第28話 優しい声の裏側
白い応接室の空気は、どこか柔らいでいた。
お茶の湯気がゆっくりと立ちのぼり、
菓子皿には手つかずの焼き菓子が並んでいる。
ついさっきまで張り詰めていたはずの緊張は、
サムハン・シウ団長の軽い口調と、穏やかな笑顔によって、
少しずつ溶かされていった。
「いやあ、本当に珍しい事例なんだよ。今回の同時発光は」
団長は椅子にもたれ、肩の力を抜いたまま話す。
「過去の記録を見てもね、一人に対して三人同時ってのは……まあ、ほとんど例がない」
ユウトは曖昧にうなずいた。
「正直、僕たちも……何が起きたのか、よく分かってなくて」
「うんうん。だろうね」
サムハンはあっさりと受け止める。
「本人たちが分からないのは、無理もない。
マギボードってのは、理屈で説明できる部分と、できない部分があるから」
その言葉に、ミーナがわずかに反応した。
彼女は背筋を伸ばし、静かに口を開く。
「……魔力法務局でも、同様の見解です」
視線が集まる。
「魔力事象の多くは、条件が複雑に絡み合います。
感情、距離、環境、そして個体差。
どれか一つを切り取っても、原因の特定には至りません」
淡々とした説明だったが、
その裏には「異常=即処分ではない」という含みがあった。
サムハンは、満足そうに目を細める。
「さすが調査官。話が早い」
そのやり取りを聞きながら、
アイラはずっと胸の奥にあった不安を、ようやく言葉にした。
「あの……」
少しだけ、声が震える。
「私たち……このまま、魔力安定局に送られたり、
感情を鎮める奉仕労働をしなきゃいけないんでしょうか……?」
一瞬、応接室が静まった。
それは、この国で生きる者なら誰もが恐れる問いだった。
サムハンは、すぐに首を横に振った。
「いやいや。そこまで極端な話じゃないよ、アイラさん」
名前を、はっきりと呼ぶ。
「以前はいろいろあってね。
でも最近は国も、ずいぶん寛大になった」
指を一本立てる。
「婚約年齢の引き上げ。制度の見直し。
“一律で縛らない方向”に、少しずつ舵を切ってる」
そして、優しく微笑んだ。
「不安だったよね。
大丈夫だよ、安心して」
アイラの肩から、力が抜けた。
「……ありがとうございます」
その一言は、心からのものだった。
ユウトも、胸の奥で息をつく。
(……理解者、なのかもしれない)
少なくとも、頭ごなしに裁こうとはしていない。
だが――
その空気の中で、ただ一人。
フレイだけは、違和感を拭えずにいた。
(……この人、蛇)
理屈ではなく、感覚だった。
優しい声。
穏やかな笑み。
安心させる言葉。
それらすべてが、
「選ばせる前提」で差し出されているように感じる。
絡め取る準備を終えた捕食者が、
まだ牙を見せていないだけ――
そんな印象。
「フレイ君?」
不意に、名前を呼ばれる。
「さっきから、少し静かだけど。
何か気になることでもある?」
視線が集まる。
フレイは、喉の奥がひくりと鳴るのを感じながら、
それでも微笑みを作った。
「……いえ。大丈夫です」
それ以上、言葉は続かなかった。
サムハンは、にこやかにうなずく。
「そう。ならいいんだ」
その一瞬。
フレイは確信した。
(……全部、分かってる)
分かったうえで、
“優しい顔”を選んでいる。
だからこそ、恐ろしい。
ミーナは沈黙の中で考えていた。
(もし、何かあれば)
法務局として。
一人の人間として。
(全力で、弁護する)
その決意だけは、揺らがなかった。
やがて、サムハンは立ち上がる。
「今日はここまでにしよう」
柔らかな声。
「一度、解放だ。
また改めて、話そう」
“一度”。
その言葉だけが、妙に耳に残った。
ユウトたちは席を立ち、
応接室を後にする。
扉が閉まる。
白い部屋に、再び静けさが落ちた。
サムハンは、その場から動かない。
秘書が、一歩後ろで口を開いた。
「……団長」
「ん?」
「今、とても悪い顔をしています」
一瞬だけ、空気が張りつめる。
サムハンは、ゆっくりと息を吐いた。
「そう?」
「ええ。部下の前で見せる顔ではありません」
「はは……困ったな」
そう言いながらも、
その目には、もう“柔らかさ”は残っていなかった。
蛇は、まだ動かない。
だが——
獲物の位置は、もう把握している。




