鼓動と契約
「……つまらん」
銀河一の執刀数を誇る外科医、ヴィクターは、ただ一言そう吐き捨ててメスを置いた。
場所は、ハミルトン財閥が所有する最高級療養カプセルの前。
そこには、まだあどけなさの残る少女、セシリアが横たわっていた。
だが、その顔色は蝋人形のように白く、胸の起伏は今にも止まりそうに頼りない。
「おい、待ってくれ! 金ならいくらでも積む! 最適なドナーも見つけてあるんだ! なぜ執刀しない!?」
ハミルトン家の当主が、プライドをかなぐり捨ててヴィクターの白衣に縋り付く。
だが、その横でバイタルデータを読み取っていた内科医、内海が、氷点下の声で事実を告げた。
「……無駄だ。彼女の左室駆出率は15%を切っている。心筋の繊維化は末期、多臓器不全の連鎖も始まっている。麻酔をかけた瞬間に心停止だ。ドナーがいても、今の彼女には『移植される心臓』を受け入れるだけの土台がない」
「切れば治る」と豪語するヴィクターですら、切る前に崩れ落ちる砂の城には手を出さない。
余命は数年。有効な治療法はなく、ただ緩やかな死を待つのみ。
二人の怪物は「興味がない」とばかりに背を向け、絶望する父親を残して部屋を去った。
その後、ハミルトン家は藁にもすがる思いで、銀河最高の学術機関「魔女の末裔」に天文学的な投資を行った。
だが、数年後に届いたのは「希望」ではなく、一人の女子学生による「告発」だった。
ニュースモニターには、学術機関のデータ改竄と、治験の中止を訴えて自ら劇薬を打った少女の映像が流れている。
「ほら見ろ。数世紀かけても創れなかったジジイどもが、金だけで『命』を買えると思ったか!」
「全く。医学への冒涜だ」
内海とヴィクターは、ゴシップ記事を見るような目でそれを嘲笑っていた。
セシリアの命運は尽きた。誰もがそう思った。
だが、運命は「一人の魔女」の執念によって覆される。
ある日、ハミルトン当主の元に、メリッサの同級生である経済学部の学生が訪れた。
彼女は震える手で、しかし確かな眼差しで、一枚の企画書と、メリッサという天才がたった一人で進めている「真の研究データ」を提示した。
「……『魔女の末裔』は腐っています。ですが、私の友人メリッサは本物です。彼女は今、自らの命を削って、お嬢様を救うための『毒』を『薬』に変えようとしています。……投資してください。組織ではなく、彼女の『知性』と『覚悟』に!」
ハミルトン当主は賭けた。
そして3年後、その賭けは銀河の常識を覆すことになる。
アステリズム・ワークスの地下医療室。
扉を開けて入ってきたのは、車椅子ではなく、自分の足で立つセシリアと、やつれた顔のメリッサ、そしてハミルトン当主だった。
「……正気か? あの娘、歩いているぞ」
内海が驚愕し、即座に右目のデバイスを走らせる。ヴィクターも身を乗り出した。
メリッサは、完成したばかりの琥珀色の液体が入ったアンプルをテーブルに置いた。
「炎症スイッチを完全オフ。心筋の繊維化を阻害し、硬化した組織を分解して柔軟性を回復させました。投与は経口ではなく、カテーテルによる心臓への直接注入……。その結果、左室駆出率は15%から35%まで改善。栄養失調も多臓器不全も、手術に耐えうるレベルまで底上げしてあります」
それは、もはや魔法に近い「科学」だった。
完治はしない。だが、手術台に上がるための「切符」は手に入れたのだ。
「……ハッ、あははは! 最高だ! おい内海、見ろ! 砂の城が石の要塞に変わっている! これなら切れる、これなら繋げるぞ!」
ヴィクターが狂喜し、内海が「……計算上、成功率は99.8%に跳ね上がった」と呟く。
手術の前、ハミルトン当主はメリッサに向き直った。
「感謝してもしきれん。……この特許、我がハミルトン家が買い取ろう。希望額を言え。星一つ分か? それとも小国の国家予算並みか?」
だが、メリッサの答えは拍子抜けするほどシンプルだった。
「……親友の手術費と、彼女が社会復帰するまでの生活費。それだけでいいわ」
その無欲さに、ハミルトン当主は一瞬呆気にとられ、次いで顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。
「馬鹿を言うな! 銀河有数の財閥である我らが、愛娘の命をそんな『はした金』で買ったとあっては、末代までの恥だ!」
当主は震える手で小切手にゼロを書き足し、さらに宣言した。
「金だけではない! この薬の製造ラインは我がグループが総力を挙げて整備する! 銀河の首都から、最果ての開拓地の貧民街に至るまで……誰もが気軽に手に取れる値段で流通させることを約束しよう! それが、君の『知性』に対する、我々なりの敬意だ!」
こうして契約は成立した。
メリッサが土台を作り、ヴィクターが切り、内海が繋ぐ。
三人の天才が揃わなければ成し得なかった奇跡の手術は成功し、セシリアの胸には新たな鼓動が刻まれた。
そして現在。未開拓惑星『デメテル・プライム』。
「っりゃあああ!!」
セシリアは、大樹をも両断する重斧を振るい、鍬で荒れ狂う大地を耕していた。
かつての死に体の令嬢の面影はない。その全身からは、移植された心臓が送り出す爆発的なエネルギーが湯気となって立ち上っている。
ズズズ……と地響きが鳴り、畑の向こうの岩山が割れた。
現れたのは、岩石のような皮膚を持つ地底種族だ。
彼らは普段、地下深くに潜み、滅多に地上へは出てこない。だが、セシリアたちの農具が奏でる、大地を慈しむようなリズムに引かれて顔を出したのだ。
「お嬢様! また彼らが来ました!」
「翻訳機を用意して! それと、採れたてのトマトもね!」
執事長が翻訳機を構える中、セシリアは真っ赤に熟れたトマトを、警戒する地底人のリーダーに放り投げた。
岩石を主食とする彼らは、恐る恐るそれを口にし――動きを止めた。
《……ウマイ。……アカイ……ホウセキ……》
翻訳機が、彼らの驚きと感動を伝える。
彼らにとって、柔らかく、水分と甘みに満ちたトマトは、未知の鉱石よりも価値ある衝撃だったのだ。
それ以来、奇妙な交流が始まった。
セシリアが野菜を提供し、地底人たちはそのお礼として、地下の過酷な高圧環境でしか生成されない鉱物を運んでくるようになった。
ある日、地底人の長老が、恭しく一本の「糸」を差し出した。
《……トモヨ。コレ……オレタチノ……サイコウノ……タカラ……》
それは、細く儚げに見えるが、光を当てると虹色に輝く結晶の束だった。
「これは……『光子ナノワイヤー』!? 銀河連邦の研究所ですら、理論上しか存在しなかった物質ですぞ!」
執事長が驚愕の声を上げる。
超高圧の地底で数千年かけて生成されるその繊維は、恒星の重力干渉すら受け流し、物理的な切断はほぼ不可能とされる幻の素材だった。
「へえ、綺麗ね! 丈夫なら、トラクターの牽引ロープにちょうどいいかも!」
セシリアは無邪気に笑ってそれを受け取った。
彼女はまだ知らない。この「赤い宝石」のお礼として渡された一本のワイヤーが、やがて運び屋ルディの手に渡り、300人の命と巨大な巡航艦を繋ぎ止める「銀河最強の鎖」になることを。
「さあ、みんな! 今日も耕すわよ! 私の心臓が、もっと熱くなりたいって叫んでるんだから!」
デメテル・プライムの赤い大地に、セシリアの豪快な笑い声と、ツルハシの音が響き渡る。
その力強い鼓動は、「魔女」がもたらした、最高の輝きを放っていた。




