第10話:水路からの影
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港の夜は、昼よりもさらに音が少ない。
波がコンクリート壁に吸い込まれ、かすかな返し波だけが船底を叩いていた。
小型ボートの舳先には朝比奈、中央に蓮司、後方には光を搭載したタブレットが淡く光っている。
《巡回パターンと監視カメラ位置を表示します》
タブレットの画面に、倉庫周辺の簡易マップが浮かび上がった。
赤い点は警備の巡回、青い点は監視カメラ。
朝比奈が短く息を吐く。
「よし、行くぞ」
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船外機は最低出力。モーター音は波音にかき消される。
空気は冷たく湿り、鉄と油の匂いが鼻を刺した。
蓮司は目を閉じ、耳と肌だけで周囲を探る。
——波間に混じる足音。
——遠くで鉄扉が開閉する音。
——誰かの喉が乾いて鳴る小さな癖。
「この先に二人……奥の角に一人」
光が静かに囁く。
《あなた、私のセンサーより速い》
蓮司は薄く笑った。
「じゃあ、このまま出口まで持たせろ」
朝比奈が淡々と返す。
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倉庫の裏手にボートをつける。
膝までの水をかき分けて搬入口の足場へ。
錆びた鉄扉は鍵がかかっていなかった。
扉を押すと、内部はほとんど照明がなく、闇に沈んでいた。
木箱やパレットが積み重なり、通路は迷路のように塞がれている。
コンクリートの壁はひどく冷たく、足音さえ吸い込まれる。
蓮司は胸の奥にじわりと重さを覚え、呼吸を浅くする。
(……やっぱり、この静けさは嫌いだ)
朝比奈が先を行く。
足取りは音を立てず、影のように滑らか。
光がイヤホン越しに囁く。
《現在の巡回員は北側。ここから三分は安全です》
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木箱の影を抜ける瞬間、何かが走り去った。
小さな黒い影——ネズミ。
蓮司は反射的に肩をすくめる。
「ビビるなよ」朝比奈が振り返らずに言う。
「お化けよりマシだろ」
「……いや、どっちも嫌だ」
短いやり取りが、張り詰めた空気をほんの少しだけ和らげる。
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通路の奥に、不自然な隙間があった。
そこだけ木箱の積み方が違い、風が抜けている。
蓮司は思わず立ち止まる。
「……この向こう、誰かいる」
《確認。心拍反応一名、微弱》光の声が低く響いた。
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暗闇に沈むその先で、扉がわずかに開いているのが見えた。
そこから漏れる細い光の筋。
朝比奈が視線で合図する。
蓮司は喉を鳴らし、拳を握りしめた。
——その部屋に、真鍋がいる。
※本作品はフィクションです。実在の人物・団体・名称などとは一切関係ありません。作中に登場する病気(双極性障害など)の描写は、物語上の演出として描かれています。実際の病気については、必ず専門の医療機関にご相談ください。




