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義務婚の国で、君を想う  作者: カムロ
第1章 エリアスとリリア
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第5話 回収日

目が覚めたとき、

リリアはまだマギボードを胸に抱いていた。


指先の内側に、じんわりとしたぬくもりが残っている。

光ってはいない。

けれど、石のくせに、冷え切ろうとしない温度だった。


「……おはよう」


小さくそう呟くと、

板は何も返さなかった。


代わりに、外から鐘の音が聞こえてきた。

いつもより少し、重たい響きに聞こえる。


今日が「回収日」だ、とようやく思い出す。


婚活庁へ板を持っていかなければならない日。

持って行かなければ、強制回収。

そう言われている。


喉がひゅっと細くなったような感覚がした。


***


出勤の道すがら、

リリアはマントの内側でマギボードをぎゅっと抱きしめた。


抱きしめれば抱きしめるほど、

胸元がゆっくりあたたまっていく。


(危険物、なんて言われても)


この温度が、危険なものには思えない。

誰かの声が、そこにまだ息づいているようにしか感じられない。


婚活庁の白い建物が視界に入ったとき、

足がすこし止まりかけた。

塔のように高く、雲の手前で空を切り取っている。


——あの中に持っていけば、

 二度と戻ってこないかもしれない。


そう思った瞬間、

胸の内側で心臓が一拍、強く跳ねた。


***


午前の仕事を終えると、

書簡局の上司が声をかけてきた。


「ノート嬢。婚活庁からの通知、受け取っているね?」


「……はい」


「今日中に行ってきなさい。

 記録にない光は、放置していいものじゃない」


上司の声は責めるようなものではなかった。

むしろ心配そうでさえある。


けれどその言葉の中身は、

リリアの板を「問題」として扱うものだった。


机を離れ、

外套を羽織る。

ポケットの中で、マギボードが軽く重みを主張する。


(大丈夫、大丈夫。

 検査だけで済むかもしれない)


自分にそう言い聞かせても、

掌の内側の汗は止まらなかった。


***


婚活庁の内部は、外観以上に白かった。


床も壁も天井も、

すべてがわずかに光を反射している。

人の気配よりも、魔力測定器の規則的な音の方が目立っていた。


案内された小部屋で、

昨日とは別の職員がリリアを迎えた。

丸い眼鏡をかけた、柔らかな物腰の男だった。


「ノートさんですね。お疲れさまです。

 光の異常反応について、少しだけお話しさせてください」


「……はい」


男は書類を整えながら、

淡々と説明を始めた。


「記録に残らない光。

 それは、この国にとって“例外の感情”です」


例外、という言葉が、

冷たいナイフのように心に引っかかる。


「本来、光はすべて数値化され、

 相性として婚活庁に記録されます。

 しかし、まれに記録からこぼれ落ちる光がある。

 過去にも数度ありました」


男は表情ひとつ変えず、話を続けた。


「そのたびに、制度は揺らぎました。

 “国家が選ばない相手を選ぶ光だ”と解釈する者も出た。

 結果として、婚約の無効が相次ぎ、

 抗議や混乱が起こったのです」


リリアは思わず指に力を込めた。

ポケットの内側で、板がかすかに熱を返す。


「さらに、記録にない光は

 魔力暴走の前兆になる場合があります。

 儀式中に小規模な事故が起きたこともあります。

 ですから——」


男はそこで言葉を区切り、

穏やかな笑みを浮かべた。


「ですから、危険がないか、丁寧に調べる必要があるのです。

 あなたを守るためでもありますよ」


守る、という言葉が、

どうしても優しく聞こえなかった。


「……板は、戻ってきますか」


リリアは、

自分の声が少し掠れていることに気づいた。


「正常であれば、もちろん。

 ただし、異常が深刻な場合は、

 再教育センターで静養していただくこともあります。

 その際、板は一時的、もしくは恒久的に、

 お預かりすることになるでしょう」


静養——

それが、どんな場所を指すのか、

リリアは知らなかった。


知りたくない、と本能が告げていた。


「では、マギボードを」


職員が手を差し出す。


ポケットの内側。

掌が汗でぬるついている。

板の角が、皮膚にあたっている。


——渡したら、終わる。


そんな思いが、

喉元までせりあがってきた。


「……今日は、持ってきていません」


自分でも驚くほど、

声は静かだった。


職員が眉をひそめる。


「通知には“持参せよ”とありましたが」


「すみません。

 仕事中にどうしても手放せず……」


ほんの少しの嘘を混ぜた。

けれど、その嘘は

自分の中では真実に近かった。


板を手放すことが、

今の自分にはどうしてもできない。


職員はため息をつき、

書類に何かを書き込んだ。


「……では、猶予はあと一日です。

 明日、必ず持参してください。

 いいですね?」


「……はい」


口ではそう答えながら、

リリアの心はすでに、

ここではないどこかへ逃げ出そうとしていた。


***


同じ頃、文書院。


エリアスの部屋には、

細い体つきの監視官が座っていた。


机の上には、

見慣れない魔力測定器が置かれている。

銀色の装置が静かな音を立て、

室内の空気を測るように震えていた。


「昨日、未登録の光が発生した痕跡があります」


監視官は帳簿から視線を上げずに言った。


「公式記録には残っていない。

 つまり制度の外側で光が生まれた、ということになります」


「……それが、そんなに問題なのか」


エリアスの声は低かった。


「もちろんです」

と、監視官は事務的に言う。


「国家が把握していない感情は、

 予測できない行動を生みます。

 それは秩序にとって、脅威です」


人ではなく“感情”を監視している——

その事実が、

かつて扱ってきた無数の婚約書よりも重く感じられた。


机の引き出しには、

マギボードがひっそりと隠してある。

監視官の視線がそこに向かいはしないかと、

エリアスの肩は自然と強張った。


「今後しばらく、あなたの周囲のマギ波は記録されます。

 不審な通信があれば、報告対象です」


そう言い残し、

監視官は装置を一つ置いて去っていった。


部屋に残された金属の箱は、

ただそこにあるだけなのに、

空気の温度をいくらか下げたように感じられた。


***


昼休み。

エリアスは部屋を閉め切ると、

引き出しからマギボードを取り出した。


指先に触れたそれは、

ひんやりとしているのに、

すぐに指の温度を吸いこんでいく。


「……リリア」


小さく名を呼び、板を起動させる。


だが、黒い表面に赤い文字が走った。


> 《通信制限中》

《監視下での未登録通信は記録されます》




喉の奥が、からからに乾いた。


(……そういうことか)


監視は板そのものではなく、

「光ろうとする行為」そのものにかかっている。


文字を打つことさえ、

今は許されない。


エリアスは、

板をしばらく見つめ続けた。


何も映らない黒い表面に、

自分の顔だけがうっすらとにじんでいる。


「……くそ」


思わず、そう小さく吐き出した。


***


一方、婚活庁を出たリリアは、

広場の隅で立ち尽くしていた。


回収箱に板を入れていく人々の列が見える。

箱の上には、

「検査」と書かれた札がぶら下がっている。


誰もそれを疑っていない。

光は国家に管理されるものと、

疑うことなく信じている。


リリアはポケットの中の板を強く握った。

板は、じんとした熱を返す。


「……ごめんなさい」


誰に向けた言葉か、

自分でも分からない。


ただ一歩、列から外れるように

広場の影の方へと歩き出す。


回収箱の前を通り過ぎるたびに、

背中に視線が刺さるような気がした。

けれど誰も、彼女を止めなかった。


ふと、塔の方へ目を向ける。

昼の光の中で、白い塔はどこまでも静かに立っている。

昨夜の光の痕跡はどこにも見えない。


(本当に、あれは「間違い」だったの?)


そう自分に問うてみる。


答えは、すぐに浮かんだ。


——違う。


あの瞬間、自分の胸はたしかに

温度を持って震えた。

例外だと言われても、

消されたと言われても。


あの光は、リリアにとって

疑いようのない「本物」だった。


***


その夜。


エリアスは灯りを消した部屋の中で、

マギボードを両手で包み込んでいた。


窓の外の空は雲に覆われ、

星も月も見えない。


暗闇の中で、

自分の鼓動だけがやけに大きく聞こえる。


「……リリア」


声に出すだけで、

胸のあたりがじんと熱くなる。


(会ったこともない相手に、

 ここまで心を揺らされるとはな)


自嘲気味に笑ってみても、

その笑いはすぐに溶けて消えた。


彼は静かに目を閉じ、

通信の禁止を知りながらも、

心の中でだけ言葉を紡ぐ。


——聞こえているだろうか。

 君の板の向こう側に。


***


同じ頃、

リリアも小さな部屋のベッドの上で、

板を胸に抱いていた。


昼間の緊張が抜けきらず、

まだ指先がうまく温まらない。


「エリアスさん……」


呼んだところで、

答えが返ってこないことは分かっている。

それでも名前を呼びたかった。


板は沈黙したまま。

光も文字も浮かばない。


それでも——


掌の中心あたりが、

すこしずつあたたまっていく。


まるで、

石の底で小さな火種が息を吹き返しているように。


リリアは目を閉じた。


——会ってみたい。


この思いを、

誰に知られなくてもいいから、

一度だけ言葉にしてみたかった。


***


いつからか、

エリアスは眠っていたらしい。


夢の中で、

また霧の向こうに誰かの姿を見る。


輪郭はやはりぼやけている。

けれど、今回は前より近いところに立っていた。


胸の前で、

掌ほどの光を抱いている。


声は聞こえないのに、

そこにいるだけで、

胸のあたりの空気がやわらかくなる。


手を伸ばそうとした、そのとき——


現実の世界で、

掌にじんわりとした熱が広がった。


ぱちりと目を開ける。


マギボードが、

かすかな光をにじませていた。


文字は浮かんでいない。

ただ、芯の方からあたたかさだけが伝わってくる。


「……リリア?」


思わず名を呼ぶ。


返事はない。

けれど、板の震え方が

自分の鼓動と同じリズムになっていくのが分かる。


***


その瞬間——

リリアもまた、

胸元の板が小さく動いたように感じていた。


夜の静けさの中で、

こころの奥をくすぐるようなぬくもり。


光は出ていない。

けれど、

誰かがそっと手を重ねてくれたような感覚だけがあった。


「……エリアスさん?」


声に出してみる。

もちろん、返事はない。


それでも、

板の内側で何かが応えている気がした。


——まだ、つながっている。


言葉も光も奪われた世界で、

それでも消せないものがある。


リリアはゆっくりと目を閉じた。


【会いたい】


そのひと言を、

誰にも聞こえない場所で

初めてはっきりと自分に認めた。


そして、

それとほとんど同じ時刻に、


エリアスもまた、

静かな部屋の片隅で

同じ願いを胸に灯していた。


——次にこの板が、本当に光ったなら。


そのときはきっと、

もう文字だけでは終わらない。


彼はそんな予感を抱えたまま、

再び目を閉じた。


光の見えない夜の中で、

二枚の板だけが、

ひそやかにぬくもりを分け合っていた。

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