第1章:目覚めと最初の救出
深い森の静寂の中、一人の少年が錆びた剣を振るっていた。最初はスライム一匹にすら打ち負かされ、泥を舐める日々。しかし、彼は倒れるたびに敵の動きを覚え、筋繊維を鍛え上げ、敗北を糧に立ち上がった。剣筋は次第に鋭くなり、接敵の恐怖を経験値へと変えていく。
剣の限界を感じたある夜、彼は心の底から叫んだ。「魔法が使いたい」。その渇望がトリガーとなり、体内に眠る熱い奔流――魔力を感知する。最初は指先に集めることすら困難だったが、やがてそれは形を成し、一筋の「魔力弾」として放たれた。魔力操作を覚えた彼の進化は加速する。
魔力を剣に纏わせれば鋼鉄を断ち、体に纏わせれば獣の如き速さを得た。死線を超える大怪我を負った際、彼は自らの魔力を傷口へ流し込み、細胞を強制的に繋ぎ合わせる自己再生術を掴み取る。
そして、極限の戦いの中で彼の魔力は純白に染まった。「光魔法」への覚醒である。溢れ出した聖なる輝きは、闇を払うと同時に傷を癒やす「ヒール」へと昇華した。かつての弱き少年は今、自他を救う光をその手に宿し、森の深淵へと堂々と歩みを進める。
陽光すら届かぬ森の深淵で、18歳のレオンは鮮血に染まった魔法使いの美女、セレスを救い出した。死の淵から引き戻された21歳のセレスは、命の恩人に対し「助けてくれたお礼に、私が魔法を教えてあげる」と、高位魔法使いとしての矜持から傲慢に言い放つ。しかし、その自尊心は直後に粉々に打ち砕かれることとなった。
レオンが放った魔法には、彼女が知る「常識」が一切存在しなかった。詠唱も介さず、媒介となる杖すら持たず、ただ一瞥するだけで大気を震わせる魔力弾を放ってみせたのだ。さらに驚くべきは、底が見えないほど膨大な、ほぼ無限とも思えるその魔力量。スライムのように柔らかな胸を震わせ、セレスは戦慄した。
「嘘……詠唱もなしに、これほどまでの密度を維持するなんて……」
自身の魔法理論が塵に等しいと悟ったセレスは、即座にその場に膝を突き、深々と頭を垂れた。「レオン様、私の無礼をお許しください。どうか……私にその真理を教えてください。この命、今日この時からあなたに捧げます」
普通の女子のような口調で、しかし瞳に真剣な忠誠の炎を宿して誓うセレス。弱き少年から脱したレオンの手には、今や最強の魔法と、命を賭して付き従う最初の「部下」が握られていた。
静寂に包まれていた森は、突如として百を数えるゴブリンの群れに飲み込まれた。18歳のレオンは、覚醒させた光魔法と魔力を纏わせた剣を振るい、血飛沫の中で孤独な死闘を演じる。数に物を言わせて襲いかかる醜悪な群れを、彼は無限に近い魔力で強引に殲滅していった。
しかし、最後の一体を切り捨てた瞬間、森の奥から立ち昇る圧倒的な熱量に肌が焼かれた。現れたのは、巨躯を誇る上位種「ゴブリンキング」だ。王は不敵に笑うと、詠唱もなしに巨大な火球を放ち、周囲の巨木を一瞬で灰に変えた。その一撃はレオンの魔力障壁を容易に貫通し、暴力的なまでのフィジカルから繰り出される一撃が、彼の剣を大きく弾き飛ばした。
「くっ、これほどまでの化け物が……!」
魔力弾を叩き込んでも、キングの膨大なHPを削り切るには至らない。傷を癒やす再生能力すら追いつかない猛攻に、レオンは初めて死の恐怖と、己の未熟さを痛感した。今のままでは勝てない。歯を食いしばり、拳が血に染まるほど強く握りしめた。溢れ出る悔し涙を振り切り、彼は背を向けて泥まみれになりながら森の闇へと逃げ延びる。
敗北の味は、毒のように少年の心を蝕み、そして同時に、さらなる高みへと昇るための強烈な糧となった。
敗北の味は、喉の奥にこびりつく鉄の匂いのように苦かった。安全な場所まで逃げ延びたレオンの胸中では、圧倒的なフィジカルの差、そして次元の違う魔法技術への悔しさが、どす黒い炎となって渦巻いていた。「必ず、あいつを屠る」――その誓いは、折れかけた剣よりも鋭く彼の心に刻まれる。
傍らで介抱するセレスに、レオンは奴を殺す方法を問いかけた。しかし、宮廷魔法使いとしての知識を持つ彼女は、絶望に顔を青ざめさせて震えていた。
「レオン様、あの敵に挑むのは自殺行為です……。理が違いすぎます。あれは一個の軍隊が相手をするべき天災なのです」
セレスの悲痛な制止を、レオンは冷徹に聞き流した。「奴より俺が弱いだと? そんなこと、認めるわけにはいかない」
彼の瞳に宿るのは、理不尽な現実への拒絶と、己への絶対的な自負だった。
レオンは深く、深く思考の海に沈んでいく。奴の皮膚を貫くための魔力の収束、炎を無効化する属性の反転、あるいはその巨躯を内側から崩壊させる新たな術式。これまでの経験値、膨大な魔力、そして光魔法の可能性――すべてを組み合わせ、勝利の方程式を組み立てる。
弱き少年だった頃、負けるたびに強くなってきた自分を信じ、レオンは死神の如き集中力で、王を殺すための「牙」を研ぎ始めた。
レオンは右手にすべての魔力を集中させた。内側から爆発せんばかりの熱量が、掌を白熱させる。ゴブリンは闇に属する邪人だ。ならば、癒やしの力である「ヒール」の正負を反転させ、浄化の奔流として叩き込めばどうなるか? 彼の渇望に応えるように、魔力はさらに純度を高め、目も眩むような神聖な輝きを放ち始めた。
その瞬間、新たな力が覚醒する。放たれたのは、邪悪のみを穿ち消滅させる聖なる弾丸「ホーリーバレット」。そして癒やしと破壊を同時に内包する「ヒールバレット」、不浄を根源から浄化する「ピュリフィケーションバレット」。それらは単なる攻撃魔法ではなく、世界の理を書き換える「光」の権能だった。
傍らで見守っていたセレスの身にも異変が起きた。高位魔法使いでありながら光属性を扱えなかった彼女だが、レオンから溢れ出す圧倒的な魔力密度に干渉され、その魂に眠る魔力の回路が強制的に再編されたのだ。
「あ、ああ……嘘、身体が熱い……」
彼女の口から、無意識に聖なる術式が零れ落ちる。魔法使いにとっての絶対条件である詠唱を介さず、ただ念じるだけで純白の光が発現した。
レオンの進化は、自身のみならず付き従う者の限界さえも突き破っていく。最強の弾丸を装填したレオンの瞳は、もはやゴブリンキングという「天災」を、屠るべき単なる標的として捉えていた。
「レオン、私も連れて行って! 足手まといにはならないわ」
背後から響くセレスの叫びには、かつての傲慢な魔法使いの面影はなかった。あるのは、自分を救い、そして世界の理さえも塗り替えようとするレオンへの、狂信に近い覚悟だ。彼女の瞳には、レオンの魔力に干渉されて覚醒した「光」の残光が宿り、震える拳は自らの運命を彼に預ける決意を物語っていた。
レオンは、その叫びに対して一言も返さなかった。拒絶も肯定もせず、ただ静かに、そして鋭く研ぎ澄まされた視線を森の深淵へと向けている。彼の沈黙は冷酷さゆえではない。百の群れを屠り、王に敗北を喫した屈辱を、ただ一刻も早く血と光で洗い流そうとする、純粋な殺意の現れだった。
一歩、森の奥へと踏み出す。レオンの周囲では、溢れ出す膨大な魔力が陽炎のように揺らめき、触れる草木を聖なる光で白く染め上げていく。セレスはその背中に吸い寄せられるように、無詠唱で発動させた光の障壁を纏いながら必死に追った。
目指すは、あの忌まわしきゴブリンキングの首。レオンの心にあるのは、もはや逃走の二文字ではない。覚醒した「ホーリーバレット」をその右手に宿し、森を埋め尽くす邪悪な命を根こそぎ殲滅するという、静かなる狂気のみだった。王の傲慢を光の弾丸で貫く瞬間が、刻一刻と近づいていた。
再び森の深淵へ足を踏み入れたレオンの前には、絶望的な光景が広がっていた。キング以外は殲滅したはずのゴブリンが、地を埋め尽くすほどの叫びを上げ、再び100体を超える群れとなって襲い掛かってきたのだ。森の闇から次々と這い出る醜悪な影。しかし、今のレオンの瞳に迷いはない。
「レオン、先に行って! ここは私が何とかするわ!」
鋭い叫びとともに前に出たのはセレスだった。かつての高慢な態度は消え、その顔には戦士としての覚悟が刻まれている。彼女はレオンに救われた命を、今度は彼の道を作るために捧げようとしていた。
セレスが掌をかざすと、詠唱も杖も介さず、純白の「ホーリーバレット」が次々と生成される。レオンの膨大な魔力に干渉され、強制的に引き上げられた彼女の魔法は、もはや過去のそれとは別次元の威力を秘めていた。放たれた聖なる弾丸は空を裂き、接触したゴブリンを爆鳴とともに光の粒子へと変えていく。不浄な命が、慈悲なき光の中に次々と溶け、消滅していった。
背後を信じ、レオンは足を止めない。セレスが作り出した光の道。その先で不敵に笑うゴブリンキングを見据え、彼は右手にさらなる熱量を込める。屈辱を晴らすための戦いは、今、最終局面へと突入した。
ゴブリンキングは、かつてレオンを敗走させた時と同じく、不遜な笑みを浮かべて立ち塞がった。その巨躯から放たれる圧倒的な威圧感と、周囲を焦がす火魔法の熱気。しかし、対峙するレオンの瞳に、もはや怯えの色はない。
レオンは静かに右手を突き出した。その指先には、森の闇を白日の下に晒すほどの、高密度に圧縮された聖なる魔力が収束していく。かつては届かなかった「王」の命運を、今、その手の中にある光が完全に捉えていた。
「ホーリーバレット」
短く放たれたその言葉とともに、閃光が爆ぜた。
放たれた光の弾丸は、ゴブリンキングが咄嗟に展開した炎の障壁を紙細工のように容易く貫通し、その心臓部へと突き刺さる。次の瞬間、王の巨体は内側から溢れ出す純白の輝きに飲み込まれた。絶叫を上げる暇すら与えず、絶対的な浄化の力が邪悪な肉体を根源から分解し、光の粒子へと変えていく。
数多の命を奪い、森を支配していた王の姿は、跡形もなく消滅した。
セレスが死守した背後でも、残党のゴブリンたちが光の中に消えていく。あれほど絶望的だった100を超える群れも、その頂点に君臨した王も、覚醒したレオンの力の前では塵に等しかった。
静寂が戻った森の中で、レオンは拳を固く握りしめる。敗北の悔しさを糧に、死線を越えて掴み取った勝利。立ち尽くすセレスの目には、神々しいまでの光を背負った、新たなる王の如きレオンの背中が焼き付いていた。
戦いの余波で白く煙る森の中、レオンは静かにセレスへと歩み寄った。かつての敗北に打ちひしがれていた少年の姿はそこになく、王を討った者の風格を纏いながらも、その瞳には仲間への温かな光が宿っていた。
「セレス、ありがとう。助かったよ」
レオンが口にしたのは、飾り気のない素直な謝辞だった。セレスの覚悟がなければ、これほど鮮やかに勝利を収めることはできなかった。その言葉とともに向けられた穏やかな微笑みは、極限の緊張状態にあったセレスの心を激しく揺さぶった。
「え……あ、ううん! 私こそ、レオン様に導いてもらったから……」
セレスの胸の鼓動は、戦闘の興奮とは全く別の熱を持って跳ね上がった。無詠唱という奇跡を分かち合い、魂の根源である魔力を交差させたあの日から、彼女の中で何かが決定的に変わっていた。圧倒的な強さと、時折見せる年相応の優しさ。自分を対等な戦友として認めてくれたその一言が、彼女の忠誠心を甘い熱情へと変えていく。
頬を朱に染め、俯きながらもレオンの顔を盗み見るセレス。それは、後に最強の軍勢を支えることとなる「恋する乙女第1号」が誕生した、歴史的な瞬間だった。レオン自身はまだ気づいていない。自らが救った光が、一人の女性の心に一生消えない恋の火を灯したことに。
ゴブリンキングを討ち果たし、静寂を取り戻した森で、レオンとセレスは新たな血の匂いを嗅ぎつけた。その生々しい匂いを辿っていくと、開けた場所に横転した一台の豪華な馬車と、横たわる複数の人影が見えた。オークの群れが、まだ温かい獲物の上で暴虐の限りを尽くしている。
馬車の周囲には、冒険者らしき数名の死体と、恐怖に歪んだ表情の商人たちが五人ほど事切れていた。彼らの無念を晴らすかのように、レオンの右手に聖なる光が収束する。オークは邪悪な存在。ゴブリンと同様、光の魔法で殲滅できると彼は確信していた。
「ホーリーバレット」
トリガーワードとともに放たれた光の弾丸は、暴れるオークの巨体を次々と貫いた。五体ほどいたオークたちは、自らの身体が内側から膨張するような光に包まれ、悲鳴を上げる間もなく粒子となって森の空気に溶けていく。レオンの放つ光の力は、ゴブリンキング相手に覚醒した時よりも、さらに精緻で強力になっていた。
瞬く間にオークの群れは消滅し、血塗られた現場に再び静寂が訪れる。しかし、レオンの心には達成感よりも、またしても救えなかった命への無念さが残っていた。そしてその直後、馬車の残骸から、か細い呻き声が聞こえてきたのだった。
馬車の残骸が積み重なる凄惨な光景の中、レオンとセレスは瓦礫の隙間で絶望的な呻き声を上げる生存者を見つけ出した。そこにいたのは、腹部を深く抉られ、死の淵を彷徨う女商人ヴァレリアだった。ロケット型の豊かな肢体は鮮血に汚れ、その瞳からは光が失われかけている。
助からない――普通の者ならそう判断する致命傷だった。しかし、今の二人にとって、それはもはや絶対的な「死」ではなかった。
セレスは無言で右手を突き出した。かつて必要とした冗長な詠唱も、触媒となる杖も今の彼女には必要ない。ただレオンから分け与えられた「理」をなぞるように、掌に純白のエネルギーを凝縮させていく。
――シュッ、と空気を切り裂く音。
セレスが放ったのは、治癒の奔流を弾丸へと昇華させた「ヒールバレット」だった。言葉を介さず放たれた聖なる光弾は、ヴァレリアの胸元へ吸い込まれるように着弾し、その体内に直接溶け込んでいく。
光が弾けるたびに、ズタズタに引き裂かれた肉が驚異的な速度で編み直され、溢れ出していた鮮血が瞬時に止まった。蒼白だったヴァレリアの肌にみるみる生気が戻り、止まりかけていた命の鼓動が力強く打ち鳴らされる。
レオンは、その奇跡のような光景をただ黙って見守っていた。セレスもまた、言葉を交わすことなく、自らの内に宿る新たな力を確信するように、回復していくヴァレリアを静かに見つめていた。
ヴァレリアは、ゆっくりと重い瞼を持ち上げた。朦朧とする意識の中で、彼女は反射的に自らの体に手を這わせる。引き裂かれたはずの腹部、溢れ出していたはずの熱い鮮血。しかし、手のひらに触れたのは、傷一つなく滑らかな肌の感触だった。
「オークどもに腹を刺されたんだ……何で、生きてる……?」
信じられないという表情で身を起こしたヴァレリアの視界に、返り血を浴びながらも毅然と立つ少年と、その隣に寄り添う美女の姿が映り込んだ。商人の鋭い勘が、目の前の二人がただ者ではないことを瞬時に察知する。特に、少年の身に纏う静かだが圧倒的な魔力の気配は、これまで見てきたどの高位冒険者をも凌駕していた。
「アンタらが助けてくれたの?……私はヴァレリア。この商隊の責任者だわ」
ロケット型の豊かな胸を上下させ、荒い息をつきながら彼女は名乗った。その問いに、レオンは表情を変えることなく、短く答えた。
「間に合ったな。ぎりぎりだった」
隣で頷くセレスも、言葉少なだがその瞳には確かな自信が宿っている。自らの「ヒールバレット」が死の運命を捻じ曲げたのだ。ヴァレリアは、周囲に転がるオークの死骸と、跡形もなく消滅した魔物の痕跡を交互に見た。商売人としての本能が、この少年--レオンこそが、今後自分の人生において最大の「利益」と「希望」をもたらす存在になると確信し、激しく脈打っていた。
静寂を取り戻したはずの森に、鼓膜を突き破るような不快な絶叫が轟いた。
「ブヒイイイイイッ!」
その耳をつんざくような大声は、仲間の死に激昂したオークたちの咆哮だった。一帯の空気が震え、周囲の樹々がざわめき立つ。先ほどレオンが仕留めたのは、あくまで先遣隊に過ぎなかったのだ。森の奥から、土煙を上げながらさらに巨大な数体のオークが姿を現す。その手には、血に汚れた巨大な棍棒や、犠牲となった冒険者から奪ったと思わしき無骨な斧が握られていた。
「まだいたの……!」
セレスが咄嗟に身構え、掌に魔力を凝縮させる。ヴァレリアはまだ回復したばかりの体を引きずり、恐怖に目を見開いた。戻ってきたオークたちは、同胞の死骸が光の粒子となって消えた現場を認めると、その濁った瞳を憎悪に燃やし、一斉にレオンたちへと狙いを定めた。
地面を揺らす地響きとともに、猛然と突進してくる豚面の大男たち。しかし、レオンは眉一つ動かさない。彼は静かに右手を突き出し、襲い来る死の嵐を迎え撃つ準備を整える。その指先には、すでに闇を裂く聖なる光が、冷徹なまでの殺意を伴って装填されていた。
五体のオークは、同胞の死を察知した憎悪に顔を歪ませ、丸太のような太い脚で地響きを立てて突進してきた。その巨躯から放たれる凄まじい圧力と、鼻を突く獣臭。並の冒険者なら足がすくむような光景だが、レオンは微動だにせず、ただ静かに右手を正面へと突き出した。
「ホーリーバレット」
無機質な響きとともに、レオンの指先から純白の閃光が連続して放たれた。それは弓矢よりも速く、雷鳴よりも鋭く空気を引き裂く。
先頭を走っていたオークの眉間に光の弾丸が吸い込まれた瞬間、肉体が内側から白熱し、悲鳴を上げる暇もなく光の粒子へと分解される。続く二体目、三体目も同様だった。突進の勢いを削ぐことすらさせず、レオンの放つ聖なる弾丸は次々とその巨躯を貫き、不浄な存在を根源から浄化していく。
最後の一体が棍棒を振り上げたときには、すでに勝負は決していた。至近距離から放たれた決定的な一撃が胸元で炸裂し、オークの巨体は光の奔流に飲み込まれ、霧散した。
あとに残されたのは、焼けた空気の匂いと、静まり返った森の静寂だけだ。わずか数秒。突進してきた脅威は、レオンの圧倒的な「光」の前に、塵一つ残さずこの世から消し去られた。そのあまりに無慈悲で完璧な幕引きに、背後で見守っていたヴァレリアは、ただただ言葉を失い立ち尽くしていた。
「おいアンタ、動けるか? ここは危険だ。すぐに移動しよう」
レオンの声はどこまでも冷静だった。今しがた五体のオークを光の塵に変えたばかりだというのに、その表情には高揚も疲労もない。ただ、次なる脅威を警戒する戦士の鋭い眼光が、ざわめく森の奥を射抜いていた。
オークの断末魔と、レオンが放った「ホーリーバレット」の凄まじい閃光。それらは間違いなく、さらに遠くにいる魔物たちを呼び寄せる合図になる。血の匂いに誘われた獣たちが、この場所に群がるのは時間の問題だった。
ヴァレリアは、まだ信じられないといった様子で自分の腹部をさすりながら、力強く頷いた。セレスの「ヒールバレット」によって、致命傷だったはずの傷は完全に塞がっている。
「ええ、大丈夫よ。この通り、まるで魔法みたいに……いえ、魔法なのよね。不思議なくらい体が軽いわ」
彼女はロケット型の胸を弾ませて立ち上がると、無残に破壊された馬車を一瞥した。商売道具も仲間も失った喪失感は計り知れないが、今は生き延びることが最優先だ。レオンはセレスに周囲の警戒を任せ、ヴァレリアの足取りを確かめるように先を急がせる。
「いいか、音を立てるな。俺の足跡だけを追ってこい」
少年の背中は、出会ったばかりのヴァレリアにとって、この絶望的な森で唯一の、そして絶対的な道標に見えた。一行は血臭の漂う惨劇の場を捨て、深い木立ちの向こうへと姿を消した。
静寂を取り戻しかけた森が、再び地を揺らす不穏な振動に支配された。メキメキと、強固な巨木がまるで細い枝のようにへし折られる音が近づいてくる。
「何かが来る……今までとは、圧力が違いすぎるわ!」
セレスが顔を強張らせ、レオンの背後に身を寄せた。現れたのは、これまでの2メートル級の個体とは比較にならない、3メートルを優に超える巨体を誇るオークの上位種だった。皮膚は岩石のように硬質化し、赤黒い筋肉がはち切れんばかりに膨らんでいる。その双眸には知性と呼べるほどに冷徹な殺意が宿り、手にした大斧は人一人が容易に両断されるほどの威容を誇っていた。
森の王者が放つ圧倒的な威圧感。空気が重く澱み、回復したばかりのヴァレリアもその迫力に息を呑む。上位種のオークは、一歩踏み出すたびに大地に深い足跡を刻み、邪魔な木々を文字通り粉砕しながら、レオンたちを逃がさぬと言わんばかりに距離を詰めてくる。
「ふん……。ただのデカブツじゃないな」
レオンは低く呟き、右手をゆっくりと構え直した。今までの「ホーリーバレット」では一撃で仕留められないかもしれない。レオンの指先に、これまでの敗北と勝利を詰め込んだ、さらに高密度の魔力が渦巻き始める。上位種との正面衝突を前に、少年の瞳には逃走の文字はなく、獲物を屠るための鋭い光が宿っていた。
眼前に立ち塞がるのは、オークの頂点に君臨する「オークキング」。その圧倒的な質量と威圧感に、森の空気が凍りつく。レオンは冷静に魔力を収束させ、貫通力を極限まで高めた針のように細い「ホーリーバレット」を放った。狙いは正確無比、キングの眉間を真っ向から射抜いた。
しかし、確かな着弾の衝撃があったにもかかわらず、巨体は揺らぎもしない。それどころか、オークキングは鼻を鳴らし、何事もなかったかのように突進の速度を上げた。
「……効いていないのか?」
レオンは即座に指先を向け、今度は三発の連射を叩き込む。放たれた聖なる弾丸は王の胸部と肩に直撃し、白熱する爆光を上げたが、岩石のような皮膚を焦がす程度に留まった。桁外れのフィジカルと、魔力そのものを弾き返すような強靭な肉体。これまでの個体とは、存在の格が違いすぎる。
オークキングは、目の前を遮る巨大な大木を、紙細工のように軽々とへし折りながら接近してくる。バキバキと森を破壊する轟音が、死のカウントダウンのように響き渡った。一歩ごとに地響きが伝わり、ヴァレリアとセレスの顔から血の気が引いていく。
「ホーリーバレット」すら通じぬ肉の壁。レオンは、かつてゴブリンキングに敗北した時の苦い記憶を一瞬だけ脳裏に霞めた。だが、今の彼はあの時とは違う。右手に宿る魔力の光をより鋭く、より深く練り直し、王の命を内側から崩壊させる次の一手を見定めようと、静かに目を細めた。
レオンは冷静に状況を分析し、右手に宿る魔力をさらに高密度へと圧縮した。狙うは眉間ではなく、巨体を支える起点。彼は貫通力を一点に集中させた極細の「ホーリーバレット」を、オークキングの右太ももに向けて解き放った。
空気を切り裂く鋭い閃光が、岩石のような筋肉を容易く撃ち抜き、その背後まで貫通した。凄まじい肉の爆ぜる音とともに、支えを失った3メートル超の巨体が地響きを立てて転倒する。今が好機――そう確信した瞬間、レオンたちの目の前で信じがたい光景が広がった。
「ブヒィィィィン!」
オークキングが不快な咆哮を上げると、その巨体を毒々しい魔力の光が包み込む。それは紛れもない回復魔法だった。貫通したはずの傷口が、見る間に肉を盛り上げ、一瞬で完治していく。王は何事もなかったかのように立ち上がり、再びその圧倒的な怪力で周囲の木々をなぎ倒し始めた。
「嘘……あんな深手を一瞬で直すなんて……」
強靭なフィジカルと理不尽なまでの怪力、そして致命傷すら無効化する回復能力。セレスの顔から血の気が引き、その表情に絶望が張り付く。最強と思われたレオンの光魔法すら通用しないのかという疑念が、彼女の心を支配し始めていた。しかし、レオンの瞳だけは死んでいなかった。彼は王の回復速度を見極めながら、さらに深く、自らの魔力の根源へと手を伸ばしていた。
「セレス、ここは逃げるぞ! 二手に分かれて逃げよう!」
レオンの断腸の思いを込めた叫びが、破壊の音が響く森に響き渡った。オークキングの回復魔法を目の当たりにし、レオンは瞬時に判断を下したのだ。今の出力では、奴の再生速度を上回る決定打が足りない。このまま消耗戦に引きずり込まれれば、守るべき女性たちの命が危うい。
「レオン様! でも……!」
「反論は許さない。セレス、お前は逆方向に走って奴の注意を引け。いいか、戦わなくていい、ただ逃げるんだ!」
レオンはまだ足元が覚束ないヴァレリアの腰を強引に引き寄せ、自らの肩に担ぎ上げた。ロケット型の豊かな肢体がその背中で弾むが、今の彼にそれを意識する余裕はない。
「アンタは俺と来い。絶対助ける……俺の命に代えてもだ!」
ヴァレリアの瞳を真っ直ぐに見据え、レオンは力強く言い放った。その声には、敗北を認めつつも、決して「守るべきもの」を諦めない不屈の意志が宿っていた。
セレスは涙を堪え、レオンの指示通り反対方向へと駆け出す。一方のレオンは、担ぎ上げたヴァレリアの重みを感じながら、魔力で強化した脚力で森の深淵へと飛び込んだ。背後からは、獲物を逃がすまいと大木をへし折りながら追ってくるオークキングの咆哮が地を揺らす。レオンは歯を食いしばり、悔しさを加速のエネルギーに変えて、泥まみれの逃走劇を開始した。
背後から響いていた地響きと、オークキングの禍々しい咆哮が次第に遠ざかっていく。レオンはヴァレリアを担いだまま、魔力で強化した脚を止めることなく森を駆け抜けた。木々の密度が低くなり、ようやく視界が開けた境界付近で、反対方向へ走っていたセレスと合流を果たした。
三人は無事に顔を揃えたが、レオンの表情はかつてないほど険しい。彼はヴァレリアを静かに岩場へ下ろすと、周囲の地形を確認しながら短く告げた。
「一度引き上げるぞ。ここで野営して体制を立て直す」
今のレオンにとって、休息は敗北の味を噛み締めるための時間に過ぎなかった。オークキングの圧倒的なフィジカルと、致命傷を一瞬で塞ぐ回復魔法。その理不尽なまでの強さが、彼の脳裏に焼き付いて離れない。守るべき女性二人を連れて逃走を選ばざるを得なかった屈辱が、胸の奥で黒い炎となって渦巻いていた。
「セレス、周囲に認識阻害の結界を。ヴァレリア、アンタはそこでじっとしてろ」
指示を飛ばすと同時に、レオンは自らの右手を凝視した。次は逃げない。回復の暇すら与えず、あの巨躯を根源から消滅させるための超高密度な術式が必要だ。
悔しさを魔力に変換するように、彼の掌からは今まで以上に鋭く、青白い火花が散り始めていた。闇に包まれゆく森の境界で、少年は静かに、しかし確実に「王」を屠るための牙を研ぎ澄ませていく。
闇に包まれた野営地で、レオンは一人、右手に意識を集中させていた。オークキングを倒す条件は明確だ。あの驚異的な回復魔法を使わせる暇も与えず、一撃でその命を断つこと。硬質な皮膚を貫き、太い首を容易く狩り取る「極薄の刃」が必要だった。
レオンが思い描いたのは「水」の変幻自在な性質だ。彼は魔力で生成した水弾を限界まで圧縮し、紙一枚ほどの薄さにまで引き伸ばしていく。イメージするのは、あらゆる物質を断ち切る超高速の水の刃――「ウォーターバレット・ブレード」である。
「……行け」
放たれた水の刃は、夜の闇を無音で切り裂いた。数十メートル先にある、大人三人がかりでも抱えきれないほどの大木。それが、何の抵抗もなかったかのように、滑らかな音を立てて斜めにずり落ちた。切り口は鏡のように磨き上げられ、断面からは木の雫が溢れている。
レオンはさらにイメージを強固にする。次はもっと質量を持たせ、かつ鋭利に。
再び放たれた水の奔流は、倒れた巨木を空中で幾重にもスライスし、薄い板の山へと変えた。重厚な質量を伴いながらも、剃刀以上の鋭利さを保つ絶対的な切断力。
「これなら……あいつの首を落とせる」
月明かりの下、レオンの瞳には確信の光が宿る。王の首を狩るための「処刑の刃」は、今、完成の時を迎えていた。




