「月曜のメールの見積もりね。まあ、こんなもんじゃない? もうちょっと上乗せしてもいいかもって思うけど」

「どれくらいまでいける?」

「掛ける1.3ぐらいまで大丈夫なはず」


 見積もり工数を顧客に提示するのはこちら側だが、当然顧客側も見積もりを予想している。あまりにも掛け離れたものだと受け入れてもらえないのだ。

 検索条件を追加した場合の検索処理速度と、設計から手直しした場合の工数。

 顧客と交渉する材料は揃った。あとは伸一郎がどう捌くかである。


「木下」

「なに?」


 仕事に戻ろうとしたところを呼び止めたものだから、木下の顔にはありありと『なんか用?』と書いてあった。


「いや、なんでもない」


 岩崎に何かわからん相談をされそうなんだ。しかも木下はお呼びじゃないらしい。

 そんなことを言ったって解決になるどころかトラブルの火種になりかねない。

(とにかく、岩崎の相談をきいてからだな)

 それから昼休みになるまで、伸一郎は仕事に集中した。




 昼休み。職場から歩いて5分程度の場所にあるイタリアンレストラン。昼間はランチを提供し、夜はバーになる。真っ昼間だというのに薄暗い店内は、洒落た雰囲気を演出するためだろうか。伸一郎と岩崎は2人掛けの席で向かい合わせに座った。


「具合はもう大丈夫なのか?」

「木下さんに聞いたんですかぁ。ふふ。大丈夫です」


 いつも通りの甘ったれたアルトの声高だが顔色は青白く見えた。

 注文した料理が運ばれてくるのを待つ間に、昨日断った理由の弁当について説明した。他に話すこともなくて場が保たなかったからだ。

 岩崎はまだ「相談」を口にしそうもなかった。


「彼女さんはどんな人なんですかー?」


 杏子を表する言葉が咄嗟に浮かばない。

 岩崎は答えを待ちきれずに断定する。


「家庭的な人でしょうね。お弁当作ってくれるなんて、なかなかできませんよぅ」


 伸一郎は返事ができなかった。家庭的という言葉に強烈な違和感を覚えたからだ。

 おいしいごはんを作ってくれる。家はいつでもきれい。性格もおだやか(怒らせると怖いけど)。身なりも派手ではなく贅沢もしない。近所づきあいもそつなくこなしているように見えた。

 いまどき珍しい理想的な主婦そのものではないか。

 それなのになぜだろう。杏子は主婦という概念からほど遠いところにいるように思えた。


「やっぱり男の人って、そういう女の人がいいですよねぇ」

「そうなのかな。よくわからないけど。それより」


 いい加減にそろそろ本題に入りたい。


「相談ってなに?」

「あの……わたし……」


 岩崎は言い淀んで周囲を見渡す。伸一郎は少し苛立ってきた。用件は手短に話して欲しいと思う。自分は嬉々として雑談に応じるほど岩崎と仲が良いわけではない。


「木下さんにいじめられているんです」


 両手にセットトレイを持った店員が現れた。

「本日のパスタセットとオムライスセット大盛り、お待たせしましたー」



 オムライスはデミグラスソースに白いエビピラフ。ひと匙すくって口に入れる。オムライスといえばケチャップライスではないだろうか。自分では料理を作れないくせに、生姜焼きはロース一枚肉だの、オムライスはケチャップだの、主張だけは一丁前だ。

 そして杏子ならばきっと赤いケチャップオムライスを作ってくれるだろうと思う。

 岩崎はまだパスタに手をつけていない。


「どういうこと?」

「挨拶しても無視されたり、事務書類を持っていっても睨まれたり……」

「他には?」

「嫌味も言われました。わたし嫌われているんだと思います。お気楽そうに見えるみたいで」


 好いてはいないだろうな、とは思う。岩崎の復帰を見て呆れていたのも事実だ。ただ、それでイジメなんてするだろうか。伸一郎が知る木下はそんな人物ではない。話を聞く限り「気のせい」で片づけられそうでもある。


「会社に行くのが辛くて……」

「誰かに相談した?」

「だから国見さんに……」

「俺は解決できないよ。困っているなら、総務課か人事課にパワハラの相談窓口があるから、そこに相談するといい」

「解決なんて……」

「解決したいから俺に相談したんじゃないの?」

「ただ話を聞いてもらいたくて……」

「え? そうなの?」

「国見さんは木下さんと同期だから……」

(同期だからなんだ?)


 岩崎の語尾を濁す話し方が伸一郎の気に障る。


「でも、話したらすっきりしました。ありがとうございます」


 岩崎はにっこり笑ってフォークを手にした。本日のパスタ、梅じそのさっぱりスパゲティをくるくる巻き取り口に運ぶ。

 伸一郎は唖然とした。オムライスを飲み込んでから口をポカンと開けた。脳の片隅で(デミグラスソースがしょっぱいんだよ。今度杏子さんに赤いオムライス作ってもらおう絶対)と考えながら


「いいの? それで? 何の解決にもなってないよ」

「いいんです。わかっていただけただけで」

(わかってないって!)


 伸一郎は否定したいのに、岩崎は自己完結している。どんな理論でその結論に行き着いたのか全く理解できない。だからといって根掘り葉掘り問いただして興味も無い話を聞かされるのも勘弁だ。

 木下を擁護すべきだろうか?

 しかし岩崎の話を聞く限りでは、それがどうしたのレベルにすぎない。そんなことで会社に行くのが辛いだなんて、岩崎の精神の弱さが心配になるくらいだ。下手に首を突っ込んで事態をややこしくするのも本意ではない。

 傍観しよう。

 要するに伸一郎は(面倒くさい)と思ったのだ。


 そんなことよりも『杏子』と『家庭的』の言葉を並べたときの違和感が気になって仕方がなかった。

 たまにはケンカもするけど、一方的に伸一郎が責められるけど、伸一郎も攻め返したりしながら仲良くやってきているつもりなのに。その先に見えるはずのものが見えない。



 意味不明の昼食を終えて職場に戻った。午後の仕事開始までまだ少し時間がある。伸一郎は携帯電話でメールを送信した。


『明日は客先に直行するので、おにぎりはいらないです』


 伸一郎が一人で勝手に打ちひしがれていようとも、それはまるで「今日は遅くなるから夕飯いらないよ」とメールする亭主そのものだった。

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