指環は花で
「あのね、私、引っ越すの」
清々しい程に晴れた夏。
僕達は夏休み。出された課題をすることも無く、のんびりと野原で天を仰いでいた。
眩しい太陽を下に、僕は寝転びながら目を瞑っていた。ただ大地と空の温もりに挟まれ、眠気が段々と襲ってくる。
うとうと、もうすぐで意識を手放すとき、隣でガサガサと物音がしているのに気付いた。寝転びながら顔だけを倒し、目だけを向けると、幼馴染がなにかをしていた。ちょうど背で隠れて何をしているのか分からなかった。
「なにしてんの?」体を起こすことに面倒を覚え、声だけをかけた。
そう聞いても幼馴染は何も答えてはくれなかった。ただひたすらに黙々と下を向いて何かをしている。
痺れを切らした僕は体を起こして立ち上がった。少し屈み、幼馴染の頭の斜め上から顔をひょこっと出した瞬間。
「出来た‼」という声と同時に鼻に激痛が走った。
勢いよく立ち上がった幼馴染の頭が、僕の鼻目掛けて激突してきたのだ。あまりの痛さに声を出せない僕を前に、焦った声であわあわと手を動かす様が、見なくても分かった。
「ご、ごめん! 寝てると思って……」
「いやいいよ、真上にいた僕が悪い。で、なにしてたの?」
「そう! 見て見て、花冠! 凄くない⁉」
じゃーんという効果音がつきそうなほど、満面の笑みで見せてきたそれは、シロツメクサで作られた花冠だった。そういえば、この野原には所々シロツメクサが咲いている。そして幼馴染が立つそこは、シロツメクサが生い茂っていた。声をかけても返事がなかったのは、よほど集中していたからだろう。ただでさえ、集中すると周りが見えなくなる性格なのだ。
「花嫁みたいじゃない? 私、絶対に結婚したいんだよね」
なんて白いワンピースを着て、花冠を頭に乗せ、クルクル回る姿は、本当に花嫁みたいに、綺麗だと思った。
ただ見惚れていた時、顔の笑みがスっと消えて、僕に背を向けた。
「あのね私、今日引っ越すんだ。それもすっごく遠いところ」
「――は? 今日?」
蒸し暑い気温とは相反し、僕の頭の中は冷たく熱を引いていった。さっきとの温度差で電源が落ちる。さっきまで自慢げにどや顔だったのに、その面影が、今はない。
「いきなりになっちゃってごめんね。でも、早いうちに言っちゃったら、私行きたくなさすぎて駄々こねちゃうと思うの」
「だから、みんなに会う時は絶対に忘れようと思って」
驚きで声も出せない。僕に背を向ける彼女に、何もしてやれることがない。
なんでそんな大事なことを、今の今まで隠していたんだ。もっと早く知っていたら、何か出来ることがあったかもしれないのに。
まだ何も渡せてない。伝えられてもないのに。
「だから、一つ、我儘言ってもいい……?」か細く、震える声で、ぽつりと呟く。
最後のお願いなのだからと、拳を固く握り、覚悟を決めて、彼女の後ろ姿を見る。
「私と――結婚してくれない?」
クルッと振り向きながら言う幼馴染の顔は、今までに見た事ないほどまでに、悲しさで歪んで、とてもじゃないが似合わなかった。
「最後にそんなのずるいだろ……」
彼女の苦渋の表情に目を逸らし、風に靡く髪を横切る。
足元の小さい宝石を手に取る。自慢の手先でパパッと、且つ綺麗に、丁寧に。
出来上がったそれを左手に隠し、ゆっくり立ち上がる。不思議そうに見つめる彼女の前に跪き、右手を差し出す。
「俺と――結婚して下さい」
僕の右手と、顔を交互に見る。驚きの時間は、数十秒に亘った。その沈黙に気まずくなったのもあったが、だいぶ恥ずかしいことをしてしまったのではないかと、次第に羞恥心で顔を赤らめ、逸らしてしまった。
「俺って、普段言わないのに」
くすくす笑う声で顔を上げると、指で雫を掬いながら、愉快な笑顔を零す、いつもの彼女を見た。
「そんなの今どうでもいいだろ」だが恰好付けたとこをからかわれ、また一層頬を赤に染めた。
そんな情けない僕の手を静かに取り、そっと左手を重ね、こう微笑んだ。
喜んで。
その時の彼女の顔は、さっきの悲しみで歪んだ顔とは裏腹に、この世の幸せ全てを取り込んだかのような、全てを浄化する笑顔で、世界一の花嫁だった。
「やっぱり、あんたには笑顔が似合う」
そう言いながら左手に隠した指輪を、載せられた彼女の左手薬指に、ゆっくり沈めた。
右手で口を隠し、左手を宙に浮かせ目を輝かせる彼女に、僕はしてやったと下を向いて密かに笑った。
その瞬間僕は宙を舞った。次に見えた景色は青空で、頭にふわっと、感じ慣れた心地がした。
「ありがとう。ありがとう……」
そう言いながらグスッと鼻をすするおとが聞こえる。慰めるわけでもないけど、ただほんのすこし、まだこうしていられるならと、そっと一人支える。
その瞬間――「あ、そうだ!」
耳元でそう叫ばれ、キーンという耳鳴りを気にも止めず、彼女はせっせとまた何かを作り始めた。
振り向いた彼女に左手を取られ、僕の薬指には、同じような指輪があった。
「やっぱり、こうじゃないと」
こうして見つめ合った僕らを遮るように、車の音が聞こえた。
「もう行くわよー!」
車窓を開けながらそう叫んだのは、彼女の親だった。この幸せな時間ももう終わるのだなと、下を俯きたくなった。だが、走り去る直前の、彼女の顔を思い出した。最後に見る顔は、僕の大好きな、彼女の笑顔であってほしい。
「絶対に、迎えに行くから」
「――約束ね」
その時微かに、彼女の指輪と、僕の指輪に、赤い糸が見えた気がした。




