珈琲と依頼書
ボレアスの冬は、いつも鉄の錆びた匂いと凍てつく風を運んでくる。
事務所の隅で、カイルは年季の入ったサイフォンを火にかけていた。
彼の朝は、最高に苦い一杯の珈琲を淹れ、デスクに積み上がった「厄介な依頼書」の山を眺めることから始まる。
カイルの過去を知る者はいない。
なぜ彼が、銀河連邦からも裏社会からも恐れられる怪物たちを、一つの「ギルド」として繋ぎ止めることができたのか。だが、メンバーの誰もそれを聞こうとはしなかった。
彼らにとって重要なのは、カイルが差し出す珈琲が温かいことと、彼がどんな時でも「家族の居場所」を守り抜く男だということだけだ。
「……さて、今日の仕事は」
カイルが依頼書を手に取ったその時、発着場から聞いたこともないような轟音と、陽気な笑い声が響いてきた。
「ただいま! カイルさん、みんな! 帰ったわよ!」
扉を蹴破る勢いで飛び込んできたのは、陽に焼けた肌を輝かせ、泥だらけのオーバーオールを着たセシリアだった。
その後ろには、山のようなコンテナを軽々と担いだ農耕執事団、そして「鮮度が落ちる前に着いたぜ」と煙草を燻らすルディの姿がある。
「おい、セシリア! 勝手に持ち場を離れるなと……」
カイルの小言は、キッチンから現れたロレッタの歓声にかき消された。
「まあ! セシリア、おかえりなさい! ちょうどアップルパイが焼き上がったところよ」
その声を合図に、地下からは「検体が戻ったか!」と叫ぶ医療チームが飛び出し、現場から戻ったばかりのガンスとアイリスが「掃除の邪魔よ!」「うるせえ、新婚旅行のやり直しだ!」と喧嘩をしながら合流する。
隅で数式を解いていたゼインは、呆れたようにヘッドホンを外した。
今夜、ボレアスの食卓には、ありったけの椅子が並べられた。
主役は、セシリアが命を削り、ルディが命を懸けて運んできた野菜たちのシチューだ。
副責任者のリンが、手際よく全員分のカトラリーを並べていく。
彼女はサマエルの大きな掌にそっとスプーンを握らせ、半べそをかいていたミアの頭を軽く撫でて席に座らせていた。
「いい、みんな。今日のシチューは特別よ。セシリアが育てて、ルディが運んで、私が作ったんだから」
ロレッタが鍋を中央に置く。
「……内圧正常、温度分布均一。食中毒の確率は0.001%以下だ。……食べるぞ」
不眠症の内海が呟き、魔女がハイテンションでスプーンを回し、ヴィクターが「肉の繊維が美しい」とナイフを構える。
「カイル! 今回のジャガイモ、土壌配合を3%変えたの。食べてみて!」
セシリアに急かされ、カイルはシチューを口に運ぶ。
ホクホクとした土の恵みと、バターの香りが広がる。
ガンスたちのまとう火薬の匂いや、医療班の冷えた空気さえ、この食卓を囲む賑やかなスパイスに思えた。
それらが混ざり合い、この銀河で、最も騒がしい「家族の味」がした。
「ああ。……最高だ」
カイルは短く答えると、湯気の向こうで騒ぐメンバーたちを眺めた。
隣ではリンが、ガンスとアイリスの喧嘩を「職務中の痴話喧嘩は減給よ」の一言で鎮めている。
デスクの上には、まだ未解決の依頼書が山積みになっている。警察からの呼び出し状も、裏社会からの脅迫状も、明日の朝にはまた彼を悩ませるだろう。
だが、今はいい。
珈琲の香りと、アップルパイの匂い。そして、愛すべき「問題児」たちの笑い声。
それさえあれば、この胃痛の絶えないリーダーは、明日もまたこの場所で、最高に厄介な依頼書にサインをすることができる。
アステリズム・ワークスの夜は、爆発的な笑い声とともに更けていった。




