四、草原の絆
「うっひゃあああっ、気持ちいいぞおっ!」
草原にこだまする青年の声。
白馬が蹄を響かせて爆走しています。
前を走る白馬を眺めるように、劉備が髪紐をなびかせながら叫びました。
「哥哥(お兄さん)の駆る白馬には誰も追いつけねえなあ!」
草の匂いが劉備の鼻先をかすめます。
"あれからちょうど、ひと月か"
顔に風を受けながら、劉備は空を見上げました……。
記憶の中、劉備の目の前に広がる雑木林。
そびえ立つ木々が辺りを覆い、大きな影を作っています。
劉備が濡れた落ち葉を見ていると、後ろから青年の低い声がしました。
「こいつは『的』ってんだ、オラが好きな白馬じゃねえから……おめえにやる」
劉備が素早く振り返ると、栗毛の馬を引いた公孫瓚が立っていました。
「哥哥!こんな高価なもの、本当にいいのかい?」
劉備が目を見開いて小声で返すと、
「オラはおめえと一緒に走りてえんだ!」
と、公孫瓚がはにかんで打ち明けました。
早速栗毛を撫でる劉備。
毛並みの柔らかさを手で感じていると、所々にある傷に触れました。
”「的」っていう名はもしかして……”
劉備が的をそっと抱きしめると、公孫瓚が劉備の肩に手を乗せて語りかけます。
「オラの夢は、白馬騎士団の結成だ」
木々のざわめきが静かに響き、木漏れ日がきらきらと揺れていました。
「……備耳(劉備のあだ名)、備耳!」
劉備は、青年の呼ぶ声で我に返りました。
「えっ、耿、どうした?」
劉備は声の方に振り返ると、この地方の発音で彼の姓を呼び、応えました。
「違う、俺の姓は耿だ!」
と羊毛の衣をまとった青年は、勢いよく訂正しました。
時はすっかり晩夏の頃、涼しい風が草原を冷まします。
彼らの後ろには、痩せた馬や驢馬に跨って『白馬騎士団』の仲間が走っていました。
「それよりも、総長一人であんなに先行って大丈夫かい?」
耿がやや眉間を寄せて劉備に言いました。
「哥哥の駆る『筋斗(トンボ返り)』は四百里級の馬だからなあ……」
勢いよく駆ける白馬を眺めて答える劉備。
公孫瓚の背中がまぶしく遠くに見えます。
「あんなに速く走ったら、股の皮がすり減っちまうぜ!ギャハハ!」
と、耿は大きな声でおどけました。
仲間たちがどっと湧き上がる中、劉備は涼しい風に身を震わせながら耿の冗談を無視しました。
耿の下品な戯言はさておき。
劉備が言う、『四百里級の馬』とは?
よく、名馬を語るとき「一日で千里を駆ける」と申します。
「一日千里」を速さに例えますと、才のある人が球を投げて出せる最高速度となります。
公孫瓚の白馬がその半分、競走馬ほどの速さで走っているとご理解ください。
さて、話は戻って、劉備たちが公孫瓚の背を追いかけていると、遠くに横たわる河が現れました。
劉備は河を指差し、
「『かん』、あれは何てぇ河だい?」
と尋ねると、
「あれはたしか……蟠桃河という河だぜ。そして俺は『こう』だぜ!」
と耿が劉備に示しました。
公孫瓚が劉備の方を振り返り、
「よっしゃあ!みんなあの河まで競走すっぞ!」
と、元気な声が風に乗って聞こえてきます。
劉備は耿とうなずき合うと、馬の腹をかかとで蹴りました。
蹄の音が大きくなって、群れより舞い上がる砂埃。
「競争に勝ったやつが総長だ!」
蒼天の元で公孫瓚のハツラツとした声が響き渡りました。
皆で気持ちいい風を顔に感じながら、軽快な足音を鳴らしています。
河岸が皆の目前に迫ろうとした時、蟠桃河沿いに屯する黒い点が見えました。
「何だありゃ?『胡服』か?」
劉備が目を凝らすと、その特徴から呟きました。
すると、耿が声を張り上げて、
「備耳、ありゃやべえ……鮮卑族の奴らだ!」
と警告しました。
"哥哥一人で大丈夫か⁈"
劉備は胸騒ぎを覚えると、「ハイよっ!」と的の腹を蹴って速度を上げます。
体に感じる風の感触が、蹴りを入れるたびに強くなっていきました。
劉備が河辺に降り立つと、公孫瓚が囲まれていました。
上から下まで"本物"もんの『胡服』、頭のソリコミと後ろに垂らした髪の毛。
「ンダ、コノシャバゾウガ、シメンゾコラ!」
"鮮卑語だ!やっぱり絡まれてるなあ……"
劉備は異民族の罵声を聞くと、歩くその脚を早めました。
「おう、おめえらホントに強えんか?」
闘犬のように唸る公孫瓚。
鮮卑族の腰袋には短弓が弦を潜ませて覗いています。
公孫瓚が鮮卑の青年に一歩進めると、顔を見上げるように急接近させました。
頭を下げる格好にされた青年は、同じようにして公孫瓚を見返します。
「ンダ、ヤンノカコラ、チッチッチッ」
声を低く唸る鮮卑族の青年。
草原の風が、冷風のように辺りを凍らせました。
劉備は胸をざわつかせながら一触即発の彼らの間に入ります。
鋭い眼光で劉備をにらみ付ける鮮卑族の青年。
劉備の背筋が一気に凍りました。
「ンダ、テメェハ、ドコチュウダ、コラ!」
鮮卑語の荒々しい声が劉備に浴びせられます。
即座に鮮卑族の胸ぐらを掴む公孫瓚。
劉備は髪を手櫛でまとめると、
「ヨロシク!」
と、片言の鮮卑語で彼らの形式の『礼』をしました。
蟠桃河は静かに流れ、河の洲でみさごが羽を休めています。
がに股で体を揺らしながら鮮卑族の青年が、直立している劉備に詰め寄って来ました。
ちょうどその時、後に続いていた耿や仲間たちが河辺に姿を見せました。
「何だありゃ⁈千里級の馬ばかりじゃねえか!」
耿の声が聞こえると、劉備は少し心を落ち着かせて、
「ジブンは、長沙定王の分かれ、臨邑侯の子孫で劉備言います。ヨロシク!」
と、名乗りを上げました。
整然とした鮮卑族の騎馬群の中で揺れる一頭の騎馬。
彼らは耳打ちをし合い、何かを話しています。
しばらくして、鮮卑族の青年が劉備の方をじっと見て、
「リュービ、シャバイヤツ」
と冷たい声色を劉備に発しました。
青年の鋭い眼光は、相変わらず劉備に向けられています。
劉備は背後を意識しました。
しかし今、彼の後ろには耿や白馬騎士団の仲間たち、そして公孫瓚がいます。
責任を心に抱いて、そっと目を閉じた劉備の脳裡に、
"我が子よ、『儒教』を修めなさい!"
と母の言葉が叱咤するように浮かんで来ました。
"文武"と言う言葉が示すように、文は武の先にあって、今は文を修める時……"
劉備はそう思いにふけると、拳を『ぐっ』と握りしめました。
河の洲の方で聞えた水の跳ねる音に、みさごが『かんかん』と応えています。
その時、鮮卑の騎馬が一つ揺れ、ハッキリとした自国の言葉が聞こえてきたと、『先生』は、よく申されていたそうです。
「臨邑侯?何言ってんだか、この負け犬王族が!」
「ん?」
耿が目を細め、劉備は身体中の血液が湧き上がるのをその身に感じました。
"よくもご先祖様を‼"
「ンダト、タイマンジャコラァァァ!」
劉備の流暢な鮮卑語が放たれると、
「ンダト、ジョウトウジャコラァァァ!」
鮮卑族の青年はこだまのように声を響き合わせました。
声がかれそうになるまで罵倒し合う彼ら。
しばらくしてから鮮卑族の青年が『的』を指差すと、親指を立て後ろを指しました。
堂々と群れを成す、外国産の大柄な馬たち。
馬群が『ブオンブオン!』と小さく唸り、脚力の解放を待ちわびているかのようです。
風が砂埃を巻き起こし、力強そうな馬脚が陽炎のように揺れています。
「あんなのに勝てるのかよ……備耳」
鮮卑族の馬を見て呟く耿。
鮮卑族の青年が千里級の馬に跨って、その蹄をゆっくりと鳴らしています。
その歩みは、一歩一歩と地面を踏むたびに、地響きが聞こえて来るかのようでした。
河の畔に馬を並べると、鮮卑の青年が一本の木を指で示しました。
"あそこを目指すのな……"
汗で濡れた手のひらを、劉備は衣の腰でそっと拭いました。
「小備!」
劉備を呼ぶ公孫瓚の声が聞こえます。
「でえじょうぶだ、的はそんなにヤワじゃねえ!」
劉備の傍に駆け寄り、力強い声で言う公孫瓚。
その激励の言葉に劉備は深くうなずくと、手綱を握る手を固く結びました。
蟠桃河は悠々と流れ、勝負を導く線として行き先を示しています。
「的、お前を信じるぜ」
愛馬にそっと声を掛ける劉備。
劉備は、的の広い肩幅を見て深く目を閉じました。
張り詰める緊張感の中、甲高い音で鳴り響く骨笛の音。
この時、『先主』劉備は『剋っ!』と目を開け、的の腹へと蹴りを入れたと申します。
次回に続く。
三国伝を支持していただける方は、お気軽にブクマ、評価をお願いします。
創作のエネルギーと致します。




