第21話:走る理由
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夜の首都高。
黒いSUVが一際鋭いエンジン音を響かせ、車列の隙間を縫うように突き進む。
運転席の朝比奈は、ハンドルを握る手に迷いがなく、視線は前方だけを射抜いている。
助手席の蓮司はシートベルトをきつく締め、窓の外に流れていく街の灯を横目で見た。
さっきまでの院長室——手錠の音、堂島の顔、そして中学生二人の慌ただしい声が頭から離れない。
「……急転院って、どういうことだ」
声が自然と低くなる。
朝比奈はアクセルを踏み込みながら答えた。
「それを確かめるために飛ばしてる」
ルームミラー越しに光のアイコンが淡く揺れた。
《新しい病院の情報、収集中。到着までにまとめます》
蓮司は深く息を吸い、シートに背を押し付けた。
——間に合うのか。
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病院の自動ドアが開く音と同時に、蓮司と朝比奈は受付を無視して駆け込んだ。
白い蛍光灯の光がやけに冷たく、足音だけが廊下に乾いた音を残す。
「霧崎ユイナ、どこだ!」
朝比奈の声が病院内に鋭く響き、周囲の職員が一瞬だけ動きを止めた。
案内を待たず、二人は廊下の奥——冷却室の札が掛かった扉を開ける。
ひんやりとした空気が流れ出し、その中に——小さな身体が静かに横たわっていた。
白い布の隙間から覗く顔は、間違いなくあの時の少女。
第7病棟の噂を囁き、蓮司たちに“鍵付きエレベーター”の存在を教えてくれた——ユイナ。
「……嘘だろ」
朝比奈は一歩、二歩と近づき、拳を握りしめた。指先は白くなり、爪が掌に食い込むほど震えていた。
蓮司は呼吸を忘れ、ただ立ち尽くした。耳鳴りが世界を覆い、視界の端がじわじわと赤に染まっていく。
胸の奥に押し込めてきた無力感が、熱とともに膨張し——やがて怒りの刃となって心臓を切り裂いた。
「ふざけんな……ッ!」
声は低く掠れていたが、その震えは怒りと憎しみの爆発そのものだった。
朝比奈は白布をそっと掛け直し、ゆっくりと振り返る。
その瞳は涙を含みながらも、鋼のように硬く、炎のように燃えていた。
「——絶対に、終わらせる」
蓮司は黙って頷いた。
その首の動きには、迷いも躊躇もなく、ただ燃え尽きるまで戦うという決意だけがあった。
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夜の病院駐車場。
蛍光灯の下、蓮司は車にもたれながら一枚の名刺を見つめていた。
少し迷った末、番号を押す。冷たい風の中、電子音が響く。
『……笹本です。』
数コールの後、低く落ち着いた声が返る。
『無事で良かった。堂島の件、確認したよ』
「データはお渡ししました。これで動いていただけるはずです」
蓮司は敬語を崩さず、まっすぐに言った。
笹本は短く息をつき、声を低める。
『確かに大きな証拠だ。ただ……あれは氷山の一角に過ぎない。製薬会社と病院の線は、もっと深く繋がっている』
「……つまり、院長を落としても終わらない、ということですか」
『そう。だから、君には無茶をしてほしくない。次に動くときは、必ず私に知らせなさい』
蓮司は小さく笑みを漏らす。
「……ありがとうございます。そう言っていただけるだけで、心強いです」
その直後、笹本は一瞬だけ言葉を選ぶように沈黙した。
やがて、低く、かすかに震える声が受話器に響く。
『私は……妻を医療の穴で失ったと以前話したね。』
蓮司は息を呑む。
『ああ。あの時、私は何もできなかった。だから——二度と繰り返させたくない』
蓮司は強く頷くように、受話器を握り直した。
「承知しました。こちらも、全力でやります」
通話が切れると、駐車場には再び夜の静けさが戻った。
蓮司はスマホを見下ろし、深く息を吐く。
——今は、笹本が唯一の“外の味方”だ。
※本作品はフィクションです。実在の人物・団体・名称などとは一切関係ありません。作中に登場する病気(双極性障害など)の描写は、物語上の演出として描かれています。実際の病気については、必ず専門の医療機関にご相談ください。




