アップルパイとハーブティー
ギルドに渦巻く荒々しい若き才能たちを、温かいお茶と恐ろしい改造技術で包み込むギルドの「母」。
続いてのエピソードは、技術部門の真の支配者、マダム・ロレッタのお話。
ギルドの地下工房には常に入れたてのハーブティーの香りと、金属を削る火花が混ざり合っている。
そこに鎮座するのが編み物をしながら多脚戦車のエンジンを調整する老女、ロレッタだ。
彼女はギルドの最年長。
一見すると、どこにでもいる穏やかなおばあちゃんだが、その正体は、数世代前の旧式宇宙船から最新の量子演算機までを「音」だけで診断してしまう、伝説級のエンジニアなのだ。
「――失礼するわよ、ロレッタ。例の多脚戦車の進捗はどう……って、ちょっと!?」
地下工房に足を踏み入れた副責任者のリンが、思わず絶叫に近い声を上げた。
作業机の上には、使い込まれた精密ドライバーやハンダごてと並んで、「人間の右腕」がゴロリと転がっていたからだ。
「あらリン、そんなに大きな声を出して。せっかくのハーブティーが冷めてしまうわよ」
声の主であるロレッタは、右肩から先が消失した状態で、事も無げに左手一本で編み針を動かしていた。
「自分の腕を道具みたいに机に置かないでちょうだい! 心臓に悪いわ……」
「いいじゃない。年を取ると関節が痛むでしょう? だから3年前、思い切って多機能型の義手に変えちゃったの。指先にハンダごてと、あとワインオープナーも内蔵してるのよ。便利だと思わない?」
ロレッタは穏やかに微笑みながら、左手で義手の肘関節を器用に調整し始めた。
彼女にとって、肉体と機械の境界線は、より良く生きるための道具という極めて軽やかなものだった。
そこへ、香ばしい匂いに誘われるようにカイルが階段を下りてきた。
「カイル坊や、いいところに来たわね。アップルパイが焼けたわよ」
「助かるよ、ロレッタ。上の事務所は書類の山で、脳が糖分を欲しがってたんだ」
カイルはリンの硬直ぶりを笑い飛ばしながら、焼き立てのパイを一片つまみ食いした。
「相変わらず最高の味だ。……それで、リン。例の戦車の診断はどうなった?」
「……それが、信じられないことに、ロレッタが『異音がする』って指差したベアリングを調べたら、計算上は正常だったのに、肉眼では見えないレベルの微細な亀裂が入っていたわ。最新の量子演算機でも見落とすようなエラーを、この人はお茶を飲みながら『音』だけで見抜いたのよ」
リンが溜息をつきながら椅子に座ると、ロレッタはメンテナンスを終えた右腕をカチリと肩に接続し、馴染ませるように指を動かした。
「機械だって生き物だもの。長く使い続けるには、少しばかりの優しさと、対話が必要なの。ほら、私が直した農作業ロボットも、今は持ち主の歩幅に合わせて歩いているそうよ」
そんな穏やかな時間が流れる地下工房に、緊急の通信が飛び込んできた。
ボレアス星系の外縁にある古い居住コロニーで、酸素供給装置が停止。
システムが古すぎて、ゼインの最新理論すら通用しないという事態だった。
「あぁ、あれね。あれはアトラス社の34年型。わがままな子なのよ」
ロレッタは立ち上がり、編み物カゴを抱えたままカイルを見た。
「カイル坊や、お茶の続きは帰ってからね。……サマエル、ちょっとお出かけに付き合ってくれるかしら?」
「はい、ロレッタさん。喜んで」
巨躯を揺らして現れたサマエルに護衛され、ギルドの「母」は、死にゆくコロニーへと向かった。




