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第10話 畑を荒らす者は許さない

第10話 畑を荒らす者は許さない


 その知らせが届いたのは、雨の降る午後だった。


 王宮の執務室。


 窓を叩く雨音が重苦しく響いている。


 アルベルト・フォン・ローゼンベルクは外交文書に目を通していた。


 北方連合国との協定締結後も仕事は山積みである。


 だが。


 執務室の扉が勢いよく開いた瞬間。


 すべてが変わった。


 

「閣下!」


 レオンだった。


 顔色が悪い。


 

「どうした」


 

「離宮が襲撃されています!」


 アルベルトは立ち上がった。


 

「何だと」


 

「グランツ伯爵家の残党です!」


 

「目的は」


 

「おそらくエルザ様を人質に」


 最後まで聞かなかった。


 椅子が倒れる。


 アルベルトは駆け出していた。


 

「馬を出せ!」


 

「閣下!」


 

「今すぐだ!」


 胸が痛かった。


 嫌な予感しかしない。


 冷静な判断が得意な男だった。


 どんな危機でも感情を排除できた。


 だが今は違う。


 頭の中に浮かぶのは一人だけ。


 畑で笑うエルザ。


 トマトを抱えるエルザ。


 鶏と話しているエルザ。


 

「無事でいろ……」


 初めて口にした祈りだった。


 馬は雨の中を駆ける。


 泥が跳ねる。


 黒い外套が濡れる。


 構わなかった。


 離宮へ。


 一秒でも早く。


 そして。


 到着した瞬間。


 アルベルトは絶句した。


 

「……何だこれは」


 畑の中を男たちが走っていた。


 十人ほど。


 剣を持っている。


 全員が泥だらけだった。


 そして。


 

「待ちなさーい!」


 エルザがいた。


 追いかけていた。


 暴漢たちを。


 スコップ片手に。


 

「このっ!」


 ガンッ!


 

「ぎゃああ!」


 一人が転んだ。


 

「トマトを踏みましたね!?」


 

「ひぃっ!」


 

「許しません!」


 ガンッ!


 

「痛い!」


 アルベルトは目を疑った。


 

「……」


 

「……」


 

「……」


 レオンも黙った。


 目の前の光景が理解できない。


 本来なら。


 エルザが追われているはずだった。


 だが現実は逆だった。


 暴漢たちが逃げている。


 エルザが追いかけている。


 

「畑から出ていけー!」


 ものすごく元気だった。


 

「閣下!」


 衛兵が駆け寄る。


 

「何があった」


 

「侵入者が現れまして」


 

「ああ」


 

「エルザ様が怒りまして」


 

「ああ」


 

「こうなりました」


 

「見れば分かる」


 雨が降っている。


 泥が跳ねる。


 キャベツの葉が揺れる。


 トマト畑の間を暴漢が走る。


 その後ろをエルザが追う。


 

「待てぇぇぇ!」


 

「化け物だ!」


 

「女じゃない!」


 

「農家だ!」


 失礼だった。


 しかし少し分かる。


 

「閣下!」


 エルザがこちらへ気付いた。


 

「来てくれたんですね!」


 

「ああ」


 

「ちょうど良かったです!」


 

「何がだ」


 

「そっち逃げました!」


 反射的に剣を抜く。


 

「止まれ」


 冷たい声。


 暴漢たちが震え上がる。


 

「ハゲタカ……」


 

「終わりだ」


 数分後。


 全員拘束された。


 雨も止み始めている。


 灰色だった空の向こうに夕陽が見えた。


 事件は終わった。


 ようやく。


 アルベルトはエルザを見る。


 

「怪我は」


 

「ありません!」


 

「本当にか」


 

「大丈夫です!」


 元気だった。


 服は泥だらけだったが。


 顔には擦り傷一つない。


 

「良かった」


 ぽつりと漏れる。


 エルザが不思議そうに首を傾げた。


 

「心配してくれたんですか?」


 

「当然だ」


 

「私は元気ですよ?」


 

「そういう問題じゃない」


 少しだけ声が強くなった。


 エルザが目を丸くする。


 

「もし怪我でもしたら」


 

「……」


 

「もし何かあったら」


 続きが出てこない。


 感情が邪魔をする。


 アルベルトは顔を背けた。


 

「閣下」


 

「何だ」


 

「ごめんなさい」


 

「謝るな」


 

「でも」


 

「無事ならそれでいい」


 それが本音だった。


 夕方。


 離宮の食堂。


 事件後の夕食が並んでいる。


 トマトスープ。


 焼きたてのパン。


 卵料理。


 ローストチキン。


 窓の外には夕焼けに染まる畑。


 少し踏み荒らされた場所もある。


 

「許せません」


 エルザが真顔で言った。


 

「何がだ」


 

「キャベツです」


 

「そこか」


 

「あとトマト」


 

「そうか」


 

「ジャガイモも」


 

「そうか」


 本当にそこだった。


 人質にされそうになった本人が。


 野菜の心配しかしていない。


 

「でも」


 エルザが少し笑う。


 

「閣下が来てくれて嬉しかったです」


 アルベルトは固まった。


 

「そうか」


 

「はい!」


 

「……」


 

「また来てくださいね」


 

「ああ」


 その笑顔を見た瞬間。


 アルベルトはようやく理解した。


 外交より難しい。


 政敵より厄介。


 王国の未来より気になる。


 それがエルザだった。


 雨上がりの夕空は美しかった。


 畑の土はしっとりと濡れている。


 キャベツも。


 トマトも。


 ジャガイモも。


 そして二人の関係も。


 少しずつ。


 確かに育っていた。


 ただ一つだけ問題があるとすれば。


 守るつもりで駆けつけたのに。


 実際に助けられたのは自分の方だったということだろう。


 ハゲタカ宰相は。


 今日もまた。


 農業オタク令嬢に勝てなかったのである。



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