10話 精霊と魔法少女Ⅱ
「やっぱりここにいた」
しばらく経って日も暮れたころ、紙袋を持って家のベランダから屋根裏へと出ると、エニグマは一匹で黄昏ていた。
はあ、とため息をつかれる。
「ミューズじゃないのに、ミューズの記憶があるってのは厄介だね」
「うん、”知っている”からね」
エニグマは落ち込んだとき、屋根の上でぼーっと星を見上げる習慣がある。もちろん一周目のサイドストーリーを隅々までやりこんだ私だから知っていることだ。
エニグマの横に座り、並んで空を見上げる。中世ヨーロッパ風の世界観なので、まだ豆電球が発明されていない。暗い街の頭上には満天の星空が広がっていた。
「星空、綺麗だね。現実世界じゃなかなか見られないよ」
「ああ、ミューズたちが守った夜空だ」
一周目のクライマックスでは世界は赤い空に包まれた。美しい景色は彼女たちが守ったものだ。本来であればエピローグの先を噛みしめていたのはミューズ本人だったんだろう。
私は持ってきた紙袋からお菓子を取り出す。
「はい、カップケーキ。夕ご飯食べてないからお腹すいたでしょ」
「……まったく。別人なのにさあ」
差し出すと、苦笑してぱくりとかぶりついた。そのままパクパクとあっという間に食べつくしてしまう。これがエニグマの好物であることも知っていた。
それきり会話が途切れる。何かきっかけを作ってから本題に入ろうかと思ったけど、元引きこもりには難しかったらしい。直球勝負で頭をさげる。
「ごめんね」
「謝ることじゃない。ミューズを乗っ取ろうと思ってやったわけじゃないんだろ。むしろキミも被害者だ」
「でも……」
「もちろん、恨みつらみはたくさんあるけどさ……」
エニグマは自嘲した。
「何を語ったとしても、キミは全部”知っている”からね。ボクとミューズの思い出も、ボクたちがどれだけ強い絆で繋がっていたのかも、どんな困難を乗り越えてきたのかも」
ゲームをプレイする、というのは扱いが難しい。
私はミューズの人生を追体験しているし、ifの可能性も味わっている。私がミューズを操作してクリアしたのだ。
でも、所詮は画面越しの追体験。彼女の人生を知っているだけで、経験したわけじゃない。
「そんな相手への八つ当たりも、恨みつらみも、これほど虚しいことはない」
追体験と体験には、大きな壁があった。
「ボクは怖いんだ。キミとミューズは別人なのに、ボクの好みも習性も全部知っている。カップケーキを持って屋根の上まで来てくれるキミを憎からず思ってしまう。こんな生活を続けていたら、キミがボクの心にするっと入り込んで”ミューズ”だと誤認してしまうよ」
魔法少女ミューズ。
その偶像は、人々のイメージによって作られている。
エニグマの中で形作られている”ミューズ”のイメージが、私によって塗りつぶされてしまうのを恐れているのだろう。
連続的ではないミューズの人格が、連続的であると誤認する。
それは……思い出に対する暴力だ。
「怒っているわけじゃない。けどさ……やっぱり、一緒に旅をした友達だったからね」
切ない気分だった。
エニグマとミューズ、二人の旅路を私も知っているから……
無意識のうちに、私は隣のエニグマに手を伸ばす。
なんで自分でもそうしたのかわからない。
気が付けば胸元でエニグマの小さな体を抱きしめていた。
小動物のような毛並みは温かくて、胸の痛みが和らいでいくようだった。
「ミューズ……? いきなりどうしたのさ」
「エニグマが悲しそうだったから、かな」
言葉が自然と出てくる。
……私らしくないなあと思いつつ、そうせずにはいられない。
エニグマは苦笑した。
「変な顔だ。どうしてキミが驚いているんだ」
「抱きしめようとするなんて、なんだか私らしくなくて」
「自分でやっといて?」
「変な話だけど、そうするべきだと……そうしたいと思っちゃったんだよ」
「……」
じっと顔を見つめられる。妖精の見透かすような瞳に、私の戸惑った顔が反射していた。
「ねえミューズ、魂はどこに宿ると思う?」
藪から棒だけど、言わんとするところは理解できた。
「脳じゃない? 性格とか経験とか、色んなものを司る場所だし」
「キミは現実世界からミューズの身体に宿った。そのとき、脳は元のキミのものかい? それともミューズが持っていたものかい?」
「え~……」
考えたこともない。
難しいことを言われてもわかんないんですけど!
「キミがどのような理屈でこの世界に来たかはわからないけど、キミの脳がミューズの身体に入り込んだと考えるのは不自然だ。ミューズの脳にキミの人格・記憶が宿ったと仮定するほうが魔法学的に納得しやすい」
「そうなんだ」
ちょっと何言ってるかわからない。
魔法学て。解の公式で精いっぱいな私にはわかんないよ。
「加えて、記憶の半分は脳に保存されるけど、もう半分は肉体に宿る。ならば、今のキミはどのように定義すべきなんだろう。西洋哲学の文脈で考えると――」
「――タ~イム!」
両手でTの字を作りエニグマの話を制止する。
かわいらしく首をかしげているけど、話の中身がまったくかわいくない。
「つまり、一言でまとめると?」
「今のキミはミューズの人格が半分ほど混ざっているんじゃないかな」
「……なんで?」
「キミらしくない行動をとったんだろう? それは、この肉体に宿った人格の反映じゃないか」
う~む、言われてみればそんな気もする。
転生したからって、引きこもりがいきなり外に出られるわけじゃないし。
「……どうやらキミの欲望が強すぎて前面に出てるかもしれないけど」
「その呆れた目はやめて」
申し訳ないけど、私は私だからなあ。
「でも……そうだな。キミの半分は、ミューズなのかもしれない。単純な話だけどさ、キミにこうして抱かれているとそう思えてならないんだよ」
エニグマはふっと微笑んだ。
抱いた小さな体のこわばりが、僅かに緩んだ気がした。
「……いつか」
だから。私もつられて、素直な気持ちがこぼれ出てしまう。
「ホンモノのミューズちゃんに会えたら、元通りになれるかな」
「……さあね」
不思議な現象だから何もわからない。
ただ、あるべきところに返却したいなとは思った。
しばらく互いが互いのぬくもりを堪能する。
「キミの正体は黙っておいてあげるよ」
「ほんと⁉」
思いがけない展開に声が出る。
「ボクは魔法少女に協力するために生まれた精霊だからね。ボクの意思がどうであろうと、キミがニセモノであろうと、協力しなければならないと本能にプログラムされている」虚しさを隠せない声だった。
「そっか」
「キミの存在を受け入れたわけじゃない。ただ……」
エニグマはまだ迷っているようだった。
ふう、と胸の中で息をつく。
「いや……やっぱり、なんでもないや」
その時……
エニグマの口端に、ほんの少しだけ、笑みが浮かんだように見えた。
「ありがとうね、エニグマ」
礼を言うと、照れたように顔を私の胸にうずめた。
「勘違いするなよ。手伝うのはキミの中の半分のミューズに対してだ」
「わかってるよ」
頭をなでると、屈辱そうに声を漏らした。
なんだかその様子がかわいらしかった。




