第17話:袋の鼠
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——空気が変わった。
背筋を撫でるような冷たい気配に、蓮司は思わず足を止める。
重いドアがゆっくりと開き、暗い廊下から二つの影が滲み出る。
堂島院長とヴェルジオン製薬の東条。
その背後には、無言の警備員たちが列をなし、じわじわと部屋を満たしていく。
逃げ場は——どこにもなかった。
「……何か探し物かね?」
堂島が低く笑みを浮かべる。
東条は腕を組み、冷ややかな視線を二人に注いだ。
「なるほど、これが“正義の味方”ごっこというやつか」
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堂島は机の向こうへ、音を立てずに歩み寄った。
顎をわずかにしゃくり、書類を置けと命じる。
「わざわざ私の留守を狙うとは……勇敢というべきか、それとも愚かというべきか」
口元に浮かぶ笑みは、獲物を完全に追い詰めた捕食者のもの。
視線だけで相手を絡め取り、逃げ道を奪っていく。
「さぁ……お二人とも。廊下までご同行願おうか」
その言葉と同時に、背後から規則正しい警備員の靴音が響き始める。
硬い床を踏みしめる度に反響し、音は壁に跳ね返って檻の扉を閉じるように迫ってきた。
朝比奈が唇を噛み、低く吐き捨てる。
「……完全にやられたわね」
東条は鼻で笑い、机に手を置いた。
その指先に力がこもる。
「虎の尾を踏みに来たのは……そっちだ」
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蓮司の視線がふと横に立つ東条の胸元へ向かう。
暗い照明の下でも、スーツの襟に光る小さな金属バッジが目に入った。
「……ヴェルジオン製薬の社章」
蓮司は奥歯を噛みしめ、声を震わせた。
「……やっぱりか。どうしても信じたくなかった……でも結局、最初からグルだったんだな」
蓮司は机を叩きつけるように拳を置き、吐き捨てる。
「ふざけやがって……患者を実験材料にして、どれだけの命を弄んだんだ!」
堂島は鼻で笑う。
「弄んだ? 違うな。データに変えただけだ」
蓮司は悔しさを隠さず、さらに畳みかける。
「人の人生を数字に置き換えて……それで医者のつもりか!?」
堂島の目が細まり、勝ち誇ったように肩を揺らす。
「フフ……、なら冥土の土産に聞かせてやろう」
——堂島は愉快そうに口角を上げ、饒舌に語り出す。
「第7病棟は治療の場ではない。ヴェルジオンと組んだ実験場だ。承認前の薬を投与し、経過を私が記録する。成功例は“成果”、失敗例は“死亡報告”。お前の言う命など、最初から考慮に値しない」
東条が冷ややかに続ける。
「病院が黙認してくれるから、我々は正規の手続きを踏まずにデータを蓄積できる。……患者はただの素材ですよ」
蓮司は血走った目で二人を睨みつけ、かすれ声で言った。
「……最低だ。こんな奴らのために、どれだけの人が……」
その時——。
蓮司のスマホが震え、短い通知音が鋭く鳴った。
蓮司は視線を落とし、しばし沈黙する。
室内に時計の秒針の音だけが響く。
——その瞬間、蓮司の肩がわずかに揺れた。
「ふん……ようやく恐怖を自覚したか。結局お前も、牙を抜かれた獣に過ぎん」堂島の声が低く響い。
それは怯えではなかった。
息を殺していた獲物が牙を剥く直前の動きだった。
蓮司はゆっくりと顔を上げる。
血走った目の奥に、鋭い光が宿る。
口元が挑発するように吊り上がった。
「……罠にかかったのは、あんただよ」
※本作品はフィクションです。実在の人物・団体・名称などとは一切関係ありません。作中に登場する病気(双極性障害など)の描写は、物語上の演出として描かれています。実際の病気については、必ず専門の医療機関にご相談ください。




