第10話 車内の緊張と、小さな応援
発表会当日の朝。
澄んだ空気の中を走る車のエンジン音が、いつもより少しだけ大きく聞こえた。
僕とアイラは郊外の駐車場で落ち合い、そこから会場へ向けて出発した。
「……先輩、さっきから“息をしてるフリ”してません?」
「してるよ。普通にしてる」
「いやいや、呼吸が“隠密モード”です。緊張すると消えるんですよね、先輩の呼吸」
「そんな仕様は搭載されてない」
冗談めかして言っているようで、アイラはじっと僕の横顔を観察している。
「はい確認。耳、赤いです」
「……うそだろ」
「ほんとですよ? ほら、鏡」
バックミラーに映った自分の耳は、確かにほんのり色づいていた。
「これは……気温のせいだ」
「今日17度ですよ。室内はもっと低いです。気温のせいにするのは苦しいですね」
「観測やめろ……」
アイラはくすりと笑い、シートに軽く背を預けた。
◇
街道の向こうでは露店の旗が揺れ、街路樹の枝葉がゆるやかに風を受けている。
車内は静かだが、その静けさが逆に鼓動を強調している気がした。
「先輩って、こういう大舞台苦手ですよね」
「……まあ、表に立つのは避けてきたし」
「でも、今日の《レゾナ》は先輩がいなかったら完成してなかったんですよ?」
「いや、僕は調整を少し手伝っただけで――」
「また出た。“はいはい僕なんて”先輩」
「そんなシリーズ名ついてたのか……」
アイラは両手を組み、小さく笑った。
「でも、私知ってます。
先輩って、自分の仕事を軽く言うクセあるけど、本当は誰より丁寧で、誰より粘る人です。」
「……勝手にハードル上げないでほしいんだけど」
「事実なので上げてません」
さらりと言ってのけるその声は、妙に優しかった。
「……緊張してるの、バレてる?」
「はい。100%。呼吸・耳の赤み・無駄に多い前方確認、全部緊張のサインです」
「そんな細かい分析いらないから……」
「分析しないと落ち着かないんですよ、私も」
「アイラも緊張してるの?」
「そりゃそうですよ。
先輩のプレゼン、私も観たいし……失敗したら一緒に恥ずかしいですし」
「最後の理由いらない」
でも、少し笑った。
その笑いにつられるように、胸の強張りがほんの少しだけ緩む。
「――それにね、先輩」
アイラの声が柔らかく落ちた。
「今日の先輩、絶対かっこいいですよ。
……あ、はい今のは聞き流してください。恥ずかしいので」
「いや、今のは……」
「聞き流してくださーい!」
遮るように言いながら、アイラは窓の外へ視線を向けた。
横顔がほんの少し赤い。
(……何なんだ、今日のアイラ)
でも不思議と、胸のざわつきは悪くなかった。
◇
やがて巨大なビル群が見え始める。
外壁全体を覆う魔力スクリーンが、青白い光を揺らしながら文字を映し出す。
〈ライオネル・デバイス社
新型魔導具・特別発表会〉
近づくにつれ、ビルの存在感が圧倒的に迫ってくる。
「……でかいな」
「ですよね。ここ毎年見てますけど、来るたび圧が増してません?」
「建物が成長するわけないだろ……」
「じゃあ私たちが縮んでるんですかね?」
「そんなファンタジー現象は起きてない」
「会話できてるってことは、先輩の緊張が少し解けてきましたね」
アイラは満足げに頷く。
車を駐車場に停め、エンジンを切ると、車内に静かな空気が満ちた。
「……先輩」
ドアに手をかけようとした僕を、アイラが呼び止めた。
振り向くと、彼女は少しだけ真面目な表情をしていた。
「大丈夫です。
先輩は、やる時はちゃんとやる人です。
それ、私が保証します」
「……どんな保証だよ」
「世界でいちばん先輩を見てきた後輩の保証です」
静かな言葉が胸に落ちる。
息が、一瞬だけ深くなった。
「……ありがとう。行くよ」
「はい。堂々と、先輩らしく」
車のドアを開いた瞬間、
冷たい風とともに、背筋が真っすぐ伸びるような緊張が走った。
アイラと並んで歩き出す。
――この先で、何が起きるかはまだ知らない。
でも確かに、今日が“小さな転機”になる予感がしていた。




