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編み物と子守唄

「――チッ、論理が通らん! なぜだ、バイパス回路の応答速度が計算より3割も遅れている!」


 ボレアス星系の外縁にある古い居住コロニー。

 その心臓部である酸素供給センターで、ゼインはコンソールを叩き、苛立ちを露わにしていた。

 彼の指先は、コンソールの上で残像を残すほどの速さで踊っている。


 目の前で唸りを上げているのは、継ぎ接ぎだらけの巨大な機械――アトラス社製34年型大気循環装置。

 旧時代の遺物とも言えるその装置は、ゼインが繰り出す最新の修正プログラムをことごとく拒絶し、不気味な異音を撒き散らしていた。


「ゼインさん、酸素濃度が1割を切りました! このままではあと5分でドーム全体の生命維持が……!」


 通信機越しにミアの悲鳴に近い声が響く。


 ドーム内では酸素不足と死の恐怖に駆られた群衆が暴徒化し、供給センターの防壁を突き破ろうと押し寄せていた。


「わかっている! ……だが、このガラクタめ、最新のパッチをすべて弾きやがる。構造が原始的すぎて、論理的な最適化が通用しないんだ!」


 ゼインの額に脂汗が滲む。その時だった。

 防壁の向こう側、荒れ狂う怒号を割って、低く、重厚な声が響いた。


「どいてください! ロレッタさんを通します!」


 サマエルだ。

 彼はその巨体で逆上した暴徒たちを傷つけることなく「壁」となって押し留め、その背後で穏やかに歩む一人の老女を護衛していた。


「サマエル、ご苦労様。みんな怖いのよね、少しだけ我慢してあげて」


 ロレッタは編み物カゴを抱えたまま、パニックに陥る住民たちに「大丈夫よ、すぐにお茶でも飲めるようになりますからね」と微笑みかけた。


「ロレッタさん! 来ちゃダメだ、ここはもうじき爆発する!」


 ゼインが叫ぶが、ロレッタはどこ吹く風で「よっこいしょ」と古い木箱に腰を下ろした。

 彼女は愛おしそうに、唸りを上げる装置の錆びた横腹に耳を寄せる。


「あらあら、この子……ひどい喘息じゃない。アトラスの34型はここのバルブを少し甘やかしてあげないと、拗ねて動かなくなっちゃうのよ」


「甘やかす? 何を言っている、バルブの開閉は電子制御でロックされているはずだ!」


 ゼインの反論を、ロレッタは穏やかな手つきで遮った。


「だから、『わがまま』なのよ。この子は論理だけで無理やり動かされるのが嫌いなの」


 彼女は右腕の袖をまくり上げると、金属の光沢を放つ義手の接続端子を、剥き出しのメインフレームへ直接差し込んだ。


「ちょっと神経をつなぎ変えるわね。……サマエル。あなたにしか届かないずっと高いところに、黒ずんだ真鍮のバルブがあるでしょう?」


「はい、ロレッタさん。見えます」


「それをね、あなたが毎朝、お花にお水をあげるときの、あの『シュッ』ってする優しい力加減で、ゆっくりと回してちょうだい。電子制御がパニックを起こしているから、手動で『息継ぎ』をさせてあげるの」


 ゼインが目を見開く。


「馬鹿な! 電子弁がロックされている状態で無理に物理バルブを回せば、基板ごと焼き切れるぞ!」


「いいから……ほらサマエル、今よ」


 サマエルは頷き、巨大な手を高所のバルブへ添えた。

 彼が思い出すのは、あの絶望の夜にゼインが渡してくれた霧吹きの感触。


 極限まで制御された、何かを育むための優しい力。

 サマエルは「壊さない出力」で、固着した手動バルブを静かに、ミリ単位で回した。


 同時に、ロレッタの脳内には膨大なエラーログの嵐が吹き荒れた。

 だが、彼女の精神は入れたてのハーブティーのように澄み渡っている。

 どのノイズが悲鳴で、どの火花が助けを求めるサインか。彼女にはすべてが「音」として聞こえていた。


 サマエルの手動操作によって、ガチガチに固まっていた電子制御にわずかな「隙間」が生まれる。

 ロレッタはその瞬間を逃さず、義手を通じて自作のプログラム――子守唄のような、極めて「遊び」の多い緩やかなコードを流し込んだ。


「……いい子ね。もう苦しくないわよ」


 激しく振動していた装置が、深く安らかな吐息をつくように、重低音の唸りへと変化した。

 表示パネルの赤ランプが、次々と正常を示す青へと変わっていく。


「……再起動を確認。酸素濃度、上昇を開始。計算上はあり得ん……あんな滅茶苦茶なパッチコードとアナログ操作で、なぜ最適化されるんだ……」


 呆然と立ち尽くすゼインを余所に、ドームには数分ぶりに新鮮な空気が循環し始めた。


 この事件の後、ゼインはロレッタにだけは頭が上がらなくなった。

 自身の知識が及ばない「経験という名の重み」を突きつけられたからだ。


 ある日、カイルはロレッタが焼いたアップルパイの最後の一切れをつまみ食いし、地下工房の光景に目を細めた。

 そこには、このギルドが誇る「問題児」たちが顔を揃えていた。


 大きな体を丸め、針金のような細い編み棒を折らないよう慎重に動かすサマエル。


「……ロレッタさん、やはり力が入りすぎると、編み目が潰れてしまいます」


「いいのよサマエル、それはあなたの『強さ』の証なんだから」


 その横で、ゼインは信じられないほどの精密さで、寸分の狂いもない編み目を構築していた。


「フン、所詮は単純な繰り返しのアルゴリズムだ。……だが、この端の処理がどうにも論理的ではないな」


「ゼイン、そこは『遊び』が必要なの。完璧すぎると、着る人が疲れちゃうわよ」


 そして、糸を絡ませて半べそをかいているミア。


「うう、またほつれちゃいました……。私、やっぱり向いてないのかも」


 カイルは思う。

 ロレッタは単なるエンジニアではない。尖りすぎて互いを傷つけ合う部下たちの角を削り、一つの「家族」へと溶接する組織の接着剤なのだ。


 ミアがしょんぼりと手を止めると、ロレッタは編みかけのセーターと、自らの義手を交互に見つめ、穏やかに言った。


「いいのよ、みんな。機械も、人も、編み物も同じ。ほつれたら繋ぎ直せばいいし、古くなったら新しい糸を足せばいいの。そうすれば、ずっと温かいでしょう?」


 サマエルは掌で自分の編み目を愛おしそうになぞり、ゼインは黙って編み目の「遊び」を増やし、ミアは鼻をすすって再び針を動かし始めた。


 三人がそれぞれのやり方で納得し、笑い合う声を背中で聞きながら、カイルは事務所の階段を上った。


 「繋ぎ直す」のはロレッタの役目だが、その編み物が破れないように外敵から守るのが自分の役目だ。

 カイルは、使い古されたマグカップに残ったコーヒーを飲み干し、モニターに映る次の厄介な依頼へと視線を戻した。

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