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オリーブのおにぎり おかわり  作者: かに
続編 ―秋の勤労週間―
15/24

イライラの日

 岩崎が新島課長の雑用係として会社に復帰してから一ヶ月が過ぎた。

 管理職の受けもよく、若い社員とも馴染んでいるようだ。職場には似つかわしくない甘ったれたアルトの声が伸一郎の席にまで聞こえてくる。


「はぁい、わかりましたぁ。ふふふふ」

「えっとぉ、ここにぃ、書いてくださいね。ふふふ」


(なにがそんなに、おかしいんだよおおお)


 伸一郎は心の中で叫び、片手で頭を掻きむしった。せっかく朝に整えた髪型も台無しである。メガネをはずし、たいして汚れていないレンズを眼鏡拭きで磨く。

 伸一郎は岩崎の声や話し方が苦手だ。たとえば解読困難な資料を読み込んでいるときに、語尾を伸ばした話し声や無駄に多い笑い声が、否応なしに耳に飛び込んでくる。それは伸一郎にとっては騒音でしかなく、集中力が削がれてしまう。作業を中断せざるを得ずイライラする。


 とはいえ、伸一郎がそういった感情を表に出すことはない。我慢している。他人の独り言や貧乏ゆすりと同等の類にいちいち苦情を言っていたら、会社勤めなどやっていられない。

 苦手ならば近寄らなければいい。そういうわけで伸一郎は岩崎を敬遠していた。しかしこちらが避けていても向こうから話しかけられることもある。



「国見さぁん。代休が溜まっているので消化してくださいとのことですぅ」


 岩崎は相手の反応を伺うことなく、呼びかけから用件までを一気にまくし立てた。

 伸一郎は複雑な条件のテスト項目書を作成中で、すぐには手を離せない。伸一郎が返事をする前に木下が割り込んできた。


「岩崎さん大丈夫? 顔が真っ白よ」


 木下の尋常でない口ぶりに、伸一郎は一も二もなく作業を中断させた。後ろを振り返り岩崎の顔を見る。岩崎の顔色は白いを取り越して青みを帯びていた。足元もおぼつかないようだ。ふらりと身体が大きく揺れた。


(あっ! 倒れる!)


 と思った瞬間に木下が席から飛ぶように立ち、岩崎を脇から支えた。


「貧血? 応接室でひと休みする?」

「はい……」


 応接室にはソファがある。会社に泊まり込んだ社員が寝床代わりに使ったり、具合の悪くなった社員が救護ベッド代わりに使ったりすることを会社側も黙認している。

 岩崎は自力で立っていられず木下に体重を預けながらも、なお伸一郎に用件を伝えようとする。


「国見さぁん、代休……」

「わかった。取得申請出しておくから」


 甘ったれた声でどんな働きぶりをしているやら、と岩崎のことを訝しげに思っていたが、そこそこ責任感も持ち合わせているようだ。


「あのぉ、新見課長にはこのことを言わないでくださいぃ」

「そんなわけにいかないでしょ」

「でもぉ……」


 木下と岩崎は小さく揉めながら応接室に向かった。

 二人の背中を見送りつつ伸一郎は岩崎の身を案ずるより先に

(こういうときに女性社員がいるとホント助かる)

と木下に心から感謝した。


 セクハラだパワハラだと騒がれやすいご時世、誤解を生むシチュエーションはできる限り避けたい。ましてや相手はこの職場には珍しい人種「女の子」の岩崎だ。「かーちゃん」の木下とは周囲の見る目も違う。

 岩崎を支えて歩く木下のなんと頼もしいことか。拍手喝采を送りたいところだが、確実にぶん殴られそうなので黙して作業を再開した。


 しばらくして木下が戻ってきた。


「どんな様子だった?」

「本人は少し横になれば大丈夫って言っていたけど、どうだかね」

「仕事、大変なのかね」


 岩崎の現在の仕事は開発部門とは全く異なるので、内容もハードさも全く見当がつかない。伸一郎は関心を持っていないのでなおさらだ。


「楽だと思うわよ。基本的に言われたことしかやらないから。書類を配れと言われれば配るだけ、書類を集めろと言われれば集めるだけだから」


 それが許されるのは入社して一年程度であるが、岩崎はその一年にも満たないうちに退職していた。


「新見課長もそれで認めているみたいだから、そのままやり遂げればいいんじゃない? 今度は。で、代休申請出した? 岩崎さんに応接室でも念押しされたのよ」


 代休とは休日に勤務した代わりに、平日に取る休みのことである。休日勤務は残業時間と扱われて残業代が発生する。代休を取れば、休日勤務は通常勤務とみなされて残業代は消滅する。会社としては支払い賃金が安く済むため、代休取得を推奨している。


 伸一郎は以前に、炎上プロジェクトの助っ人で土日を返上して二週間休みなく働いたことがあった。そのときの代休の有効期限が迫っていた。有効期限を過ぎると代休を取れなくなり、残業代が確定する。休みを取るか、金を取るか、である。

 実際のところは社員に選択権はほぼない。業務が忙しければ休んではいられないし、余裕があれば「代休を取得しろ」と圧力がかかる。岩崎はその先鋒のようなものだ。岩崎の宣告を無視すれば次は管理職に呼び出されるだろう。


 幸い、伸一郎の現在の業務はそれほど切羽詰まってはいない。一日ぐらい休んだところで進捗に影響があるとも思えなかったので、近いうちに代休を取得することにした。

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