第14話:静かなる回廊
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夜の東雲記念病院。
時間外搬入口の淡い照明は心許なく、闇に溶けるように駐車スペースを撫でていた。
音はない——ただ静寂だけが張りつき、足音すら壁に吸い込まれて消えていく。
その沈黙の先には、第7病棟の影へと続く回廊が横たわっていた。
蓮司は作業員用のつなぎにキャップ帽、肩には工具バッグを提げ、足元の感触を確かめるようにゆっくりと歩を進めた。
肩の工具バッグは妙に重く感じ、歩を進めるごとに心臓の鼓動と同じリズムで揺れた。
(……息苦しい。空気そのものが見張ってるみたいだ)
明かりの下には、榊原由衣が立っていた。
手にした小さなトートバッグの中には、夜勤用のカードキーと制服。
《監視カメラ映像、私が0.8秒ずつ遅延処理しています。正面は見られていません》
光の声は冷静だが、蓮司の耳には水中で響くように重かった。
深く息を吸っても、肺が冷えた鉄で満たされるような感覚だけが残る。
蓮司は小さく頷き、胸の奥に沈むざらついた恐怖を押し殺す。
(……この空気、やっぱり生臭い)
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エレベーターが静かに止まる音さえ、銃声に聞こえるほどに鋭く響いた。
目の前は第7病棟のナースステーション。
だが前回と違い、看護師二人が書類に集中しており、こちらを気にする様子はない。
榊原が軽く会釈し、自然な動作で廊下を横切った。
廊下の両側には、番号だけのプレートが並ぶ扉。
R-07、R-12……どの小窓もカーテンで覆われ、内部は見えない。
換気音と機械の低い唸りだけが響く。
蓮司は足を止め、眉をひそめた。
「……生きてるな、この部屋」
「息の間隔が聞こえる。……二人、いや三人だ」
光が短く分析する。
《一致。心拍と呼吸の微弱音を感知》
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患者部屋エリアを通り過ぎ、制限区域へ。榊原がさりげなくカードキーを通し、何事もなかったように中へ。
背後の蓮司は、医療物資のカートを押すフリでついて行く。
机上のファイルと端末をさっと確認し、内部マニュアル通りに入退室ログを書き換える榊原。
(……これが真鍋の言ってた“改ざん手順”か)蓮司は心の中で呟く。
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制限区域の二重扉前に到着。
榊原がポケットからカードキーを取り出し、覚えていた暗証コードを口にする。
「これで開くはず」
ピッという音とともにロックが解除され、無機質な白い部屋が現れた。
光がすぐさま端末に接続し、内部データを吸い上げる。
《薬剤コード、搬送記録、患者状態映像——全てコピー中》
モニターには被験者たちが番号で管理され、薬剤投与の痕跡が映し出されていた。
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榊原がコードを入力し、物理鍵を回す。
中には、銀色の薬剤ケースが整然と並び、ラベルには見慣れぬ英数字の列。
光が即座に解析を開始。《ヴェルジオン製薬の海外治験薬と一致。国内承認前です》
蓮司はケースの一つをカメラに収め、記録を外部に送信する。
蓮司はその画面を見つめ、唇を噛んだ。
「これ……全部、承認前の薬だろ」
榊原が小さく頷く。
「ヴェルジオン製薬の海外治験薬。国内じゃまだ名前も出てない」
蓮司の目が鋭く光る。
「じゃあ、これで奴らの心臓を掴んだ」
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データの転送が終わると、三人は事前に把握していた脱出ルートへ向かう。
監視カメラには、夜勤の雑踏に紛れる後ろ姿だけが映った。
第7病棟を出て静かな廊下を歩くその時——向こうからゆっくりと人影が現れた。
白衣ではなく、濃紺のスーツ。年齢は五十代半ば、背筋の伸びた落ち着いた足取り。
榊原が小さく肩を寄せ、囁く。
「……あれが、院長の堂島義政です」
蓮司は帽子を深くかぶり、工具バッグを握り直す。榊原は軽く会釈をする。
堂島の目は一瞬、彼らをかすめたが、そのまま何事もなかったかのように通り過ぎていった。
残り香のように、冷たい威圧感だけが背後に残る。
「……もう二度と、ここで患者を死なせたくない」
蓮司は短く「同感だ」と返す。
外には朝比奈が運転席で待っている。
「おかえり。……で、戦果は?」
蓮司は短く答えた。「黒、確定だ」
——第7病棟の闇は、もう逃げられない。
※本作品はフィクションです。実在の人物・団体・名称などとは一切関係ありません。作中に登場する病気(双極性障害など)の描写は、物語上の演出として描かれています。実際の病気については、必ず専門の医療機関にご相談ください。




