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義務婚の国で、君を想う  作者: カムロ
第1章 エリアスとリリア
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第8話 制度の真実

ほこらを出ると、

 霧はだいぶ薄くなっていた。


 石畳の上に、朝の光が斜めに落ちている。

 遠くの方からは、街のざわめきがゆっくりと近づいてくるようだった。


 リリアは振り返って、

 小さなほこらの入口をしばらく見つめた。


 昨夜、ふたりが初めて

 「逃げる」のではなく「選ぶ」と決めた場所。


 ここに戻れたとしても、

 もう昨日と同じ自分ではいられない気がした。


「……行きますか」


 リリアがそう言うと、

 エリアスは一度だけうなずいた。


「行こう。

 俺たちが何から逃げているのか、

 ちゃんと知るところからだ」


 その声は、

 決意を含みながらも不思議と落ち着いていた。


 リリアは胸元でマギボードを軽く握る。

 板はやはり光らない。

 けれど、指先には、

 まだ温度の残り香のようなものがあった。


(知らないまま、

 奪われるのは嫌だ)


 昨夜、自分で口にした言葉が、

 胸の奥で改めて形を持つ。


 リリアは小さく息を吸い、

 エリアスの隣に並んだ。


***


 街へ向かう道は、

 いつもより長く感じられた。


 エリアスはフードを深くかぶり、

 人通りの少ない道を選んで歩いていく。

 リリアもそれにならい、

 視線を落として足早に進んだ。


 路地の角を曲がるたび、

 胸の鼓動が一段階ずつ早くなる。


 通りの向こうには、

 婚活庁の制服を着た職員たちの姿がちらほら見えた。

 魔力測定器を持ち歩き、

 ときおり空気の流れを測っている。


(まだ、探している……)


 リリアは無意識にエリアスの袖をつまんでいた。


「大丈夫だ」


 エリアスが、声を極力抑えながら言う。


「正面から庁舎に近づくわけじゃない。

 向かうのは、あくまで“文書”の方だ」


「文書……」


「制度は、

 何かを隠すときほど、きちんと書き残そうとする。

 自分に都合のいい形でな」


 皮肉混じりの言い方に、

 リリアは一瞬だけくすっと笑いそうになる。


 緊張が凍りつきそうな胸の中で、

 そういう小さな笑いが

 かろうじて自分を保ってくれていた。


***


 街の中心から少し外れた場所に、

 古い石造りの建物があった。


 文書院の分館——

 かつては、人々が自由に本を読みに訪れた場所らしい。


 今は使用禁止となり、

 入口には錆びた鎖が巻かれている。

 扉の前には「危険」「立入禁止」の札が掛かっていた。


「危険なのは、

 ここじゃなくて“ここに書かれたこと”だろうに」


 エリアスが小さく呟き、

 鎖の状態を確かめる。


 錆びているが、完全には壊れていない。

 しかし扉の脇には、

 昔の職員しか知らない“隠し鍵”の仕組みがあった。


 彼は指先で石の継ぎ目をなぞり、

 慎重に力を込める。


 かすかな音とともに、

 鎖の片側がゆるんだ。


「……開いた」


「すごい……」


「文書院の端っこで働いていると、

 こういうどうでもいい知識ばかり増えていく」


 そう言いながらも、

 エリアスの手つきは慣れていた。


 二人は中へ滑り込む。


 扉を閉めると、

 外のざわめきがぴたりと止まった。


***


 分館の中は、

 長いこと使われていなかったことが一目で分かる有り様だった。


 背の高い本棚が並び、

 そこに差し込まれた本や巻物には、

 厚くほこりが積もっている。


 割れた窓から差し込む光が、

 舞い上がった塵を淡く照らしていた。


(ここに、

 何か答えが……)


 リリアは自分の足音さえ

 邪魔に思えるほど静かに歩き始めた。


 エリアスは棚の並びをざっと見渡し、

 一番奥の列へと向かう。


「制度が本当に隠したいものは、

 たいてい“遠くて暗い場所”に押し込まれる」


「遠くて暗い場所……」


「俺たちみたいにな」


 冗談とも本気ともつかない言葉に、

 リリアは振り返る。


 エリアスの横顔は、

 どこか懐かしむような表情をしていた。


「この棚だ。

 婚活庁の成立以前の記録は、

 “前史資料”としてここに移されていたはずだ」


「前史……」


「今の制度が、“始まり”ではないということだ」


 エリアスは、一番高い棚の上から

 古びた箱を慎重に引き出した。


 中には、

 しわだらけの羊皮紙や、

 手書きの魔導式がぎっしりと詰まっている。


 リリアは思わず息を呑んだ。


「こんなに……」


「誰にも読まれないようにするには、

 これくらい徹底しないとな」


 二人は箱をテーブルの上に運び、

 並んで腰を下ろした。


 埃だらけの紙の匂いが鼻をつく。

 遠くで木がきしむ音だけが聞こえる。


 エリアスは一枚の紙を広げ、

 目を通しはじめた。


 魔導式の端には、

 古い言葉でこう書かれていた。


> 《光は心の温度を映す鏡なり》




「心の……温度?」


 リリアが思わず読み上げると、

 エリアスがうなずいた。


「今の制度では、

 光は“相性の数値”として扱われている。

 でも、本来は——」


 別の紙を取り上げる。


 そこには、

 初期のマギボードと思しき図が描かれていた。


 表面に刻まれた線は今とよく似ている。

 だが説明文にはこうある。


> 《相手に触れることが叶わぬ者のため、

 心のぬくもりを遠くへ届ける術具》




 リリアは、

 自分の板をぎゅっと握りしめた。


「……ぬくもりを、届ける?」


「ああ。

 光の強さを競うためじゃない。

 誰かが誰かの心に触れたいと願うとき、

 その温度を“少しだけ分け合うため”の道具だったらしい」


 エリアスの声には、

 どこか驚きと安堵が混じっていた。


「でも、今は……」


「今は、

 それを“相性値”という形に変え、

 国家が管理するようになった。

 どの相手と結婚すれば、

 国にとって都合がいいか——

 光はそのための指標にされている」


 紙をめくる手が、

 わずかに強くなる。


 別の文書には、

 こんな一節があった。


> 《光の記録は、本来“個の秘密”であり、

 国家や組織が閲覧してはならぬものとする》




 リリアは思わず、

 エリアスの顔を見た。


「……閲覧してはならない、って」


「少なくとも、

 この時代を書いた誰かは、そう考えていたらしい」


 エリアスは皮肉な笑みを浮かべた。


「今の婚活庁の職員に読ませてやりたいところだ」


***


 紙束を次々とめくっていくうちに、

 ひときわ古びた冊子が出てきた。


 表紙には、ほとんど消えかけた文字で

 こう書かれている。


> 《真の相性に関する覚え書き》




 エリアスとリリアは、

 思わず視線を交わした。


「真の……相性」


 リリアが小さく繰り返す。


 エリアスは慎重に表紙を開いた。


 中には、

 細かな字でびっしりと文章が綴られていた。


 その一文が、

 二人の目を釘付けにする。


> 《記録されぬ光こそ、

 真に心が呼応した証である》




 リリアは息を止めた。


「記録……されない光?」


「……続きがある」


 エリアスは声を落とし、読み進める。


> 《光の記録術は、

 心の動きの一部しか捉えられぬ。

 数値として測れる感情は、

 あくまで“条件として整えられた好意”に過ぎない》




> 《しかし、

 ときおり記録を拒む光がある。

 それは術式を越え、

 数値化を拒み、

 ただ二人の間にだけ灯るぬくもりとなる》




> 《それを“真の相性”と呼ぶ》




 指先が震えた。


 リリアは、

 自分の胸元にある板の存在を意識する。


 エリアスもまた、

 掌の中のぬくもりを確かめるように

 マギボードを撫でた。


「じゃあ……」


 リリアの声は、

 ほとんど囁きのようだった。


「わたしたちの光は……

 “異常”なんじゃなくて」


「“真の相性”だ」


 エリアスが言葉を継いだ。


 その言い方は、

 決して浮ついたものではなかった。


 ただ静かに、

 事実として受け止めようとしている声だった。


「婚活庁が“記録外の光”を危険視したのは、

 管理できないからだ。

 制度に従わない感情を、

 恐れたからだ」


 紙束の後半には、

 さらに不穏な記述が続いていた。


> 《国家にとって最も危険なのは、

 制度に従わぬ光を持つ者たちである》




> 《彼らは、

 定められた相手ではなく

 自ら選んだ相手と結びつこうとする》




> 《ゆえに後世、

 真の相性を持つ者は

 制度から遠ざけられ、

 ときに排除されるだろう》




 リリアの指が、

 紙の端で止まった。


「……排除」


 その言葉だけが、

 妙にはっきりと耳に残った。


「だから、

 婚活庁は必死なんだ」


 エリアスが低く言う。


「俺たちが“国家が選んだ相手”ではなく、

 自分たちの意志で互いを選ぶことを、

 何よりも恐れている」


 リリアは胸に手を当てる。


 あの夜、

 儀式の塔の上で

 胸の奥が温かく震えたこと。


 板がひとつの光を分け合うように

 輝いたこと。


 それを思い出すたびに、

 その瞬間が否定されるようで

 苦しかった。


 でも今——


 古い紙の上の文字が、

 その感情に“名前”をくれた。


(真の……相性)


 言葉にすれば、

 どこか安っぽく聞こえてしまいそうだ。


 それでも、

 その響きは今まで聞いたどの言葉よりも

 胸にしっくりと馴染んだ。


***


「エリアスさん」


 リリアが顔を上げる。


「もし、

 これを公表したらどうなるんでしょうか」


 エリアスは、

 しばらくのあいだ無言で紙を見つめていた。


 やがて、ゆっくりと首を振る。


「おそらく、

 この文書が“偽造”だとされるか、

 俺たちが“虚偽を広めた罪”で罰せられる」


「……そんな」


「制度は、

 自分を脅かすものを正面から認めたりしない。

 あくまで“間違っている”のは

 俺たちの方だという形にする」


 その言葉に、

 リリアの胸にまた恐怖が戻りかけた。


 だが同時に、

 もうひとつ別の感情も生まれていた。


「でも、

 わたしたちは知ってしまいました」


 リリアは自分の胸を押さえる。


「この紙に書いてあることが

 すべて正しいとは限らないけれど……

 少なくとも、

 “別の考え方”があったって分かった」


 エリアスの視線が、

 リリアに向かう。


「制度に従うだけが、

 生き方じゃないってことですよね」


 リリアの瞳は、

 恐怖で揺れながらも、

 その奥に小さな火を宿していた。


 エリアスは、

 その火を見つめながら、

 ふっと息を吐いた。


「……ああ。

 少なくとも、

 俺はもう“知らないふり”はできない」


 そのとき、

 分館の外で何かが軋む音がした。


 ふたりは同時に顔を上げる。


 しん、とした静寂の後——

 今度ははっきりとした足音が近づいてきた。


「……まずい」


 エリアスが席を立つ。


 窓の隙間から外を覗くと、

 婚活庁の制服を着た数人が

 建物の周囲を確認しているのが見えた。


 魔力測定器の先端が、

 分館の方角を向いている。


「ここにも、追跡が……」


 リリアの声が震えた。


 エリアスは周囲を見回し、

 棚の奥に奇妙な箱が置かれているのを見つけた。


 古い魔導具らしい。

 表面には使い方を示す簡単な式が刻まれている。


「隠蔽用の結界装置か……?」


「使えるんですか?」


「やってみるしかない」


 エリアスは箱に手をかざし、

 刻まれた魔導式をなぞった。


 ほこりが舞い上がり、

 空気の流れがわずかに変わる。


 次の瞬間、

 分館全体を包むように

 薄い膜のようなものが張られた感覚があった。


 リリアは自分の胸元に手を当てる。


 マギボードのぬくもりが、

 すこしだけ遠くに押しやられたような気がした。


「……息を潜めてくれ。

 これでしばらくは、

 魔力の反応を誤魔化せるはずだ」


 エリアスは文書を急いで箱に戻しながら言う。


「でも、このままここにいても——」


「逃げる」


 エリアスはきっぱりと言い切った。


「真実を知ることはできた。

 次は、それを“どう生きるか”を決めなきゃならない」


 彼は、

 リリアの手を取った。


「制度を変えるなんて大それたことは、

 今すぐにはできないかもしれない。

 だけど——」


 その手は、

 ほこらで握ったときと同じ温度を保っている。


「俺は、

 制度よりも、

 君と交わした“選ぶ”という約束を守りたい」


 リリアは、

 涙が出そうになるのをこらえながら微笑んだ。


「わたしもです。

 怖いけど……

 でも、もう逃げるだけの自分には戻りたくない」


 二人は分館の裏手にある小さな扉から外へ出た。


 朝はすでに昼に近づきつつあり、

 街のざわめきは本格的な喧噪に変わっている。


 世界はいつも通り動いている。

 けれど、

 二人の中では何かが決定的に変わっていた。


 リリアは胸元の板をそっと撫でる。


(あなたと出会えた光は、

 本当は“間違い”なんかじゃなかった)


 それだけで、

 足を前に出す力が湧いてくる。


「行こう」


 エリアスが言う。


「制度の中心に近い人間を探す。

 そこに、

 きっと次の答えがある」


「はい」


 リリアはうなずき、

 しっかりと彼の隣を歩き始めた。


 制度の真実を知った今、

 二人はもう、

 ただの“義務婚対象者”ではなかった。


 選ばれる側ではなく、

 自分で選ぶ側に——

 少しだけ、足を踏み出したのだ。


 第九話へつづく。

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