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オリーブのおにぎり おかわり  作者: かに
続編 ―秋の勤労週間―
16/24

だらだらの月曜日

 それから一週間後の月曜日に伸一郎は代休を取って仕事を休んだ。


 朝寝をむさぼり、寝床から抜け出さないままスマホでモバゲーを楽しみ、昼前に起きてきた。パジャマのまま、後ろ頭をボリボリ掻き、食料をあさる。

 買い置きのインスタント袋麺を見つけた。雪平鍋に水を入れコンロにかける。コンロは一口。流し台も極端に狭い。

『玄関開けたら二分でご飯』どころか、扉をあければすぐキッチン。果たしてキッチンと呼んでいいものか、はばかられるくらいだ。単身向けワンルームマンションによくある間取りである。


 鍋のお湯が沸いたら麺を投入。麺とスープだけでは味気ないので、冷凍のほうれん草を入れて卵を落とす。一人暮らしを始めた頃には張り切って生野菜を常備してみたが、結局冷蔵庫でしなびさせてしまうだけだったので、野菜はもっぱら冷凍食品を買っている。


 どんぶりに移さずに鍋のままインスタント麺をすすり、テレビ番組を見る。主婦向けの情報バラエティ番組だ。生活の知恵やら大型ショッピングモールの開店情報が放映されているのを、ぼんやりと眺めていた。


 朝食を兼ねた昼食を済ませると、残ったスープを捨て鍋を洗った。冷蔵庫から五〇〇ミリリットル入りのペットボトルのお茶を出して飲む。

 実家からたまに宅配便で茶葉が届くが封も開けずに放置してある。以前に気が向いてお茶をいれてみたら、薄味過ぎて吹き出した。茶葉をケチったつもりはないのに、何なんだ一体。それ以来、急須は奥に追いやられて出番がない。


 数日前に買って書店の紙袋に入ったままだった男性用ファッション誌をテーブルの上で広げた。テーブルは正方形の家具調コタツで、友人が集まれば雀卓にも早変わりする。

 伸一郎はお茶を飲みながらページをめくり今年の流行りをチェックする。


 そろそろコートを買い換えたいなあ、スーツも新調したい。


 Yシャツは消耗品だと考えている。ヘタれたネクタイもみっともない。

 伸一郎の家計の支出における被服費の割合は高い。


 杏子と付き合うようになって交際費も伸びてきてはいるが、友人づきあいで使うお金とさほど変わらない。杏子は贈り物をねだったり、どこそこへ連れて行ってと要求することもない。むしろ、友人づきあいの方が飲み会や何やでお金がかかっている。


 夜に杏子に会うと、いつも手料理でもてなされるので、伸一郎が財布を出す場面がないのだ。

 あまりに申し訳なくて手土産に高級和牛のステーキ肉を持参したときには「もったいない!」と一喝されたほど。幸い地雷爆破までにはいかなかった。地雷が爆破しなかったということは、組んず解れつの事態にも至らなかったわけで、そういう意味では幸いだったかは微妙なところである。牛肉は杏子が腕によりをかけて調理して美味しくいただいた。



 ファッション誌のページをめくる手が止まった。後半ページの読者アンケート特集記事。

『ぼくらが結婚を考えるとき』

 雑誌の購読ターゲットはアラサー世代。晩婚化、少子化が社会問題になっていても、この世代が結婚適齢期であることには変わりないのだ。


 特集記事にはプロポーズのシチュエーションや台詞やら、キラキラ浮かれた内容ばかりではなく、平均年収や小遣い、家計診断のようなものも載っていた。

 消費を推奨する雑誌であるはずなのに、それらの記事を読んでいるとお金の使い道にはシビアにならないといけないと思わされる。


「矛盾している気がするな」


 伸一郎はひとりごちた。今日は冬物の服を買いに行くつもりだったのに、ファッション誌を読んで購買欲が削がれてしまった。

 かといってこのまま家から一歩も出ずに過ごすのもいかがなものか。

 伸一郎はようやくパジャマを脱いで私服に着替えた。


 向かう先はキッチンオリーブである。

 閉店時間は不定ときいている。それまで時間がかかりそうであれば、駅前の喫茶店で過ごすつもりで家を出た。




 キッチンオリーブに着くと、ちょうど杏子が店の外に出てシャッターをおろすところだった。

 伸一郎が仕事を休んでいることを当然知っている。伸一郎は恋人であると同時にキッチンオリーブの常連客でもあり、月水金の朝には必ずサンドイッチを買いに来店する。それができないときには事前に連絡を入れることが、暗黙の了解になっていた。杏子が拘束しているのではなく、伸一郎の当たり前の気遣いである。


「こんにちは。これからお出かけ?」

「杏子さんが出かけるなら」


「わたし? いつも通りのつもりだったけど」

「いつも何してんの?」


「片づけたり、売上げを計算したり、お買い物かな」

「一緒にいていい? 邪魔しないから」


「せっかくのお休みなのにいいの?」

「せっかくの休みだから、杏子さんの普段通りがみたいんだよ。いつもは見られないからさ」


「面白いことなんか何もないわよ」


 そう言いながらも伸一郎の希望を受け入れた。



 案の定、伸一郎は手持ち無沙汰で何度も「手伝うことない?」とたずねたが、その度に笑顔でいなされた。


「いつもやってることだもの。一人でできるに決まっているでしょ」


 杏子を手伝うどころか、所在なげな伸一郎のためにお茶を用意させる始末。杏子は茶葉と急須で真っ当にお茶をいれた。それは伸一郎が気まぐれで適当にいれるお茶の味とは雲泥の差であった。


「このお茶旨い。どこで買ってるの?」

「スーパーの特売品」

「本当に? 親戚が茶畑やってて、実家からお茶っ葉届くけど、いる?」

「欲しい! いいの?」

「俺はこんなに旨くいれられねーから」


 いれるどころか封すら開けていないことは伏せておく。わざわざ不精者を主張する必要は無い。


「ありがとう」


 杏子はお礼を言ってから、ちゃぶ台の上の出納帳に目を戻した。いましがたの伸一郎との会話のために、記帳の手を止めていたのだ。


 俺は杏子さんの邪魔しかしてねえな。


 伸一郎はお茶をすすった。渋味を旨味でなく苦味に感じた。




「お夕飯、食べていくでしょ?」


 なんとも手際よく雑務をこなした杏子が問いかける。伸一郎の答えはきくまでもない。

 材料を買いに行く杏子の後ろをヒョコヒョコとついて行く。これではまるで夕食をたかりにきただけのようだ。伸一郎は情けない気分になった。その耳に心地よいメロディが届く。淀みなく流れるソプラノの音階。耳を澄ますと杏子の口元から聞こえてくる。鼻唄だった。


 もしかして、かなり機嫌がいい?


 イライラしているときに鼻唄を響かせる人はいないと思う。

 伸一郎は杏子と思いを通わせる前から、その声を好んでいた。杏子に声を掛けて歌声を止めるよりも、メロディに浸ることを選んだ。鼻唄は杏子自らが止めた。


「お魚でいい?」


 主菜の材料である。いつもは肉か魚かを伸一郎に選ばせているので、伸一郎は(珍しいな)と思った。



 杏子のいきつけの魚屋のおかみは、いきなりハイテンションだった。


「あらあらあらあら、まあまあまあまあ」


 脳天から突き抜けるような甲高い声で叫んでいる。

(これは一体何ごとだ?)

 伸一郎が杏子を見やると苦笑いを浮かべている。


「杏ちゃんのいい人ね!?」


 杏子の苦笑いとは対照的な満面の笑みだった。伸一郎も(そういうことか)と察しがつき、杏子と目線を合わせた。伸一郎が首を微かに傾げると杏子も頷いた。伸一郎は自分を指さし


「杏子さんの彼氏です」


 おかみのテンションに合わせて高揚気味に答えた。照れはあったが、自分が杏子の恋人なのだと名乗りたい気持ちが勝った。杏子もこうなることを承知の上で伸一郎を連れてきたようで、声を出さずに「ごめんね」と唇を動かした。

 買い物のたびにこの調子ではさぞかしウザかったろう。これでおかみのお節介という名の好奇心も収まればいいと思いきや、おかみの『ご厚意』は更に上をいった。


「お式はいつ頃? 場所は決まっている? まだならいいところ紹介してあげるわよ」


 紹介が『いい人』から『いい式場』にシフトしただけである。とことん世話を焼かずにはいられないようだ。

 伸一郎としてみれば『結婚』という単語に触れるのは三度目になる。岩崎の結婚退職(と復帰)と、雑誌記事、そして目前のおかみのお節介。否応なしに意識させられる。

 そんな伸一郎の隣で杏子は笑顔で首を横に大きく振った。


「ご縁があれば」


 杏子の顔は笑っているのに表情がなかった。それは単なる愛想笑いであるのだが、伸一郎はそれが理解できない。伸一郎の勤め先において女性が愛想笑いをする必要性がないので「うふふ」「おほほ」の世界を知らないのだ。

 とりあえず杏子は結婚を肯定しているわけではなさそうで、伸一郎は軽く打ちひしがれた。

 杏子はそれに気づかずに買い物を再開する。


「秋刀魚が安いね」

「そうよお。今日のおすすめ」

「これ安いの?」


 伸一郎が横から口を挟んだ。秋刀魚と氷水が入ったトロ箱に一五〇円の値札が刺さっていた。


「あら、杏ちゃん、彼氏大丈夫かい? 今年は秋刀魚が不漁なんだよ。そんなことも知らないのかい?」

「いつもは一尾一九八円くらいよね。四尾買うから五〇〇円にしてくれない?」

「もうギリギリの値段なんだけどねえ。……よし、杏ちゃんの彼氏に免じて五〇〇円でいいわ!」

「やった」


 杏子の喜ぶ様子を見ていると、おかみに自分を紹介した理由は値引き交渉のためだったのではないかと思えてきた。




 杏子と伸一郎がちゃぶ台で向かい合わせに食す夕飯は、秋刀魚の塩焼きとカボチャの煮付け、ほうれん草のお浸しに豆腐とワカメの味噌汁。

 秋刀魚はよく太って脂がのっていた。パリッと焼けた皮に箸をいれて身をほぐすと脂が溢れ出す。醤油をたらした大根おろしと合わせて口に入れれば秋の至福の味。大根をおろしたのは伸一郎だ。


「勢いよくおろしてね。その方が辛くなるから」


 杏子のアドバイスに従ったまでのこと。子どものお手伝い程度ではあっても、ようやく役に立てて哀れな気持ちも半減した。

 秋刀魚はひとり一尾ずつ食べた。


「残りの秋刀魚は生姜の細切りと一緒に混ぜご飯にするね」

「もしかして明日のおにぎり?」

「わたしのお昼ご飯も」


 火曜日と木曜日はおにぎり。杏子と伸一郎は同じものを食べている。離れた場所にいてもふたりは一緒に食べている。


 その日、玄関先での別れ際のキスの味は、ほんのりしょっぱかった。

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